隣の席のギャルが私を推してた#4【雨白】

第22話 配信切り忘れ事件の後……

 百合はユリ目ユリ科のうち主としてユリ属の多年草の総称である。属名のliliunはラテン語で百合の意。和名の由来は、茎が高く風に揺れる様子から「揺り」とされる。古名サイ(佐葦)といい、古事記にも記載が見られる。花姿や草姿、開花期などがさまざまで、多くの園芸品種があることが知られている。


「そして庭植え、鉢植え、切り花に加え、ゆり根を食用にするなど様々な楽しみ方があります! ……どう!? 合ってる!?」


 自信満々に言うと、みかんさんは渇いた笑いで曖昧に相槌を打ち、バケツに水を汲むほたるは盛大にため息を吐いた。


「それは花の百合ですよね。私が言ってるのはその百合じゃないんです」

「ええ!? ち、違うの!?」

「しっかりしてください。柚木ゆずき先輩も呆れてるじゃないですか」

「じゃ、じゃあみかんさんは知ってるの? 百合ってなんなのか」


 みかんさんを見ると、顔を真っ赤にして、俯いてしまった。消え入るような声で何かを呟いたので「え?」と聞き返すと、バッと立ち上がり、梅干しを食べたみたいなすっぱそうな顔でみかんさんが叫んだ。


「だ、だから、女の子同士の恋愛ってことだってば!」


 理科室に、みかんさんの声が反響した。ぶくぶくと、水槽のろ過装置が機械的に音を立てる中、みかんさんの息遣いが大きく聞こえる。


 某日、私は生物部の活動として理科室に来ていた。


 みかんさんはホームルームが終わって日直の用事を済ませてからやってきて、蛍はそのあと少し経ってから舘中先生と一緒に到着した。


 三人揃って集まったのは偶然ではなく、話し合いのためだ。


「つ、つまり百合営業って、私とみかんさんが、恋愛をするってこと!?」


 今度は私の素っ頓狂な声が響く。


 蛍はバケツの中の金魚に餌をあげながら、もう一度ため息。


「そんな正直に恋愛する必要はないです。ただ、リスナーが望んでいるのは恋愛、もしくはそれに近しい関係ですので、意識した振る舞いは必要になってくると思います。あ、もちろん、柚木先輩が、嫌じゃなければなんですけど」


 蛍が上品な笑顔を見せる。私と話すときと全然態度が違う……! 敬語だし、完全な良い後輩モードである。


「い、嫌ってわけじゃないけど」

「ちっ」

「し、舌打ちした……!」

「してませんよー? 妙な言いがかりはやめてくださいね村崎むらさき先輩」


 寒気すらする視線に、怖じ気づいて二の句が継げない。


 塩浴をしている金魚を見下ろしながら、指を水面に付けている蛍。対してみかんさんは、決まり悪そうにもじもじと身を縮こまらせていた。


 今から一週間ほど前、私がみかんさんにやめない誓いを立てたあの日。私はスマホの配信アプリを閉じるのを忘れていた。


 私がみかんさんに言った言葉は一字一句配信に載っており、その配信自体は五十人程度しか視聴されていなかったが、そのうちの一人が『悲報 vtuberの裏の顔』という切り抜き動画を作って投稿してしまったのだ。


 動画内では前半、普段の私の配信が流れて、後半は件の私とみかんさんの会話が載せられていた。「好きでいていいよ」とか、「ずっと推して」とか、他人に聞かれるには恥ずかしい言葉を叫ぶ私に、みかんさんの「好きです」という返答。


 画面は皮肉すら感じるほどのピンクエフェクトがかけられていて、その動画は三十万再生。ショート動画バージョンもあがっていて、そっちの方は百万再生もされている。


 動画を投稿した人は動画の概要欄に私のチャンネルも載せてくれいて、それがきっかけで私のチャンネル登録者数は一気に二万人まで増えた。


 そして私の過去動画まで掘り下げられて、まとめサイトには『このvtuberずっと同じゲームやってて怖いんだが』という記事も載せられてしまった。


 良いんだか悪いんだか分からない影響により、雨白あめしろのリスナーは爆発的に増えてしまったというわけだ。


 そして今、この機会を逃すわけにはいかないと作戦会議をしているわけなのだけど、みかんさんの口から出た「てぇてぇ」という単語に付いて物議を醸していたら、先ほどの「百合」という単語に行き着いたというわけである。


 ちなみに蛍は、なぜか理科室にいて、金魚の様子を見ていた。


 蛍はみかんさんと同じようにvtuberの配信も見ていて、それなりに詳しいとのことで会議に加わってもらっているというわけだ。


「それにしても、まさか配信切り忘れでこんなにバズるなんて。もしかして、狙ってました?」

「ね、狙ってないよ! 本当にたまたま、あのときは焦ってて!」

「そ、そうだよ蛍! 佐凪さなぎさんがそんな計算でするわけないじゃん!」


 いやみかんさん、それって悪口なのでは?


「あのときの佐凪さんの言葉は全部、本心なんだってあたしは思ってる! 一生懸命、佐凪さんなりに考えてくれて、あたしに伝えてくれたんだって分かるから、だから、そういのじゃないよ!」


 私を庇うように前に出るみかんさんに、蛍がビックリしている。私はといえば、掘り返されたことも含め恥ずかしくなり顔に熱を集めていた。


「あたしは、分かってるから」


 みかんさんが振り返って私を見る。


「う、うん」


 私も、頷くしかなかった。


「イチャイチャしないでもらっていいですかね」


 蛍の冷たい視線が、私にだけ向いていた。ええ? 喧嘩両成敗じゃないの?


「まぁでも、そういうのを求められているんでしょうね。現に配信内でも『みかんさんとはどういう関係ですかとか』『進捗求む!』みたいなコメントも多く見られますし」

「あ、蛍。配信見ててくれてたんだ」

「見てませんよ?」

「いやいや……」


 みかんさんが困ったように肩を竦める。蛍は決まり悪そうに咳払いをして続けた。


「今、雨白を観に来ているリスナーのほとんどは、切り抜き動画に登場している『みかんさん』という人物との関係性を求めています。ただ、そこにフィクションはいらないと思っています。ただの友達、というだけでも、リスナーは満足すると思いますし、視聴を続ける理由にもなるんじゃないですかね」

「な、なるほど……」


 前から思っていたけど、蛍の言うことは整合性がある。みかんさんとは違った視点で、リスナーの動向を把握しているというか。


「ね? 蛍、ちょー詳しいでしょ? あたしにvtuberっていうの教えてくれたのも蛍なんだよー?」

「そ、そうなんだ」

「教えたのは私ですが、それに没入することができたのは柚木先輩の感性あってこそです、ご自身の選択を称えてください」

「じゃ、じゃあ私のことを教えたのも蛍なの?」

「そんなわけないでしょう? あいにく、弱小メンヘラ個人勢には興味ないの」


 対応が違いすぎてむしろ笑えてきた。というか口調、崩れかけてますよ。


 自分でもそれに気付いたらしく、蛍は「ともかく」と仕切り直す。


「村崎先輩、あなたはどうしたいんですか?」

「どうしたい、とは」

「リスナー第一でいくんですか? それとも、あの切り抜き動画でも言っていたように、自分の感情が一番大切なんですか?」


 ようするに、視聴者数を取るか、自分の好きなことをするかということだ。前者は、つまり数字を気にするということになる。そうすると、前回みたいに私は潰れかねない。だから本当は、後者を選ぶのが当然なのだろうけど。


「続けていくうちに、決めるよ」

「そんな向こう見ずで、大丈夫なんですか? 配信って、分かっているとは思いますが、楽じゃないですよ。毎日画面に向かって話続けて、伸びる動画と伸びない動画のギャップに悩まされて、自分以外の成功によって劣等感に苛まれる毎日。そんな日々を続けられるんですか?」

「うん、約束したし」


 みかんさんの方を見る。


 こればっかりは、譲れない。もしかしたら視聴者が増えるのは今回だけで、今後見限られて、二度と日の目を浴びることはもうないのかもしれない。だけど、やめないと言ったのは私だから。


 みかんさんのために配信続けるって、決めたから。


「変なところで頑固なんですね。まぁいいです。ならこれからは『百合営業』も行っていくのが利口だと思います。これはあくまでアドバイスなので、選択は、村崎先輩に委ねます」

「や、やってみるよ」


 とはいえ、ここのところ、配信のネタにも困っていたところだし、雑談枠に幅を出すのはいい案かもしれない。


 ふと校内アナウンスが流れて、みかんさんの名前が呼ばれる。この声は、うちのクラスの担任だ。


「あ、あれ? 日誌だしたはずなんだけど」


 みかんさんは思い当たるものがないらしく、首を傾げた。


「とりあえず行ってくるね! なるべく早く戻ってくるよ!」


 理科室を出て行くみかんさんを見届けると、蛍が足を組んで、椅子にもたれた。


「やめなかったのね」

「え?」

「てっきりやめるのかと思ってた。あの日のあなた、とてもじゃないけどこの先配信を続けていけるような精神状態には見えなかったから。それどころか、日常生活すらまともに遅れないんじゃないかってくらい廃れて見えたわ」

「そ、そんなだった?」

「気付いていないの? どう考えても限界の顔してた。肌はくすんでるし、目にはクマができてるし、焦点も合ってなかったしで。……睡眠はちゃんと取ってるの?」

「そういえば、取ってなかったかも。ずっと寝不足で。い、言ってくれたらよかったのに、あのとき」

「私はあなたがどうなろうと知ったことじゃない。それに、やめてくれるなら都合がいいって思っていたから」


 それは、みかんさんをこれ以上傷つけないようにってこと、だよね。


「でも、やめないほうを選んだのね」

「まあ、うん。そうだね」

「死ぬまで?」

「えっと、それは分からないけど」

「決めなさい」


 蛍の低い声が、鼓膜を震わす。


「やめるのが最善と言ったはずよ。それなのに、あなたは続ける方を選んだ。なら、決めなさい」

「き、決めるって、何を?」

「覚悟に決まってるでしょう。あなたがどうなろうが知ったことじゃない。だけどね、この先、また今回みたいにくすぶって、勝手にメンタル崩して、配信やめますなんて言って柚木先輩を悲しませたら、今度は私が許さない。だから覚悟を決めなさい」

「も、もし……やめたら?」


 おそるおそる、聞いてみる。


 蛍は心底、嬉しそうな顔で私を見下ろした。


「もちろん、殺すわ」


 小学生みたいな暴言を喰らった。


「分かった、やめないよ。死ぬまで」

「そう、ならいいわ」


 蛍は長い髪を後ろに流すと、納得したように目を閉じた。


「それと、金魚、ありがとう」

「別にあなたのためじゃないわ」

「そうだけど、私、あの金魚を見てもうダメだって思ってた。でも、蛍が知識を持ってたから、塩浴させて、今ではだんだんと上手に泳げるようになってきた」


 あれからすぐに舘中たてなか先生に言って、塩水を作って金魚の療養を始めた。三日ほど浸けているとだんだんと良くなってくるけど、水槽に戻すとまた再発したりで大変だった。


 塩浴というのは金魚の体力も奪うので、頻繁にできるものじゃない。だからきちんと餌を与えて、体調を整えてからやる必要がある。


 蛍の言う通り、根気が必要だった。


「知識って大事なんだね。知らないと、なんていうか、諦めちゃうことが多すぎる」


 たとえば自分との向き合いかたもそうだ。もうダメだって死にたくなる日もあるけど、そういうときはだいたいメンタルが不調なときで、しっかりと睡眠を取れば治ることもある。


 そういう自分の状態に気付けるようになったのも、今回の大きな収穫だった。


「蛍は生物部、入らないの?」

「は?」

「だって、こんなに生き物好きなのに」


 知識もあるし、なんといっても、金魚を眺めているときの蛍はすごく、慈愛に溢れている。きっと好きなんだろうなっていうのが見るだけで分かるというのは珍しいと思う。


「部にはもう入っているわ」

「え? そうなの?」

「舘中先生から聞いていないの?」

「えーっと、あっ! そういえば蛍が来る日に、理科室には必ず来るようにとは言ってたかも!」

「あの先生、言葉が足りなすぎるのよ……部にはとっくに入ってる。けれど、来るのは私の自由でしょう?」


 でしょう? と自信満々に言われても……。


「蛍って、結構不良だよね」

「偏見と表現の衰えね」

「え、どういうこと?」


 蛍の言葉は、時々難しい。


 私の言葉には答えず、蛍は塩浴している金魚をジッと見つめて、誰に向けてでもなく言った。


「泳ぎ始めていることに、まだ気付いていないのね」


 お腹を見せた金魚は、くるくると身体を回して、水面を器用に移動している。


 底に落ちている餌を見つけると、さっきまでの泳ぎが嘘のように、綺麗な動きで水底へと潜っていった。

 

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