第23話 対峙

 みかんさんが戻ってきたので、舘中たてなか先生に挨拶をして理科室を出る。


 担任に呼び出されたのは、みかんさんが日誌と間違えて社会のノートを出してしまったかららしい。怒られると思っていたから肩透かしをくらった、と笑うみかんさんを傍目に玄関で靴を履いてた私は、あることに気付いた。


「あ」

「どうしたの? 佐凪さん」


 そんな私をみかんさんは待ってくれている。ほたるは少し先ではあるが、足を止めてこちらを振り返っていた。


「ゲーム配信、しようと思ってたんだけど」

「うん」

「パソコン壊れたんだった」


 忘れてた。私のパソコンは階段から落ちた拍子に部品が飛び散ってしまい、修復不可能な状態にあるんだった。


 今はスマホで配信している状態だけど、当然ながらスマホで据え置きのゲームを配信に載せることはできない。直撮りという方法もあるけれど、雨白あめしろのイラストは使えないし、なにかの拍子でスマホが転がったら私の顔面がネットの海に放流されかねない。


 このまま雑談配信だけならスマホだけでいいかもしれないけど、私は話すよりもゲームをする方が好きだ。特に、最近はギアテニ配信もしていないから、久しぶりにやりたいという気持ちもある。


 原点回帰というか、迷路に入ってしまった自分を修正するには、過去に縋るのが一番良い気がするのだ。


「壊れたからまた新しいのってわけにもいかないもんね、パソコンは」


 みかんさんまで肩を落としてしまう。みかんさんにはすでにパソコンが壊れたことを伝えており、そのせいで配信のモチベーションが落ちていたのだと、やめた理由を付け足した。半分本当で、半分嘘ではあるけど、それでみかんさんの心配が一つ晴れてくれたらいいなと思った。


「バイトするしかないんじゃないですか?」


 蛍が夕陽をバックに腕を組んでいた。様になるなと思うのと同時、なんだかラスボスみたいな風格があってちょっと笑ってしまう。


「でも私、配信もしたい。バイトしたらその時間もなくなると思うし」

「親御さんに聞いてみる、とか?」

「それが一番無難ですかね」


 お母さん……。


 もしバイトをしたとしても、すぐにパソコンが手に入るというわけではない。配信に使うパソコンは動作環境がしっかりしたものではないといけないし、中古や安物のノートではダメだ。特にゲーム配信をするとなると、遅延の影響も大きく出る。


「お母さんは、でも……」


 泥が染みこむみたいに、胸の奥が鈍重になる。そんな私を、みかんさんは心配そうに見つめている。


「ううん、聞いてみる。パソコンがあれば、活動の幅も広がるだろうし」


 校門を抜けて交差点に差し掛かったあたりで、蛍が進路を変える。


「じゃあ、私はこっちなので。行きましょう、柚木ゆずき先輩」


 そっか、みかんさんの家は本来、私の家とは逆方向にあるんだ。


 みかんさんは一度迷って、蛍についていって、かと思うと早足でこちらに戻ってくる。


「パソコンの件、あたしも知り合いに聞いてみます! 雨白さんの力になれるかもしれないので!」

「あ、う、うん。ありがとう」


 みかんさんは照れたように笑うと、今度こそ蛍の隣に戻っていった。


 二人の背中を見送って、私も進路を変える。


 一人で帰路に就くのは、別に珍しいことじゃない。だけど、どうしてか今日に限ってはやけに足が重い。まるで重りを引きずっているかのようだ。


 小学生の頃、クラスの子の髪飾りを壊してしまったときのことを思い出す。あの日はたしか、わざと帰り道を変えて、遠回りして、なるべく家に帰らないようにしていた。


 怒られるって分かっていたというのもあるし、お母さんがきっと悲しんでいるというのも感じていたから。物をよく落としていたから、周りには気をつけろと言われていたのだけど、気をつけても気をつけられないから落とすのだと、心の中でむくれた。


 そんな日と同じように、私は遠回りをした。


 帰るのが怖い。だけど帰らなければお風呂にも入れないしご飯も食べられない。


 でも、家にはお母さんがいる。お母さんに、なんて言えばいいんだろう。


 パソコンを買って?


 呆れられるだろうか。それとも、無視される? 諭されて、私の不甲斐なさを突きつけられるかもしれない。


 気付いたら、家の前までやってきていた。


 道中がとても短く感じる。もう、着いちゃった……。


 駐車場にはお母さんの車が停まっている。庭を挟んで反対側にある駐車場は、私と胡桃の自転車置き場になっている。あそこは本来、お父さんの車が停まっている場所だった。


 庭にも本当は、チューリップとか、姫リンゴとか、花や果物がたくさん成っていた。


 だけど今は、すでに見る影もない。土と泥と、枯れ木と枯れ葉。すべてが廃れ、すべてを失った残骸だけが、風に揺られて塵を舞上げている。


『あいつにどれだけ費やしたか』


 ……全て、私が奪ったのだ。


 お父さんはそんな私に愛想を尽かして、もう育てられないとこの家を出て行った。


 お母さんは私を産んで、後悔しているに決まっている。私さえ産まれなければ、この家はきっと今も花に囲まれて、当たり前の食卓が存在した幸せな家庭だったに違いない。


佐凪さなぎ、そんなところで何してるの」


 突然ドアが開いて、その場で飛び上がる。見るとお母さんが、玄関から私を睨んでいた。


「そんなところでウロウロしてたら変に思われるでしょう。早く入りなさい」

「う」


 自分が今、どういう返事をしようとしていたのか分からない。幽霊のようにズルズルと足をひきずりながら家に入る。


 すでにキッチンからは夕食のにおいがした。


「く、胡桃くるみは?」

「今日は友達の家に泊まるんだって。晩ご飯、冷める前に早く食べちゃいなさい」


 話している間、互いの目は合わない。よく視線がぶつかるみかんさんとは真逆の会話だ。 まるで銃口を突きつけられているみたいに、強ばりが身体から抜けない。


 私は椅子に座って、ご飯にかかったラップを取る。今日のメインディッシュは、ほっけの明太焼きだった。


「佐凪、手は洗ったの?」

「あ、洗って、ない」

「外から帰ってきたら手洗いとうがいはしなさいって言ったでしょう?」


 とぼとぼと、洗面所へ向かう。


 お母さんは、いつだって正しいことを突きつけてくる。私に反論の余地はなく、同時に罪悪感にも似た劣等感に包まれる。


 ドス黒い感情が、再生の兆しを見せている。


 きっと、切り離すことはできないのだろう。これから、人生を歩んでいく以上は。


「ね、ねぇ、お母さん」

「なに?」


 なら、向き合わなければならない。転ぶなとは言われていないし、立ち止まらないなんて約束をした覚えもない。


 やめなければいいのだ。私が立てた誓いは、ただそれだけ。


 黒い感情を飲み込んで、胃に落とした。


「ぱ、パソコン買って」

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