7-1

 真宙が桜良の死を認めてから数日。御調は和花に呼び出されていた。

 場所は大晦日の夜、年の変わったあの夜、自分の気持ちを和花に告げた場所。要件は聞いていないが、そんな場所にわざわざ呼び出されるともなれば、彼女の要件は聞くまでもなく察することができる。

 昨日の夜、僅かに雪が降った。その僅かに積もった雪を踏みしめながら御調は待ち合わせ場所に向かい、そしてそこにはすでに和花が待っているのを確認した。

 心臓の音が聞こえる。胸の奥が息苦しくなる。本当なら今すぐに踵を返して逃げ出してしまいたい。

 でも――。

「すぅ……はぁ……」

 一度、深呼吸をして心を落ち着ける。冷たい空気が肺を満たし、そのおかげか少しだけ冷静になれた。真っ直ぐに前を見て、和花の姿を視界に捉え、彼女の前に立つ。

「よっす」

「こんにちは、飯塚くん。ごめんね、わざわざ呼び出して」

(…………ああ)

 そう挨拶した和花の表情と雰囲気は、今までにあまり感じたことがないものだった。どこか凛々しさの片鱗のある、そんな顔。

そしてその和花の表情を見て御調も悟った。いや、本当は最初から分かっていたことだった。想いを告げると決めたそのときから、この結末は承知していた。

「いいよ。それで、話って?」

 呼び出された要件も、その答えも、御調は察している。それが御調の望む結果ではないことも。でもだからこそ和花の口から直接聞きたかった。

「うん。この前のこと。まずは、ありがとう。こんな私のこと、好きになってくれて」

 和花は和花で心に決めている。動揺も躊躇もせず話し始め、そして告げる。

「でも、ごめんなさい。私には、他に好きな人がいるから」

(……っ)

 この答えはわかっていた。予想通りだった。あの告白の夜から、何度も何度も頭の中でシミュレーションした。同じ言葉を和花から告げられることを。

 大丈夫なはずだった。最初からわかっていたはずだった。勝率が限りなくゼロに近いこともよくよく理解しているはずだった。

 でも、だけど……。

 どれだけの数シミュレーションをこなしても、どれだけ頭で理解していても、やはり本人から面と向かって告げられた言葉の破壊力は凄まじい。一瞬にして心臓を握りつぶされたような、または頭を鈍器で殴られたような、そんな衝撃と痛みがある。

 和花は真っ直ぐに御調を見つめている。その瞳が逸らされることはない。和花の気持ちが揺らぐことも、ない。

「ああ、わかった。だよな」

 もしも和花がほんの少し位でも迷っていたら、きっとこんな風に受け入れられなかったかもしれない。だが和花の気持ちはブレず、ちゃんと自分にそのことを伝えてくれた。もう受け入れる以外の選択肢は存在しない。そう思わせるくらい、真っ直ぐに。

 苦しかった。痛かった。

 でも不思議と、悲しくはなかった。

 それはきっと自分の想いをちゃんと告げて、その答えをちゃんと貰ったから。和花の気持ちをちゃんと知ることが出来たから。

 そして、これから自分がどうするのかがわかったから。

「真宙には言うのか?」

「……うん。ちゃんと告白しようと思ってる」

 納得だ。

 今日会った和花の決意は、なにも御調への返事だけではない。御調の告白を受けて、真宙の姿を見て、自分もちゃんと想いを告げようと、和花はそう思ったに違いない。

「フラれちゃうことは、わかってるんだけどね」

 真宙は現実を認識して受け入れた。桜良の幻影から解放されつつある。だがだからといって真宙の桜良への気持ちが消えてなくなりはしない。桜良が死んだからといって、和花の告白を受け入れたりはしない。

 それは、和花も御調もわかっている。

 同じなのだ、今の和花は。あの日の御調と。

 想いが実らないことは理解している。でもそうしなければならない。そうしなければ前に進めない。変わるために、三人で新しい関係を作っていくために、和花も勇気を出したのだ。

「……じゃ、古賀がフラれたら二人で失恋パーティでもするか」

「あはは、それいいね。どこでする?」

「そうだな……カラオケでも行って歌いまくるか」

「喉が枯れるまでね」

「おう、いくらでも聴いてやるよ。それで失恋で悲しんでる古賀のことを俺が慰めて、好感度アップを狙う」

「え、ええっ!?」

「なんだよ、コクってフラれたけど、だからって別に俺は古賀のこと諦めたわけじゃないぜ?」

 そうだ、一度フラれたくらいで諦めてなるものか。御調だって中学時代からずっと想い続けてきたのだ。そう簡単に切り替えられるわけがない。

「そ、それは……っ。あ、ありが、とう……」

「はは、なんだそれ」

 御調の言葉に和花は恥ずかしそうに顔を伏せる。直前までの凛々しい表情が台無しだ。

「あ、そうだ。もう俺の気持ちはバレてるわけだから、これからどんどんアピールしてくから。よろしくな」

「う、うん……あ、あの……よろしく、お願いします……」

 なんてことを話し、二人はどちらからともなく笑いあった。

 それはなんだかとても久しぶりな気がした。いや、実際久しぶりだった。

 桜良が死んでから、こんな風に心から笑いあうなんてことはなかった。真宙だけじゃない。きっと自分たちも、前に進んでいるつもりで停滞していたのだろう。でもやっと、一歩前に踏み出せた。そんな気がしていた。

「……これから行くのか?」

「うん。これから会って、伝えてくる」

「そっか。頑張れよ」

「いいの? 私が頑張って告白が成功しても」

「それならそれで俺は嬉しいさ」

「あ、なんか余裕だなぁ。絶対フラれるって思ってるんだ」

「…………ソンナコトナイヨ」

「……なんか初めて飯塚くんにムカついたかも」

「おっと。じゃあ今下がった好感度はカラオケで挽回するか」

「もう、調子いいなぁ。……さて、と。それじゃあ、私行くね」

「……ああ。頑張ってな」

「ありがと。……カラオケ、予約しておいてくれると嬉しいな」

「任せろ」

 言って、御調は右手を掲げる。和花も合わせて右手を掲げ、二人は空中でパンッと互いの手を打ち鳴らす。

「行ってきます」

「おう」

 頷きあって、和花は一度笑顔を見せると振り向いて歩いて行った。

 御調はその後ろ姿が見えなくなるまで見送り、同じように振り向いて歩き出す。

「さて、と」

 和花にお願いされた通りカラオケの予約をする――その前に、御調の足は別の場所に向いていた。

 黙々と歩き辿り着いたのは、桜良の墓前。

 その墓石の前にはすでに花が供えられていて、そこで自分が手ぶらで来てしまったことを認識した。

「……悪い、桜良。花、持ってくるの忘れちまった。今度はちゃんと持ってくるから、今日は許してくれ」

 そんなことを言ったら桜良はなんと言うだろう。怒るだろうか、笑うだろうか、呆れるだろうか。たぶん、その全部だ。

「なあ、桜良。お前が死んで、いろんなことが変わっちまった。泣いて、喚いて、俺たち三人の関係もグチャグチャになりかけて……。でも、なんとかなったと思う。それはお前の妹の秋那のおかげだ。彼女がいなかったら、俺たちはまだ迷って、立ち止まっていただけだったと思う」

 秋那の存在に、御調は本当に感謝している。

 彼女が現れて色々なことが動き出して、和花が傷ついたり、真宙と喧嘩したりもした。でもそれがあったからこそ、御調たちは歩き出すことが出来た。

「最初はマジでびっくりしたんだ、死んだはずの桜良がいる! ってさ。実際はそっくりな妹だったんだけど、でもそのとき俺は思ったんだ。もしかして、桜良が秋那を連れてきたのかなって」

 そんなことあるわけがない。秋那には秋那の目的があると言っていた。秋那は彼女自身の意思で御調たちの前に現れた。それは疑っていない。

 でもなんだかそんな気がしたのだ。いつまでも前に進めない自分たちに業を煮やした桜良の意思が働いた。桜良なら死んでも尚、自分たちのことを気遣って行動するのではないか――そんな気が。

 だから――。

「――最後の最後まで面倒かけて悪かったな、桜良」

 御調は墓前に笑顔を向ける。

 もう二度と、桜良が自分たちのことを心配しないように。

今度こそゆっくりと眠れるように。

 親友の一人を、安心させるために――。

「――ありがとう、桜良」

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