6-4
和花と喫茶店でお茶をして、話をして、それから二人で少しだけ街中を二人で歩いた。そして途中で立ち寄ったコンビニであるものを買い、それを上着のポケットに入れて歩いていたときだ。
秋那が真宙と御調を見つけたとき、なにかを言い合っていたのか、周囲の目が彼らに向いていた。
正月休みで人通りの多い繁華街だ。道の真ん中で言い争うなんて邪魔以外のなにものでもないし、なにより周囲の目が痛かった。
あえて放っておくことも出来た。だがそんな時間は秋那にはないし、ちょうどいいとも思ったのだ。なにせここには自分と、和花と、御調と、そして真宙の四人が揃っている。時間がない和花にとって、四人が一堂に会する瞬間は今となっては貴重だ。
だから秋那は和花に声をかけ、そして真宙と御調の手を引いてその場から離れた。邪魔が入らず、じっくりと話が出来る場所へ。
しかし、どこもかしこも人で溢れかえっている。どこか良い場所はないか、ちゃんと四人で話が出来る場所は。そんなことを考えながら歩いていると、自分の家の近くまで来ていた。きっと今はどこに行っても人の気配がある。落ち着いて話をすることは出来ないだろう。
(それなら……)
秋那は家へ向けて歩を進める。
それから数分で自宅へと到着し、鍵を開けて三人を招く。
突然のことに御調と和花は戸惑っていたが、それでも半ば強引に誘い入れた。
シン、と静まり返った自宅。両親はすでに家にはおらず、当然、人の気配もなければ生活感もない。朝までとはまるで別世界のように感じるその空間に足を踏み入れる。
「こちらです」
言って、秋那は三人を二階の部屋に案内する。
「……桜良、これ」
と、部屋に入るなり真宙が呟いた。表情を見るに御調と和花も同じことを考えたに違いないし、秋那にも言わんとしていることがわかった。しかし秋那はあえてその疑問を無視して言う。
「あたしはお姉ちゃんじゃありません。妹の秋那ですよ、先輩」
何度めかのそのセリフ。きっとあと数回のうちに永遠に口にすることがなくなるであろうそのセリフには、いつもとは少し違う感情も混ざっていた。
「それで、あんなところで言い合っていたのは『そのこと』ですか?」
秋那の質問に真宙よりも先に御調の表情が動いた。それを見ただけで答え合わせは出来たようなものだ。
「……そうですか。ならちょうどいいです。ここなら邪魔は入りませんから、決着をつけましょう、色々なことに」
これが最大にして最後の機会になるだろう。
ここで真宙のことをどうにかできなかったら秋那自身の目的も果たせない。願いを叶えることが出来ない。
それはダメだ。それだけはダメだ。
だから秋那は表情を変えず、真っ直ぐに真宙に視線を向けて、そして問う。
「粕谷先輩。あなたは今日、なにをしていたんですか?」
その問いかけに、真宙は『桜良を探していた』と答えた。そして桜良は今、目の前にいるとも。
その答えは予想通りのものだ。だから秋那は問いかけを続けていく。
その問いかけの中で御調が、和花が、真宙を突き放す。見捨てたからじゃない。大切な友人だからこそ、これ以上、壊れていく真宙のことを見たくなかったのだ。例え真宙の心に傷が出来ても、元々の傷がより深くなってでも。
なぜなら、傷は癒えても、壊れたものは元に戻らないから。
そして御調と和花の気持ちが真宙に届き、真宙はそれまで目を背けることで抑え込んでいた感情の全てを爆発させる。
心の中では、頭の隅では気づいていたのだ。桜良がもう、いないことに。
(あたしが、妹の秋那だってことにも……)
怒り、悲しみ、苦しみ、嘆き。桜良を喪ったことで発生した様々な感情が、きっと今、真宙のことを蝕んでいる。今まではそこから目を背ければ良かった。だが一度でも認め、そして吐き出してしまったからにはもう、真宙は目を背けることは出来ない。
そしてついに真宙は涙を流し、神に救いを求める子羊のように、御調に縋った。その姿を見て御調と和花の表情が曇る。
(……やっぱり、ダメだ)
二人の先輩はとてもよくやってくれた。
真宙が現実を認めることが出来たのはこの二人のおかげだ。きっと秋那では真宙に現実を認めさせることは出来なかったかもしれない。
でも最後の最後で、御調と和花の足を躊躇わせたのは真宙への友情だ。二人も決意をしたはずだ。その意思を秋那も疑ってはいない。だが一瞬、ほんの一瞬、考えてしまったのだろう。
こんな姿の真宙をこれ以上、追い詰めてもいいのだろうか――と。
そしてその一瞬の思考はすぐに拡大する。友人のこんな姿を見るのが辛くて、こんな言葉を聞くのが苦しくて、こんなクソみたいな現実を突きつけるのが悲しくて、躊躇ってしまう。その躊躇いが、この三か月を繰り返してしまう。
(だからここからは、あたしの役目)
秋那だけでは真宙に現実を認めさせることが出来なかった。でも一度でも真宙が現実を認めたのなら、それは真宙の心の隙だ。その隙に入り込み、より強く現実を突きつけ、泣き叫ぶ真宙の背中を蹴り飛ばす。
それが出来るのは、真宙とは友人でもなんでもなく、そして桜良の妹である、秋那だけなのだ。
だから秋那は、口を開く。
「粕谷先輩。お姉ちゃんはもういません。お姉ちゃんの声を聞くことはもうできません。お姉ちゃんの笑顔を見ることはもうできません。お姉ちゃんと手を繋ぐことはもうできません」
真宙の願いを、真宙の口にした言葉を否定する。
「お姉ちゃんは、中間桜良はもうどこにもいません。ひょっこり顔を出すことは、もうありません」
例え残酷でも、やらなくてはいけない。ここで僅かな隙をみせてしまったら、きっと真宙はもう戻れない。中間桜良の幻影に縋り、囚われ、現実から逸脱する。
容赦はもう、必要ない。
「でも、でも……っ」
それでも、真宙は縋る。
目の前にいる秋那に。桜良と瓜二つの秋那に、桜良の面影を見て、縋る。
足りない。あと一押しが足りない。
(……やっぱり、やろう)
秋那は上着のポケットからあるものを取り出す。
本当は、ずっと迷っていた。ここまでしなくてもいいのではないか、と。
だが真宙の嘆きを、叫びを聞いて、感じたのだ。
――ああ、この人は自分と同じなんだ、と――。
桜良の幻影に囚われている。ずっと桜良の影を追っている。桜良と共に、生きている。
顔が似ているからというだけではない。きっと秋那のそういう部分が真宙のことを捕まえてしまった。目に見えるだけじゃない、同類にしかわからない繋がりのようなもので二人は結ばれていた。
秋那だって考えていたのだ。それが無意識だったにしろ、桜良が今もどこかにいるのではないかと。だが桜良がもういないことは誰よりも秋那が一番わかっている。
理解はしている。が、認めたくはない。
口では『桜良はもういない』と『自分は妹だ』と言っておきながら、秋那の心はずっと矛盾していた。
だから全てを捨てることが出来なかった。
目的のために、願いのために、秋那は多くのものを捨てた。
真宙の前では、桜良と違い甘いものが嫌いだと言って口にしなかった。
真宙の前では、桜良と違って突き放すような冷たい言葉遣いをした。
真宙の前では、桜良が好まない香水を振りかけた。
他にもある。あげだしたらキリがない。そしてそれらは秋那だからこそ、桜良のことが大好きで、なんでも同じにしたくて、どんな小さなことも真似をしていた秋那だからこその桜良との共通点。
それを一つ一つ壊していった。アピールをするために。
でも、それでも。たった一つだけ秋那は残していたものがある。
それは見た目による大きな共通点。どんな人の目にも映り、誰の目にも印象的な、身体の部分。
そしてそれは自分に対してもそうだった。
毎朝起きて、鏡を見る。すると鏡に映るのだ、生まれ持った自分の顔と、その部分が。それをセットで見ることで、秋那は自分に対して桜良を連想する。桜良を求める。桜良に囚われる。
わかっていた。それがよくないということくらい。でも真宙と同じだ。簡単に割り切ることが出来なかった。口でなんと言おうと、行動を起こそうと、心の底では真宙と同じ。
だから真宙は秋那のことを桜良と呼び続けた。真宙にそう呼ばれ続けても秋那は言葉で否定をしただけだった。
本当は最初から、真宙に会いに行く前から、こうしなければならなかったのだ。
なぜなら、まず秋那がちゃんと受け入れなければいけなかったから。現実を受け入れていない人間の言葉が、同じように現実を受け入れていない人間に届くわけなどないのだから。
「先輩」
秋那の手には、一本のカッターナイフが握られている。
カチカチと、ゆっくりとその刃を伸ばしていき、それを自分の首元に近づける。
「秋那ちゃん!?」
その仕草にその場にいた誰もが目を剥いた。しかし秋那もそれを視線で制し、そして背中の中ほどまで伸びていた髪を左手で掴むと、首元の辺りで手にしたカッターナイフで切り落とした。
ブチブチと嫌な音と感触がし、やがて頭が軽くなる。そして無造作に切り落とした長い黒髪の束と、桜良とお揃いで買った秋桜の髪留めと一緒に床に落ちた。
カツン、と乾いた音がする。毎日、大切に大切に使っていたお気に入りの髪留めは、床に落ちた拍子にヒビが入って、その傷が自分と姉を今度こそ引き離そうとしているみたいに感じられて視界が滲む。
手が震えた。とたんに握力が弱まり、床の上にカッターナイフを落とす。その拍子に真新しい刃が折れて床に散らばるが、秋那はそんなことはお構いなしに真宙の下へ歩いた。そして視線の高さを合わせ、真っ直ぐに真宙の瞳を見て、告げる。
「粕谷先輩。お姉ちゃんは、中間桜良は、もう……死んだんです――」
それは、今まで誰も口に出来なかった言葉。そういう意味では誰もが桜良の死を受け入れることが出来ていなかったのかもしれない。
真宙も、御調も、和花も。
もちろん、秋那自身も。
その秋那が三か月ぶりにその言葉を自分の意思で発した。
そしてその秋那の宣言は、その場にいる全ての人間の胸を抉り、届く。
御調が歯を食いしばるのが見える。和花が嗚咽を漏らすのが聞こえる。自分の頬に熱いものが伝って流れ落ちているのがわかる。
そして――。
「ああ……ああああ…………っ」
真宙が頭を抱えて蹲る。床に額を擦り付け、小さな子供のように泣きじゃくる。
その姿を見て、秋那の視界も歪んだ。
秋那もまた受け入れ、認めたのだ。
姉の死を。
桜良の、死を。
この世のどこにも、もう桜良が存在しないということを――。
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