第2話 憂鬱が多すぎて気が滅入る日常。

月曜日。

憂鬱な朝だが起きなければいけない。

月曜日は燃えるゴミの日、この暑い最中、1回だって出し忘れたくない。

7時も過ぎると太陽の主張が激しい。


滅べばいいのに…。


ついそんなことを思い、黒いものを垂れ流してしまう。

近所の大きいお姉さま方は朝から元気にウォーキングだの、家庭菜園だのと忙しい。

「おはようございまーす」

声をかけつつ、ゴミを出す。

挨拶は大事だ。ただでさえ無職の独身小梨(子供がいないこと)、世間の風当たりは少しでも勢いを弱めたい。

「あら、おはよう。今日もいい天気だわねぇ」

「暑くなりそうですねー」

本当にねえ、と言って、そのまま何かを続けそうな気配を察知しつつ、避けるようにそそくさと玄関に戻る。

幸い、近所の別の人がゴミ出しに出てきたらしく、賑やかな井戸端会議が始まったようだ。


ガラガラピシャっと玄関の引き戸を閉めると、はあああああああ…っと自然に盛大な溜息が出た。

まず日差しがダメだ、そして挨拶はするが世間話はしたくない。人に接する際は極めて愛想良くしているものの、蓮花は自分を「究極のコミュ障」だと自認している。

にこにこして社交辞令は言えるが、他人への興味なんてさらさらない。

だが親切にはするべきだという道徳心はある。

だから自分が自分の手に負えない。


玄関を上がると、何となくまた溜息が出た。

結局、たいして片付けもできないままの乱雑な玄関に気が滅入る。

本当は南向きの明るい部屋が良いのだろうけど、南向きの部屋は親の代からそのまま受け継いだモノのごった煮状態で、到底2日で片が付くような物量ではない。元は和室で、雪見障子のはまった水屋付きの、割と凝った造りの良い茶室だ。

それが父親の自宅療養をきっかけに徐々に生活品があふれ、入退院を繰り返すようになると着替えやタオル、洗面用品などの「入院グッズ」がセットとして準備され、そのうち片付ける…なんて言えない物量になって、現在に至る。

品の良い茶室は、見るも無残にモノにあふれた倉庫になった。

だからピッタリと引き戸を閉めて、余程何かを探す時でなければ足を踏み入れることはしない。

片付けたくない訳ではない。

どちらかと言えば、片付けたい。

書院の違い棚に干支の置物を飾って、床の間には親父のコレクションの掛け軸を飾りたい。

だがそうなるまでの道のりを考えただけで、もう体が動かない。

見たくない、いつか、そのうち、元気になったら、そんな風に言い訳を並べて逃げている。

逃げてる自分が厭だから、この部屋を見ないように近寄らない。

だから、いつも玄関をあがると溜息が出るのだ。


北向きではあるが、その隣の部屋をかろうじて使える状態にしようと思ったのだが、くたびれたソファと古びたピアノがある部屋に布団を敷く訳にもいかず、結局のところ、台所と、その奥の一部屋だけを片付けた。

蓮花の自室は2階だから、これで、必要最低限の接触で済む…という利点もある。

台所に行って冷蔵庫から長ネギと豆腐を出し、小鍋に水を入れてコンロにかける。

親が居た頃は昆布と鰹節で出汁を取っていたが、自分ひとりが食べるのに…と面倒くさがって市販の顆粒出汁を使っている。

減塩に慣れた体に市販品は少し塩辛いが、量を少なめにすれば美味しいものだ。

そんなことをふんわり考えて、蓮花はハッと思いつく。


「食べられないものとか、アレルギーとか、聞いてないわ」


来るなら来るでご飯の支度というものがある。

と思いかけ、そもそも本当に今日来るのか、来るなら何時に来るのかと…と、つい考え込む。

ぐつぐつと煮立った鍋の火を止めて、京風味噌を溶かす。

やわらかく品の良いこの味噌が蓮花は好みだった。

白いご飯とお味噌汁、柴漬けに、昨日の残りのほうれん草の御浸し。派手さはないけど、おなかには優しい。要するに塩気の薄い年寄臭いメニューだと自分でも思う。


ご飯は作るつもりでいたけれど、くちに合うだろうか…。


ふと、不安になった。

やっぱり今からでも断ろうか…。

でも向こうはここで生活できると思ってるのに、急に断られても行くところがあるのかどうか。もしも路頭に迷ったら…?

と、思考が堂々巡りする。


蓮花の日常はいつもこんなものだ。

起こる可能性がある「悪いこと」はだいたい何でも思い描いて不安になる。

不安になって溜息が出て、それがきっかけで気が滅入り、滅入ったままで憂鬱さが抜けないまま毎日をひっそり生きていた。

自分の倍以上の年齢の近所のお姉さま方は、連れ合いを亡くして少し塞ぎ込んでいても、今はすっかり元気に毎日を溌溂と生きている。

毎年小さな寄せ植えを手掛け、たまの連休には都会へ出ている息子夫婦が子供を連れて帰省して。

蓮花は、そういう幸せを羨ましいなと思う。

自分とは別世界のドラマを見ているような、まったく実感のない「羨ましいな」なのだ。

もそもそとご飯を口に運びながら、蓮花はそうやって考え事をするのが癖だった。


ぼんやりと、金曜に見た元同僚を思い出す。

隣に居た女性がとても華やかで綺麗な人だった。

手入れされた爪に、おしゃれで上品なスカート、可憐という言葉がぴったりくるような女性らしい女性だ。

華奢で、ほっそりして。

男性でなくても、つい、助けてあげたい、守ってあげたい、と思わせる。


自分とは全然違うな…。

そう思いながら食べるご飯は味気なかった。

おなかに優しいはずなのに、喉を通っていかない。食べることが重苦しくて、途中で箸を置いた。

ラップをかけて、また昼に食べよう。

そう思って立ち上がったところへ、玄関からインターホンの音がした。


時間はまだ7時半を少し過ぎたところ。

「こんな早くに誰だろ。回覧板かな」

ぶつぶつと独り言を言ってから、はーーーーーいと返事をする。

履き古したスリッパを引っ掛けてガラガラと引き戸を開けた。

開けた隙間から顔を出して「はいはーい?」とインターホンの主を探す。

近所の誰かか、町内の役員か、それとも新聞購読のセールスか、どうせそんなところだろうと見た先に、派手な金とピンクの頭が見えた。

異常に整ったツラ。

くっきりした大きな目。

にこにこと愛想良く、外国人にしか見えないその派手な少年は言った。

日本人かと思うような流暢な日本語で。


「磯崎さんのお宅であってますか? 今日からお世話になります!」

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