第25話 反転アンチ反転
宝物というのは私にとって、昔から物に依存していた。友達と過ごした日々とか、楽しかった思い出を大切に保管しようと思ったことはない。
私にとっての宝物は「ギアテニ」というゲームだった。もう発売してから八年が経過している。対応したゲームハードはとっくに生産が終了していて、中古ショップを巡ってもなかなかお目にかかれるものじゃない。
ゲームハードとギアテニにはプレミアが付いていて、二つ合わせれば六万円ほどの値段になる。
「お父さんの職場に、パソコンに詳しい人がいるみたいだから聞いてもらったんだけど。ゲーム配信をするくらいのスペックだったら、新品で十五万円くらいで売ってるって。中古なら六万円くらいで売ってるところもあるみたいだけど」
わざわざメモを取ってきてくれたのか、みかんさんがスマホを見ながら説明してくれる。
今日は生物部の活動はやっていないので、コンビニに行って求人雑誌でももらいに行こうと思ったところで、みかんさんが声をかけてくれたのだ。
放課後、ほとんど人がいなくなった教室では空席に座り放題だ。みかんさんは私の向かいの席に座ると、スマホでオススメの通販サイトなども見せてくれた。
「あ、ありがとう。いろいろ調べてくれて」
「ううん! 全然気にしないで! ところで、
「お母さんに聞いてみたけど、その、ダメだった」
ダメ、というのには語弊がある。
私はお母さんに配信自体をやめろとまで言われてしまった。お母さんの言っていることは分かるし、配信をしたいからパソコンを買ってというのは確かにワガママだったかもしれない。
寝る前にいろいろ考えて、アルバイトをする決心をした私だけど、それでもお金を貯めるにはそれ相応の時間がかかる。
それを逃したら今度こそ、私は埋もれてしまう。
別に、数字だけが大事なわけじゃないけれど、私はみかんさんとの約束も忘れたくない。
チャンネル登録者数十万人。到底無理かもしれないけど、できることはしたい。
「お母さん、ゲームとか配信とか疎くって、配信なんてやめなさい! って言われちゃった」
「そうなんだ……そう言われちゃったらしょうがないよね。じゃあ、やっぱりアルバイトしかないのかな」
心の片隅に、ずっと引っかかっているもの。
土埃に付着する髪の毛みたいに、小汚く、吹けば消えてしまうものが、しぶとく残っている。方法は、まだある。
ギアテニを、売ればいい。
プレミアが付いているギアテニとゲーム機本体を売れば、六万。中古のパソコンになら手が届くようになるかもしれない。
だけど、怖い。
ずっとあのゲームが希望だった。友達もいない、趣味もない、才能も夢もない、そんな私が家に帰ってやることと言えば、ギアテニだった。
ギアテニは私の生活を支えてくれていた。なんの楽しみもなかった人生に、目的を与えてくれた。悩んで、苦しくて、泣きそうな夜も、ギアテニをやれば全部忘れられた。
そして、そんな私を好きになってくれる人まで現れた。みかんさんは、ギアテニをやり続ける私をカッコいいと言ってくれた。みかんさんと私を繋いでくれたのもまた、ギアテニだった。
そんな私の宝物を、売るなんて。
「佐凪さん?」
「あ、えっと」
みかんさんも、明らかに私を心配してくれている。
「パソコン、だけじゃない?」
「え?」
「悩み事」
スマホをしまって、私を正面から見つめるみかんさん。
教室の窓から、夏の香りがする生暖かい風が入り込んでくる。カーテンがふわっと舞うと、開きっぱなしだったノートがぱらぱらとめくれた。
「じ、実は、私の持ってる、ギアテニあるでしょ? あれ、ゲーム機と合わせて売ると、六万くらいになるんだ」
「え、そうなの!? すごい、プレ値ってやつだ!」
「そうなんだ。マニアの間だと結構有名で、特に初回限定版だともうちょっといくみたい」
「佐凪さんが持ってるのは、初回限定版?」
頷くと、みかんさんは「へー!」と興味深そうに目を丸くしていた。
「でも、なんで急にそんな話?」
「う、うん。えっと、だから、それ、売れば、パソコン、買えるかなって、思って」
「そうだね。六万なら、ちょうど中古の値段と一緒くらいだ。え? でも……」
みかんさんの表情が曇っていく。
私にとってのギアテニが、どれほどの価値があるのか、この人も知っている。だってずっと、ギアテニだけをやるという異例の配信活動をしていた私を、推してくれていたのだから。
「た、宝物なんだ」
拳にじっとり汗が滲む。
私の人生を支えてくれたもの。そして、こんな私の不安定な人生を一緒に歩んでくれたもの。
ただのゲームじゃないのだ。
六万円で売れるだなんて言ったけど、本当なら、どれだけお金を積まれようと、手放したくなんかない。
「そうだよね。大好きだって言ってたもん。売るのなんて、ダメだよ」
「私も、そう思う。だけど、なんていうか」
宝物であるということは紛れもない事実だ。だけど、それと同時に、ギアテニは私を縛り付けているものでもある。
「ずっとね、逃げちゃうんだ。今だってそう。雑談枠や、歌枠だってこれからやっていかなくちゃいけないのに、そういう、慣れないものに挑む気力とか勇気がないとき、ギアテニしちゃおってなっちゃうの。あのゲームは私の拠り所でもあるんだけど、でも、それと同時に、頼っている間はいつまで経っても、変われない気がして」
「それは、でも、誰だってそういうものがあるものじゃない? むしろあったほうがいいと思う。縋るものって、それだけ大事ってことだし」
「けど、変わりたい」
これは直感だけど、今しかない気がした。
私はこの短い期間の間にいろんなことに挑戦した。そして挫折をして、もう一度立ち上がった。今までの人生で、転んだことはあっても、立ち上がったことは一度もなかった。そんな私が今、前に進み始めている。
小さな火かもしれないけど、熱いものが、確かに私の中で燃えているのが分かる。それは多分、覚悟っていうものだ。
だけどそれには期限があって、寝て起きてを繰り返すうちに、火は弱くなっていく。火が消えてからじゃ、絶対に遅い。
「今までの私じゃなくて、これからの私になりたいんだ」
不定形の憧れが、どこに向かっているのかも分からないけれど。やめないと誓ったあの日の私が、少しだけカッコいいと思えたから、このまま突き進みたい。
「未成年だし、買い取りにはまたお母さんを説得しなくちゃいけないかもしれない。でも、もしお母さんが許してくれるのなら、売ろうかなって、昨日からずっと考えてた」
だけど、踏み出せないのは、きっと、昨日みたいにまた、否定されるのが怖いからだ。
「で、でも、そんなの、お母さん次第だしね、一応、い、言ってみてってことで」
「許してくれるって、なに?」
「え?」
「許される必要は、ないよ。絶対ない」
いつの日だったか、同じように、叱るような口調で言ってくれたときがあった。
みかんさんはあのときからずっと、変わらない。変わらないものなんて、無価値なはずなのに。強固なそれは、決して揺るがない輝きを持っている。
「説得しようとするから、きっとそうなっちゃうんじゃないかな」
「じゃ、じゃあどうすればいい、かな。お母さん、結構お堅い人で……」
「伝えればいいんだよ。自分の好きを。佐凪さんならきっとできる」
根拠のない信頼は、ときに私を不安にさせる。
「私ならっていうけど、私、そんなみかんさんが思ってるほどの人じゃないよ」
「そうかな?」
「そうだよ。だって、配信なら、好き勝手喋ってればいいだけだけど、お母さんと話すときにはそうはいかない。だって私は、
登録者数とか、コメント数とか、ネット上での人気や需要なんか一切関係ない。お母さんと、親と、対峙するということは、そういうことだ。
風が止んで、カーテンが戻っていく。気付けば教室には私たちだけになっていた。
グラウンドから、野球部のかけ声が聞こえてくる。何かを目指し、努力する。そんな人たちの声に、みかんさんの声が混ざる。
「ここだけの話だけど、あたし、最初はアンチだったんだ」
「え?」
あ、アンチ? みかんさんが? 誰の?
「変なコメントに、絡まれたことない? 名前もアイコンもデフォルトの、変なやつ」
「名前とアイコンがデフォルト……えっ?」
思い当たるものは一つ。蛍に教えてもらって開いた、私のギアテニ配信で来たコメント。何のためにやってるんですかとか、意味不明なことばっかり聞いてきた、あのユーザー。
。「配信やめたほうがいいとか言ってきた、あれ!?」
思わず大きな声を出してしまった。
だって、まさかそんなはずない。あの優しいみかんさんが、そんな人を傷つけるような心ないコメントをするなんて思えない。
けれど、みかんさんは困ったように笑って、小首を傾げた。
耳に付けた星形のピアスが、寂しげに光る。
「あれ、あたしなんだ」
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