7-2

 昨晩降ったらしい雪が、薄っすらと桜良の墓石に積もっていた。

 和花はまずその雪をキレイに払い落とすと、墓石の両脇に花を供える。そしてそこに桜良がいるつもりで視線を向けた。

「……おはよう、桜良ちゃん。……ああ、今年は会いに来たの初めてだったね。あけましておめでとう」

 当然、和花の言葉に桜良はなにも返さない。しかし同じように「おめでとう」と言っているような気がして、そんな光景が簡単に想像できて、なんだかおかしくなって和花は一人で笑った。

「……最近ね、いろいろなことがあったんだ」

 桜良の死から三か月。

 その三か月の間に真宙は急速に壊れていき、それを知りながらも自分はなにもすることが出来ず、だが秋那の登場によって状況は動き出し、そしてみんな感情をぶつけ合った。

「全部が全部上手くいったわけじゃなかったけど、でも、結果としては良かったのかなって思うんだ」

 それは秋那の存在が大きい。秋那がいなかったらこの結果にはならなかったし、こんな気持ちで桜良の墓前を参ることもなかっただろう。

 なにより、真宙が一歩踏み出せたのがとても大きい。例えそれが小さな一歩だったとしても、真宙にとって、そして和花や御調にとってはもちろん大きな一歩だ。

「粕谷くんは進み始めたよ。それはたぶん……ううん、絶対にとても勇気のいることだと思うんだ。だからね、桜良ちゃん。もう少しだけ、粕谷くんのことを見守っていてあげてほしい」

 和花の願いに返ってくる言葉はない。だが桜良ならきっと笑顔で頷いてくれる。なにせ桜良の大事な、大好きな恋人なのだから。真宙のこれからの幸せを桜良が願っていないわけがないのだから。

「でもきっと時間がかかると思うんだ。だから私や飯塚くんも隣にいてサポートしていくって決めたの。桜良ちゃんの代わりに、桜良ちゃんに出来ないことを、私たちが。……それでね、桜良ちゃん」

 御調と話をし、真宙がちゃんと一人で前へ進んでいけるようになるまで二人で隣にいると決めた。だがそれにあたって、和花には一つやらなくてはいけないことがあった。

 今日本当は、そのことを桜良に話に来たのだ。

「桜良ちゃんはもしかしたら気づいていたかかもしれないけど、私ね、中学生のときからずっと粕谷くんのこと好きだったの。でも想いを告げる勇気なんてなくて、私なんかより桜良ちゃんと付き合っていたほうが幸せなんだって思って、ううん、実際はそうだったんだけど……だから気持ちを伝えることはしないつもりだった」

 でもね、と和花は前置きして続ける。

「この三か月いろいろなことがあって、飯塚くんの気持ちを知ったり、自分の気持ちを再確認したりして思ったの。このままじゃダメなんだって。私も変わらないといけないんだって。そうしないと、きっと粕谷くんの隣にも飯塚くんの隣にもいられない。桜良ちゃんの友達だって、胸を張って言うことが出来ない気がしたの」

 真宙と御調は変わった。それが例え少しのことだったとしても。だったらそんな彼らと共にいるのなら、自分も変わらなくてはいけない。だが自分を変えることはそう簡単なことではなくて、どうすればいいのか和花はずっと悩んでいた。

 足りないのだ、自分には。一歩を踏み出すための勇気が。それが出来れば変わることが出来るかもしれないのに。

 だが和花は知った。真宙と、秋那と、そして御調と。友人である彼らを見て、彼らの言葉と想いを聞いて、勇気を出すための方法を知った。

 それは決して簡単ではないけれど、いや、簡単ではないからこそ、達成できれば大抵のことは受け止めることが出来るだろう。

「桜良ちゃん」

 和花は真っ直ぐに墓石を見る。そこに、目の前に桜良がいると思って。

「私、粕谷くんに告白してくる。フラれちゃうのはわかってるけど、でもそうすることがケジメだと思うし、なにより私が変わるための一歩だと思うから。ここで踏み出せなかったら、きっとこの先も私は変わることが出来ないと思うから」

 だから、許してね――。

 そんなことを和花は桜良へ願う。

 桜良はなんと言うだろうか、笑い飛ばすだろうか、怒るだろうか、悲しむだろうか。

 …………いや、きっと笑顔で応援してくれる。それがどんなことであれ、和花が必要だと考え、自分で決めて、そして実行するのなら、桜良は絶対に応援してくれる。

 それこそ古賀和花が憧れた、中間桜良という人間だ。

「桜良ちゃん、あなたはこれまでもこれからも、私が一番憧れて、そして尊敬する女性です。……今までありがとう」

 言って和花は墓石に背中を向けて歩き出す。――が、数歩進んで振り返り、

「また、来るね」

 そう言い残し、今度こそ和花は桜良の前から歩いて行った。

 和花はこれから御調と会う。大晦日に彼から告げられた想いに答えるためだ。

 今までの和花ならきっと緊張して、断ってしまった後の御調の気持ちを考えすぎて、いや、それ以前にまともに返事なんて出来なかったかもしれない。

 だが今の和花はとても晴れやかな気分で、そして芯の通った気持ちが心の真ん中に確かにある。

 今ならちゃんと言えると、そんな確信があった。

 それから御調と待ち合わせをし、そこで彼の気持ちに答え、カラオケで失恋パーティをする約束をし、そして今度は真宙との待ち合わせ場所に向かう。

 真宙に自分の気持ちを伝えるために選んだ舞台は自分たちが卒業した中学校だった。当然、告白をしたいから中に入れてくれ、なんてお願いを聞き入れてもらえるわけはないので、校門の前で待ち合わせることになっている。

 真宙を待つ間、校舎を見上げると懐かしい気持ちになる。

 この場所で桜良と、御調と、そして真宙と出会った。桜良に憧れ、真宙に恋したのもこの場所だ。

 いつも四人で一緒にいて、たくさんの思い出がこの場所には詰まっている。校舎を見上げながらそれら一つ一つを思い返していると、背後から声をかけられた。

「……古賀」

「こんんちは、粕谷くん。呼び出してごめんね」

「あ、いや、えっと……」

 真宙はなんだか気まずそうに視線を逸らす。確かにこの前、中間家でいろいろあったばかりだし、そうなってしまうのもわからなくはないが。

「……あのね、粕谷くん」

 ここでグダグダしていても始まらない。もう告白すると決めたのだ。こういうとき、きっと勢いというものは大事だ。

 ――と、そう思って口を開いたのだが、

「待ってくれ、古賀。僕に最初に言わせてほしい。――あの、この前は、酷いことを言って本当にごめん!」

 そう言った真宙は腰を折り曲げて頭を下げる。

(この前……? ……あ)

 一瞬、真宙がなにを言っているのかわからなかったが、真宙の言う『この前』や『酷いこと』というのが、年明け前に秋那に学校を案内したときのことを指していることに気づく。

 忘れていたわけではなかったが、正直、気にしてはいなかった。そんなことを気にする余裕なんてなかったし、それになにより告白のことで頭はいっぱいで記憶の隅へと追いやられていたのだ。

「頭を上げて、粕谷くん。いいんだよ、そんなことは、もう」

「でも……僕は、古賀に……」

 真宙も御調や秋那に渇を入れられ、現実を認識して、改めて罪悪感が沸いたのだろう。寒さのせい以上に青ざめた表情は見ていて逆に申し訳なくなる。

「……あれは、私にも悪いところがあったから。だからさ、お互い様ってことにしよ」

 ね、と笑いかけると、真宙は顔を上げて最後に一言「ごめん。……わかった」と口にした。

「それにね、今日、粕谷くんを呼んだのはそんな話をするためじゃないんだ。もっと大事な話があって」

「大事な話?」

 真宙にこれから告白することはもちろん伝えていない。だがそのせいで真宙は高校でのことで和花に呼び出されたと勘違いしているようだった。直前まで内容を話せなかったとしても、なんだか変に気を遣わせてしまって申し訳なく思う。

「うん。驚かないで聞いてほしいんだけど。……私ね」

 ドクンドクンと、心臓の音が激しくなる。掌はじっとりと濡れて、背中には変な汗が伝う。

 心に決めていた。今日、この場で告白すると。

 だがいざそのときが訪れてみると最後の一歩を踏み出すための勇気が中々でない。頭ではわかっているし、言葉はすぐそこまで出かかっている。なのに、なにかに堰き止められているように、そこから先へ進んでいかない。

(飯塚くんも、こんな気持ちだったのかな……)

 これは本当に大変で勇気のいることだ。この恐怖の中で一歩踏み出せた人は本当に凄いと改めて思う。

 だが自分だって今日、その一歩を踏み出すと決めた。変わると決めた。変わりたいと、願った。

(だから、こんなところで躓いてなんていられないんだ)

 告白の場にこの場所を選んで正解だった。

 校舎を見上げればたくさんの思い出が蘇る。そして同時に、真宙への気持ちもふつふつと湧き上がってくる。いつしか緊張は和らぎ、真宙を好きな気持ちが胸に広がる。

 この先に踏み出したらどうなるのか。それは和花も知っている。

 和花の望む結果には絶対にならない。

 だが、それでも。和花は踏み出すために、真っ直ぐに真宙の瞳を見据え、告げる。

「私は……ずっと粕谷くんのことが好きでした――」

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