第26話 『推し』
貰ったコメントと、目の前の彼女が繋がらない。
でも、ここでそんな嘘を吐く理由が見当たらない。
「あたしね、昔、とあるライバーさんを推してたの。それはもうすっごく、すっごくすっごく、生き甲斐だったし、その人を応援するのがあたしの人生の全てだった。って、
「う、うん。ごめん……勝手に聞いちゃって」
「いいよいいよ。別に内緒にしてるわけじゃないし、蛍からもさ、言っていいかって聞かれたんだ。
「え? そ、そうなの?」
「蛍、あたし以外には結構キツイこと言うときあるけど、根は良い子なんだよ」
本人は猫を被っているみたいだったけど、みかんさんにはバレバレのご様子。
「それでさ、推して推して、その結果は佐凪さんも知ってる通りなんだ。あたしの応援が重荷になって、その人は引退しちゃった。円満な卒業とかじゃなくって、SNSに、散々愚痴と文句をぶちまけたあと、あたしにDMで『あなたの応援、重くて正直しんどかった」』ってメッセージ送ってきてさ」
なんてひどいことを、と言おうと思ったけど、私にそんな資格はない。私もその重荷に耐えきれず、折れた一人だからだ。
「あたし、もう何が正解か分からなくなって、生きる希望を失って、まぁ有り体にいえば病んじゃって、食べ物が喉通らなくってさ、入院したの。それからだんだんと腹が立ってきて、なんであたしだけがこんな思いしなきゃならないんだって思いはじめたら、誰かに当たりたくなってさ。それで、動画サイトで、手頃な配信者を探しはじめた」
それはまるで、通り魔が反撃しなさそうな弱い人間を狙うような、狡猾さと、醜さを集約したような行為だ。
「それで見つけたのが。
「え? い、いや。でも、言われるまで覚えてなかったし、たぶん、そこまで傷ついたってほどでもなかったと思う」
あのコメントは、否定的なものではあったけど、決して誹謗中傷などではなかった。傷つけようと刃物を手にしたみかんさんも、結局、血肉まで切り裂く勇気はなかったのかもしれない。
いや、優しい人なのだ。この人は、どこまでいっても。そんなみかんさんの、精一杯のイジワルが、きっとあのコメントだったのだ。
「でもね、あたし、あのとき、もしかしたら救いが欲しかったのかもしれない。そんなことないよって言って欲しかったのかもしれない。そして雨白さんは、あたしの本当に欲しかったものをくれた」
「わ、私、なんて言ったっけ」
「好きなものは、好きで、やめるとかやめないとかじゃないもん」
揺るがない顔色のまま、みかんさんはハッキリと言った。
「一字一句、違わず覚えています」
みかんさんは、どうしてこんなにも、私のことを話すとき、自信に満ちあふれているんだろう。強く、気高ささえ覚える、不思議な感覚の出所は、なんとなく分かっている。だけど、それを自覚するのは分不相応だから、避けてきた。
「雨白さん。……ううん、佐凪さん」
「は、はい」
「佐凪さんは、人の心を揺さぶる『好き』を持ってる。すごく後ろ向きで、遠慮がちで、こじらせたみたいな感情だけど、それはすっごく、なんていうんだろう……必死に、見えて……そう、必死!」
ずっと探していた言葉にようやく辿り着いた。そんな様子で顔をあげるみかんさんの瞳には、星が瞬いている。
「佐凪さんの懸命に伝えようとする必死さが、いつだって心を打つの。この人は、こんなにも苦しんでいる。もがきながら、それでも離さないものがある」
言葉の力なんてものを、私は信じない。
だけど、みかんさんが私について語っているところを見ると、張り巡らせていた懸念や不信感という防壁が次々と破壊されていく。そうすると私は、このみかんさんという人を信じるしかなくなる。
「だから、あたしは変われたんだよ。生きる希望を失ったあたし、誰かを傷つけてやろうと、アンチだったあたしを、雨白さんは一瞬にして変えた。だからきっと、お母さんも分かってくれるはずだよ」
『好き』を語る人間というのは、どうしてこんなにも、眩しいのだろう。
「伝えてみなよ! やりたいとか、買って、とかじゃなくって。好きだから! って、それは佐凪さんのほんとの気持ちのはずだから、ぜったい、ぜーったい伝わる!」
目の前に、拳が突き出される。
そうだ、ここからは、二人三脚じゃない。
この人は、私の味方でもなければ、仲間でもないのだ。
ただひたすら、背中を押してくれる。
「でもね、勘違いしてほしくないんだけど」
みかんさんの拳に、ちょんと拳を当てる。慣れないその触れ合いに微笑むと、みかんさんは自分の席の方を見た。
「私は、雨白さんだけじゃない。
入りきらない。私の中で、みかんさんの『好き』が溢れて、もうパンパンだ。
「ウスバツバメガの幼虫を、クラスの男子から守ったとき、あったでしょ? あれ、すっごくカッコよかった。あそこであたし、胸打たれたなぁ。あれがきっかけで、もっと佐凪さんと仲良くなりたいって思うようになったんだよ」
「あ、あんなことで?」
「うん。優しいなっていうのもそうだけど、好きなんだなっていうのが、伝わってきたから。そのあとに佐凪さんが雨白さんだって知ったわけだけど、そうじゃなくてもあたしは佐凪さんと友達になってたと思う。ね?」
「ね、というのは……」
「雨白さんっていうvtuberも、村崎佐凪っていうあたしの友達も、どっちもすっごく魅力的な人で、あたしの大好きな推しだってこと!」
人を傷つけたかったというみかんさんの気持ちも、きっと嘘ではなかった。そんなみかんさんが、こんなにも笑顔で、誰かを応援している。そして、そうさせたのは、紛れもなく、私だ。
「あたしは、こうやって応援することしかできないけど、でも、それがあたしの役目だから。大好きな人が、幸せになってくれることを、毎日、毎分、毎秒、願ってる。重い、かな」
私は首を……縦に振った。
「重い、かも」
「う……だよねー……」
「でも、約束したから、ムキムキになるって」
袖をまくって、力こぶを作る。……ないけど。
校舎にチャイムが鳴り響く。
すでに部活動は始まっており、グラウンドや廊下から、部員たちのかけ声が聞こえてくる。
何かを目指し、頑張り続けるには、好きでないとムリだ。冷めることのない情熱と、褪せることのない憧れが、誰かの心を焦がしていく。
その輪の中に、私も入れてもらえるだろうか。
たかが趣味。まだ世間に浸透しきっていないvtuberという活動。お母さんのような人はきっと、簡単には許容しないのだろうけど。
伝わるだろうか。
「佐凪さん、はい」
みかんさんが、両手を広げている。
私は、そんな彼女の胸に飛び込んだ。力強い抱擁は、まるで温もりと勇気を、分け与えてくれるようで。
「これで、配信で話すネタ、増えた?」
「うん……今日、教室で、ハグしましたって」
求められているもの、需要、そして、やりたいこと、天秤にかけるのは難しい。
でも、そのすべてが平等に揃ったときが、充実だと私は思っている。
「みかんさん、私、行ってくる!」
一滴たりとも零さないように、すくいあげて、身体を離した。
「うん! 頑張って! ぜったい、大丈夫だよ!」
受け止める。折れないように、胸を張って。今度こそ、この重荷を、力に変えて。
小さい頃置いてきたものを、今から取りに行こう。
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