5-1
「――よくお参りくださいました」
「あ、ありがとう、ございます……」
十二月三十一日。大晦日。
もうすぐ日が変わり、一年が終わり新しい年が始まろうとしているこのとき、飯塚御調は一足早く訪れた近くの神社にて、一つのお守りを買っていた。
バイトであろう若い巫女さんから手渡されたそれを握りしめ、足早に待ち合わせ場所へと戻る。
スマホで時間を確認すると待ち合わせの時間までまだ二十分はある。しかし歩くスピードは変わらず、人の波をかき分けるようにして歩いた。
神社の鳥居下。神社での待ち合わせならベタなその場所には、同じように待ち合わせをしているであろう人たちが数人いる。そんな人たちに紛れ、御調は待ち合わせの相手、和花のことを待った。
あれから、想いを告げると心に決めたあの日。決意が鈍らぬうちに和花にメッセージを送り、そして初詣に行く約束を取り付けた。本当ならもっと早い段階で和花のことを誘えば良かったのかもしれないが、「気分転換になるから」と、それらしい理由があったほうが和花も応じてくれるのではないかと思ったのだ。
そしてそんな御調の思惑通り、和花は御調の誘いを受け一緒に年を越す約束をしてくれた。
和花との初詣が決まってから数日、御調は常に緊張し、何度も何度も頭の中でセリフやシチュエーションを検討し、それでも完璧なものなんて出来るわけもなく、自信も出ないまま当日を迎え、最終的にはネガティブな気持ちは神頼みへと手を出した。
買ったお守りへ視線を落とす。人生で初めて買ったそれは、紛れもなく恋愛成就のお守りだった。千円のお守りにどれだけの効果があるかわからないが、それでもないよりはマシで心は幾分か軽い。
あとはそのときまでなるべく意識しないように、自然に自然に過ごすだけなのだが。
「飯塚くん」
「――っ!」
声をかけられ身体をビクつかせながら顔を上げる。思わず手には力が入ってしまい、買ったばかりのお守りを握りつぶしてしまった。
「こ、古賀。……よっす」
慌ててお守りごと拳をダウンジャケットのポケットの中へ押し込む。
「……よっす。えへへ」
御調の言葉を真似てそう返した和花は、薄く笑いながら視線を逸らした。
数日ぶりに見る和花の姿。もう何年も見ていない、とても久しぶりに会うような気さえする。きっとそれは、和花の姿が思った以上にやつれているからだろう。
「……顔色、悪いな……。誘っておいてなんだけど、大丈夫か?」
「……うん。あんまり部屋に引きこもっていても良くないし、家族も心配してるし。どこかで外には出なくちゃなって思ってたから。いいきかっけになったんだ。だから誘ってくれてありがとう、飯塚くん」
そう言って今度は少しだけ無理をした笑みを和花は浮かべた。
その姿は御調の目に痛々しく映るが、それでも笑うことすら出来ないよりはマシなのかもしれない。
それに。
(こんな顔させないために、俺は……っ)
直前までの日和始めていた自分の気持ちが引き締まり、お守りを握る手にさらに力が入った。緊張が和らぎ、いつも接しているのと同じように言葉が出る。
「そっか。じゃあ行くか」
「うん、そうだね」
一人でお守りを買いに歩いた道を、今度は和花と二人で歩き戻る。途中、お守りを買った社務所の前を通ると、バイトの巫女さんと目が合った。巫女さんは御調と、そして隣を歩く和花を視界に入れるとなにかを察したらしく、
「――っ!」
胸の前で小さく拳を握ってガッツポーズを向けた。その意味を御調も理解し、和花に見えないように同じポーズを巫女さんへと返す。
なんとノリの良い巫女さんだろう。それだけでなんだかお守りの効果が倍になったような、妙な安心感を覚えてしまった。これならいける。きっと上手くいくんじゃないか。そんなことを思い、巫女さんに感謝の念を送っていると、
「…………飯塚くん」
「――っ、は、はいっ?」
突然声をかけられて変に声が裏返る。それに和花が少しおかしな顔をしたが、
「……悪い、なんでもない。……それで?」
そう言うと和花は一瞬だけ間を置いて続ける。
「…………あれから、どう?」
あれから、というのがなんなのか、いちいち確認するまでもなくわかる。
この数日、御調と秋那はちょくちょく連絡を取っていた。同性ということもあるのか、和花も秋那へは少し話がしやすかったらしく、御調よりも秋那と連絡をとる回数が多かったようだ。
その秋那からの話によれば、状況は改善しておらず、和花は真宙からの連絡を無視しているような状況らしい。もちろん和花に悪意があってそんなことをしているわけではないことは理解している。でもだからこそ、連絡を取ることを躊躇ってしまう真宙の現在の状況が気になるのだろう。
「……秋那からは、どこまで?」
「あの後、ちょっと喧嘩したって……ごめん……」
「なんで古賀が謝るんだよ。あれはどう考えても真宙が悪い」
「……うん。ありがと」
そう和花は口にするが、やはり納得はできていないらしい。和花は和花で自分に非があると感じているのだ。
「……まあ確かに、ちょっと真宙とは揉めたけど。でもそれでなにも絶交したとかそういうわけじゃないしさ」
あれで二人の友人関係が途切れたわけじゃない。ただ、今まで喧嘩なんてしたことがなかったため、お互いに少し困惑しているのだ。それで連絡を取りにくくなっている、前のように話すことできずにいる、ただそれだけのだ。
「でも……」
「確かにさ、真宙の気持ちは少なからずわかる。あいつの苦しみが俺たちとは比較にならないこともわかってる。だけどやっぱり、心配してくれている古賀に当たるのは違うと思うんだ」
例え真宙の精神状態がどうであれ、そこだけは納得することは出来なかった。
悲しいから、辛いから、苦しいから。そう言えばなんでも許されるわけじゃない。ましてや近しい苦しみを背負い、それでも自分のことを心配してくれる相手に対して感情をぶつけていいわけがない。
「……私、あれからずっと考えてる。あのとき……ううん、最初から、私はなにをするのが正解だったんだろうって」
「それは……俺にもわからない。どうしたらいいかなんて、難しすぎてさっぱりだ」
もしもあのとき、桜良がいなくなったと知らされた日。真宙にとって最良の答えを出すことが出来ていたら、そこへ導いてやれていたら、きっと今、こんな風にはなっていなかった。
だけどその答えはまだ子供の御調と和花には難しくて……いや、大人だって瞬時に正解を導き出すことは出来なかっただろう。だから仕方がなかった。この結果は、きっと避けることは出来なかった。
「でもだからこそ、俺たちは俺たちが真宙のためになると思ったことを、俺たちが正しいと思ったことをするしかないんだと思う」
「……うん」
「ってことはさ、あのときの古賀の行動だってやっぱり正しかったんだ。……真宙のためを思って言ったんだからさ」
真宙のためと自分で口にした言葉で少しだけ胸が苦しくなる。だがポケットの中のお守りと察しの良い巫女さんの笑顔を思い出してなんとか耐える。
「……」
「……?」
隣から視線を感じて顔を向ける。すると和花が御調のことを見上げていて視線が交錯した。
「な、なんだよ……」
意味あり気にジッと見上げられて妙に照れくさい。よくよく考えればこんな風に見上げられたことは今までなかった。
「飯塚くんって、優しいよね」
「優しい……? 俺が?」
「うん。私が落ち込んでたから今日誘ってくれたんでしょ? それにそんなことまで言って元気づけようとしてくれたし」
「いや、それは……」
確かに和花が落ち込んでいて元気づけないと、という気持ちはあった。だがそれを優しさだと御調は思っていない。なぜならそれは、ただの優しさではなく特別な感情からくるものだからだ。
だが和花はそんな御調の真意は知らない。ジッと御調のことを見上げたまま続ける。
「思えば中学時代から飯塚くんには色々助けられてきた気がする。私が今みたいに落ち込んでいたり、何か困っていたりするといつも助けてくれた」
和花はまだ真宙のことで気持ちの整理がついていない。いつもの和花の精神状態ではない。だからそう言って見せた笑顔はどこかぎこちなかったが、それでも笑顔を見せてくれたこと、そして御調に対してそんな風に思っていてくれたことが嬉しくて、胸の中は言いようのない高揚感で溢れた。
それが例え、百パーセントの善意でなかったとしても、和花へ対する想いや下心からのことであったとしても、他の誰でもない、古賀和花にそう言ってもらえたことは御調の中で自信に繋がる。
押し殺して叶わないと思っていた気持ち。その気持ちが通じたわけではないが、それでも少し報われた気がした。
「ありがと。飯塚くん」
「――っ。……そ、それは……古賀も一緒だろ?」
和花の言葉は正直、一切予想していなかった。そしてそれは嬉しい反面、大きなダメージを御調の心にも与える。
これ以上、和花の目を直視していたらどうにかなってしまいそうな気がして、御調は目を逸らしてそんなことを言った。
「私? 私は、別に優しくなんて……」
そう口にした和花の表情が僅かに陰る。
きっと、いや、ほぼ間違いなく真宙との一件を思い返しているのだろう。傷ついている真宙に対してあんなことを言う自分は優しくなんてないのだと、そう責めているように感じられた。
「そんなこと……」
「……でも、そうだなぁ。もしも私が優しい人に見えるのなら……それは間違いなく、桜良ちゃんの影響だよ。私はね、桜良ちゃんに憧れてた。桜良ちゃんみたいになりたかったんだよ」
(桜良、か……)
「打算なんだ、私の優しさは。そういう風に見られたいから、よく見られたいから、そうしてる。桜良ちゃんみたいになりたかったから」
例え和花が桜良に憧れを抱いていただけだとしても、桜良の真似をしていただけだとしても、それは和花が優しくないという理由にはならないと思った。そもそも優しくない人間は、誰かの真似をしたところですぐにボロが出る。他人から優しいと評される人間にはきっとなれない。
だから和花は自分で思っている以上に優しい人だ。
だがそんな和花と、いや、他の大勢の人間と比べても、中間桜良は頭一つ抜けている。
桜良は他人を見捨てない。それがどんな場合であれ、自分にどんな不都合があるとしても、彼女の優しさは少なからず他人を救う。そして結果として自分がどれだけ傷ついたとしても、それを笑って「良かった」と言える人間だった。
人によっては桜良のその行動は異常に映るかもしれない。だが逆にそれらを誇りに思う人間もいる。それは家族であり、友人であり、恋人であり。そういった人間から見れば、やはり桜良は『規格外の優しい人』という印象なのだ。
和花の中で自分の優しさと桜良の優しさには決定的な違いがあるのだろう。それを改めて自覚したのか、和花は先程までのぎこちない笑みすら消して俯いた。
だが、それでも。
「……みんなそうだろ、そんなの」
「え?」
「誰だって良く見られたい」
特に好きな相手には、と思ったが口には出さなかった。
「でもそれを『打算だ』なんて考えてるやつはいないって。俺だってそうだ。だからきっと、自分の行動を『打算だ』と考えてしまう古賀は、やっぱり優しい人なんだと思う。だってそうだろ? 他人のことを考えてなきゃ、そもそも『打算』なんて言葉出てこない」
桜良は常に他人のことを考え、優先してきた。そして和花はそんな和花に憧れ、桜良の真似をして桜良の良さを取り入れようとした。
しかし心の奥底の本当の部分でそれが出来ていないと自分でも気づいていて、それを『打算』などという言葉で貶めた。
「それは自分のことしか考えていない人間からは出てこない言葉だと思う。それってつまり、古賀だって他人のことを考えることが出来る優しい人間、ということになるんじゃないか?」
確かに桜良とは違うし、桜良のようにはなれていない。
だが桜良の優しさだけが全てじゃない。これは和花の優しさなのだ。
「え、あ……。えっと…………あり、がと……」
その歯切れの悪い返答に顔を向けると、和花もまた顔を御調から逸らしていて、そして僅かに頬が紅潮しているようだった。その様子を見て御調も自分が今発した言葉を思い返して恥ずかしくなる。
(な、なに言ってんだ、俺……っ)
勢いというのは本当に怖い。普段なら絶対に口に出来ないような言葉に、お互いにそっぽを向いて黙り込む。
お互いの視線の先には自分たちと同じように初詣に訪れた人たちがたくさんいる。そんな彼ら彼女らの喧騒の中にいるはずなのに、御調には(おそらく和花も)その喧騒が全く耳に入っていなかった。
うるさいはずなのにやけに静かに感じる中で、自分の心臓の音が一番うるさく聞こえていた。
「…………そっ、いえば……そんなこと言うってことは、飯塚くんも良く見られたい人がいるってこと!?」
「――っ!?」
この気まずい沈黙に先に耐えられなくなったのは和花で、なんとかこの状況から抜け出そうとしてかけた声は上擦っている。だが御調はその質問に余計に居心地の悪さを感じて動揺してしまう。
「え、あ。そういう人いるんだ、飯塚くん」
「――っっっ!?」
和花も冗談のつもりで口にしたのかもしれない。だが御調の自分でも思っていた以上の過剰な反応は、和花の質問へのわかりやすい肯定だった。そして和花だってそんな反応をされれば御調の心情くらい察することが出来る。
「へぇ、知らなかったな。……私の知ってる人かな?」
御調の中では、同年代の女子というのは恋愛話が好きという印象だ。そしてその例に漏れず和花も人並みに恋愛話に興味がある。直前までの気まずかった雰囲気が和花からは薄れているのが感じられる。
「誰だろう?」
(……お前だよ! ……とは、ちょっとまだ言えん……)
想いは伝えるつもりでいる。しかしこんな唐突な質問の返しでサラッと言えるほど、御調は慣れてもいなければ成熟もしていない。
買ったばかりのお守りを握りしめ、
「……さあ?」
と答えるのが精いっぱいだった。
「むむ、気になるなぁ」
そんなことを言う和花には笑顔が戻っていた。それは真宙との件が起こる前の状態に近い笑顔だ。その笑顔が戻ってきたことは素直に嬉しい。しかしこの話題を続けるには、御調の心臓が持ちそうにない。
なんとか話を逸らさないと。そんなことを考えて辺りを見渡すと、少し先で甘酒を配っているのが見えた。
「――っ! 古賀、ちょっと待ってて」
「え、あ、うん」
和花からの返事を待って御調は甘酒の配布所に走った。
配布所には数人が並んでいて、温かい甘酒で冬の寒さを少しでもやり過ごそうとしている。御調もその列に並び、
(あっぶねぇ……)
正直、あのまま会話を続けていたらボロが出て告白前にバレてしまっていたかもしれない。それは考えうる限り最悪だ。それだけは避けなければならない。だからこの甘酒の配布は会話を中断するいいきっかけだった。
(……でも、笑ってたな、古賀)
つい最近まで普通に見ていたはずなのに、なんだか和花の笑顔を見たのはとても久しぶりな気がした。
御調に精神的なダメージがあったが、そんなことは些細なことだ。和花が以前のように笑顔を見せてくれるのなら、自分が恥ずかしいことくらいなんでもない。
一分ほど待つとすぐに御調の順番が来て、二人分の甘酒を持って和花の下へ戻り、貰ってきた甘酒を手渡す。
「ありがとう、飯塚くん。……暖かいね」
甘酒を一口飲んで和花は笑顔を見せる。次いで御調も甘酒を口にした。
それからしばらく二人で甘酒をちびちびと飲みながらお参りするための列に並ぶ。そして甘酒を飲み切る頃には、周りが盛大に新年へのカウントダウンを始めていた。
御調と和花もそれにつられてカウントを始め、ゼロになった瞬間にお互いに視線を交錯させる。
「あけましておめでとう、古賀」
「あけましておめでとう、飯塚くん。今年もよろしくね」
「こちらこそ」
そう言って再び、今度は二人で笑いあう。
去年の初詣は四人だった。しかし今年は二人なうえ和花と真宙のこともあった。でも最終的には二人で笑顔のまま年を越すことが出来て、誘って良かったなと御調は思う。
それからは他愛ない雑談をして列の順番を待ち、自分たちの番にはお賽銭を投げ入れて二人で神様へと願う。
いつもは漠然としたことを御調は願っていた。しかし今年は違う。明確な願いを持って神様へと祈る。
その願いはただ一つ。
ちゃんと和花へ想いを告げる勇気を持てますように、と――。
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