第21話 私の気持ちと、思わぬトラブル
スマホでの配信はパソコンとは違い、アプリでの操作が必要だった。
イラストを動かすこともできるアプリもあったけど、媒体が異なるので私が利用していた動画サイトとはまた別のユーザーで登録する必要がある。サイト間での連動サービスもなく、転載やミラー配信はしていいとのことだったが、パソコンがない私はどちらも不可能だ。
私のスマホは古い機種で、フェイストラッキング機能がそもそも付いていないので、やはり胡桃の言った通り、静止画を載せたスマホでの配信となる。
配信を再開してから二日が経つ。スマホでの配信という形式を取っているため、ゲーム配信はできず、基本的には雑談配信ということになった。
話すのは大変だ。ゲームと違って、私のトークスキルが試される。人生経験も薄い私の話は同じくらい薄っぺらで、画用紙のようにひらひらと落ちていくばかり。
それでも続けるしかない。
だって、苦しいのは私だけじゃないから。
みかんさんは私に何度も話しかけてくれた。昨日の配信良かった、とか、感想や、応援を絶えず伝えてくれた。一度自分の好きを諦めたみかんさんが、再び誰かを好きになるというのはきっと勇気が必要だったのだと思う。
また、前みたいになったらどうしようと、不安に押し潰されそうにながらも、私に笑顔で接してくれていた。
みかんさんの真っ白な肌の奥底に、いくつもの傷跡が残されていることにも気付かないで、私はあの人の手を掴んで、頼っていた。
それなのに私ときたら、ちょっと辛い、苦しいと感じただけで逃げてしまった。
みかんさんはずっと、逃げずに私と向き合ってくれていたのに。
学校にも、まだみかんさんは来ていない。
私はみかんさんの連絡先を知らないから、気持ちを伝える手段は配信だけだ。
配信を続けるしかない。みかんさんが学校に来てくれるまで。
みかんさんに会いたい。
その思いだけが、私の原動力となっていた。
ホームルームが終わると、私はカバンを担いで教室を飛び出した。階段を転がるように降りて、校門を駆け抜ける。
もう汗だくだ。息も絶え絶えで、視界が真っ白になる。
みかんさんは私に飲み物を買ってきてくれたとき、走っていってくれたけど、颯爽と帰ってきて、恩着せがましさを微塵も感じられない笑顔で、私に袋を渡してくれた。
本当に、自分の不甲斐なさが浮き彫りになる。
家に帰ると、すぐにスマホで配信の準備をする。
待機画面に使い背景素材も用意できなかったので、予約はしないで、すぐに配信を開始した。パソコンとの違いは、配信で映されている画面がそのままスマホにも出力されるので、確認が楽なことだ。
まだ誰も観に来ていないけど、私は話し始めた。
コメントもまだ付かない。でも、多分、そういうので一喜一憂していたら続けられないから、やるしかない。
続けること。それが今の私がするべきことだと思うから。
私は私の、好きなことを話した。昔から好きなアニメや、ゲームのこと。それから、毛虫のこと。ウスバツバメガのことをウズベキスタンって言った友達がいることも、全部話した。その人と過ごす放課後が私にとっては夢のような時間だったことも、伝える。
みかんさんにこの気持ちを届ける。この画面の先に、みかんさんがいることを信じて。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
配信を開始してから三十分ほど経ったあたりで、ドアの隙間から
「あそこにいる人、みかんさんって人じゃないの。前に学校で見たことあるよ」
胡桃が窓の外を指さしたので、慌ててカーテンを開く。
私の家の前、道路に設置された電柱の横。そこには確かに、スマホの画面をじっと見つめるみかんさんが立っていた。見間違えるはずもない。
ずっと私が、追いかけていた光だ。
私はスマホの画面をロックしてから、ポケットに入れて家を出た。
道路に飛び出した瞬間、みかんさんと視線が交錯する。
およそ二週間ぶりの邂逅。涙が出そうになるとの同時に、足が震え始めた。
喪失感と、罪悪感と、それに伴う、恐怖。みかんさんも私に気付いたようで、目を丸くしてこちらを見ていた。
一台、車が私たちの間を通り過ぎていく。その間にもみかんさんがいなくなってしまうんじゃないかと不安になったが、車が通り過ぎたあとも、みかんさんはまだいてくれた。
でも、多分だけど、次はない。後ずさるみかんさん。ジャージ姿で、化粧もしていない。いつもより幼く見えるみかんさんが、私を見て逃げようとしている。
「みっ、みか、んさっ……」
言わなきゃ。
伝えなきゃ。
頭の中で、ガラガラと、福引きが始まる。白い玉がポンと出て、はずれ。当たったことなど一度もない。私の言葉はいつだって的を外して、煙となって消えてしまう。
だからダメなんだ。ちゃんと考えなきゃ。運任せはダメだ。今、みかんさんに一番言わなきゃいけないことってなんだ。
あれ、今、何秒経った?
さっき車が通過してから、一分過ぎた?
――時間切れ。
そうだ、このままいつものように、私は置いて行かれる。言葉っていうのはいつだって、遅いものを待ってはくれない。だから私はこれまで友達も作れなかったし、お母さんにも、クラスメイトにも、伝えたいことを伝えられなかった。
いや、でも、みかんさんは違う。
みかんさんはいつも、こんなポンコツの私が、ちゃんと言葉を発するのを、待ってくれていたじゃないか。
逃げるな。そこは逃げ道だ。習い事をしているときに何度も見た。心を乱したくないから、悩みたくないから、葛藤したくないから、傷つきたくないから、逃げ道を作り出してた。
でも、今は違うんだ。
「みかんさん!」
また、車が一台通過していく。そのエンジン音とタイヤの音をかき消すくらい、私は叫んだ。
「わ、私、か、勘違いしてた!」
喉の奥が痛い。さっき走っていたこともあって、気道が渇いてしまっている。
みかんさんは唇をキュッと締めた。だけど、逃げる素振りはない。ジッと、私の言葉を待ってくれている。
「み、みかんさんが望んでるのは、と、登録者数十万人、の、わた、私っ! 雨白なんだって思ってた! だけど、そ、そんな数字到底届きそうになくって、だから失望させたくなくって!」
言葉がまごつく。まるで夢の中を走るみたいに、前へ進めない。
「みかんさんの理想を叶えられない私に、価値なんかないって思ってた!」
けど、いつもと違うことが一つだけある。
私は、言葉を選んでいない。どれが正しいかとか、じゃなくって。
生まれている。
頭と、心の狭間で、みかんさんへの思いが泡のように沸騰しているのだ。
「で、でっ、でも、それは間違ってるって、気付いた! だって、私は、自分の好きをみんなに見てもらいたかったから、その一心で、配信を始めたんだから! そ、その気持ちを忘れた私にこそ、か、価値はないんだって!」
みかんさんの目を見て話すたびに思う。これは現実なんだって。配信じゃないんだって。
アカウントを消せばいいとか、配信を閉じればいいとか、ブロックすればいいとか、そういうネット上での処世術は通用しない。
みかんさんが消えたら、それで終わりだ。もう戻らない。それは私にも言えること。だからこんなにも、胸が苦しく、恐ろくなる。
「私ね! す、好きなものができたの! みかんさんと出会ってから、ずっと、今まで、好きになるなんて思いもしなかったものだよ!」
一歩、踏み出す。みかんさんに歩み寄る。
「それは、と、友達、だよ! 私、友達がいる日々が、こんなに楽しいなんて思いもしなかった! みかんさんと過ごす日々は、本当に楽しかった! 登録者数も延びないし、全然、実力もあがらない私だったけど、確かに充実してた!」
皮膜を剥いでいく。私を守るものはいらない。
「今の私が一番好きなのは、みかんさんだよ! ゲームと、毛虫と、同じくらい、好き! だから、みかんさんにもらった好きを、もっともっと配信で、色んな人に伝えていきたい!」
根底にあるのはその思いだ。今も、昔も。
「だからね!」
もう少し、もう少しで届くはずだ。
「もうやめない! やめないから!」
ジリジリと進む私の足元を見て、皮肉が効いていると自分でも呆れた。急いで飛び出した私は、あの日みかんさんに選んで貰った靴を履いていた。
体育祭では転んだ私だけど、今度は最後まで走りってやる。
「みかんさんも、私のこと推すのやめないで!」
とんでもないことを言ってると自分でも思う。だけど、不思議と恥ずかしくなかった。何故だろう。そもそも、道のど真ん中で叫んでいること自体が恥ずかしいことであるはずなのに。
通行人も、いないわけじゃない。さっきから何度も視線に晒されている。
でも、それも四、五人くらいだ。配信に比べたら、ずっと少ない。
「私、やめないから! ずっと、みかんさんの好きな雨白でい続けるから! だから、ずっと、ずっと好きでいて!」
ついに、みかんさんの前までやってきた。
みかんさんは、その震えた唇をゆっくりと開ける。
「重いよ?」
上目遣いで、私を見るみかんさんは、何かに縋るような声色で言った。
「あたし、好きになるとずっと好きになるよ」
「いいよ! それでも!」
「でも! それが重いって、佐凪さんも言った!!」
「それは、私が受け止めきれなかっただけ! 重いことが悪いんじゃないよ!」
「重いのは否定しないんだ!?」
あっ、し、しまった! そ、そうだよね。みかんさが気にしてるのは、そこなわけで。
でも、それって悪いことじゃない。それは本当だ。
「重くていいよ! どんな重いものでも持てるように、受け止められるように、えっと、その!」
言葉、言葉……! 生まれろ、私の言葉!
「ムキムキになるから!」
言って、後悔した。
ぜったい、違うよね……!
律儀に腕をまくって、力こぶしを見せる。力こぶし、ないけど。
みかんさんはぽかんとしてから、視線を床に落とした。
「
「そうなんだ……引いた?」
私は首を横に振る。
「それだけ好きになれるって、すごいなって思った。あのね、みかんさん、私、ずっとみかんさんになりたかった」
「え、あ、あたし?」
「会ったときから、すごい人だなって思ってた。綺麗だし、オシャレだし、それに、会話が上手だし。いろんなひとの言葉に耳を傾けて、楽しい話を広げて、いつもみんなの輪の中で笑ってて、私もあんな風になりたいって思った。私が熱出して看病してくれたときも、気遣いがすごくて、何度も助けられた。私もいつかみかんさんみたいになれるかな、なれないかなって、そんなことばっかりで」
「し、知らなかった……」
「い、言ってなかったから」
というよりも、言えなかったのほうが正しいかもしれない。
「みかんさから貰う言葉は、いつも温かくて、励みになってた。いつも、配信の感想言ってくれてたでしょ? あれ、すっごく嬉しかった。頼もしかった! みかんさんが見てくれるならって、そう思って配信することも何度もあった。本当に、ありがとう」
私なんかの感謝に、人を元気付ける力があるとは思えない。それでも伝えたくなるのはきっと、この思いが膨れ上がって、破裂してしまわないためだ。
「みかんさん……私、やめないから、もう」
「ムリ、しないんでいいんだよ。だって、佐凪さんの人生は佐凪さんのためにあるわけじゃん。あたしのせいで、佐凪さんがやりたくないことを続けるのは、辛いよ」
「私、観に来てくれるリスナーさん全員を満足させられるほど実力もないし、たぶん、たくさんの人に愛されるような人間でもないから、だから、いろんな人の期待に応えながらっていうのはきっとできないと思う。だから、みかんさんだけ」
もし世界が滅びるとして、私に世界を救えるほどの力があったとする。それでも私は、きっと世界を見捨てて一番助けたい人を助けるはずだ。全員を助けるみたいな器用な生き方をしようとすると、今回みたいに潰れてしまうから。
「みかんさんのためだけに、配信続けるから」
「佐凪さん……」
「だから、学校、来て! 私、みかんさんがいないと、寂しい……」
思い出と呼ぶには近すぎる記憶に恋をしている。それがあることに苦悩するくせに、失ってしまうと気付いたときには胸が張り裂けそうになる。
隣を見れば目に入る空席は、私の生きる希望を削いでいった。
私は多分、変わりたいんだ。
「なんで、あたしなの?」
「眩しくて」
それだけだった。最初に抱いたみかんさんへの感情は。感情的なものではなく、視覚的なものだけで、私は焼き焦がされていた。
「それって、好きってことだから」
みかんさんの手を握る。
触れたみかんさんの手は冷たくて、想像していた温かさとは違う。太陽の光から離れた月面の反対側を思い浮かべて、納得がいく。
どれだけ眩しくても、温かくても、きっと光が届かない場所はあるから。そういうところを補いあっていくのが友達なんだと思うし、そんな存在になりたいって思える。
みかんさんは目尻に涙を浮かべたあと、ギュッと私を抱きしめた。抱擁というには力尽くなそれに、私も応える。
心臓が、爆発しそうだった。
理由を言語化すると、自分の目やら鼻やら手やらを切り落としたくなるので、知らないフリをした。人とのコミュニケーションを断ってきた弊害がこれである。手を握ることが私にとってのゴールなので、それ以上のスキンシップは未知の領域だ。
「
「好きなものは、やめられない。わ、わかるよ、私も」
顔をあげると、みかんさんと目が合った。
「あたし、別れっていうのに慣れないの。特に、ネット上だとさ、急にいなくなるじゃん。なんか、喪失感がすごくて、特に配信者さんだと、アカウントも、アーカイブ動画も跡形もなくなることが多いから、最初から存在すらしてなかったんじゃないかって思っちゃって、すごく悲しくなるの」
みかんさんは涙を拭うと、私を正面から見つめた。
「ずっと、応援していいの?」
「うん」
「佐凪さんが辛いときやしんどいときも、変わらず頑張ってくださいって言うよ?」
「いいよ」
「ずっとあなたが好きですって言い続けるよ?」
「は、恥ずかしいけど、大丈夫」
「いいんですか、ずっと。雨白さんのことを、推していても」
口調が変わる。涙の膜を張った瞳は、画面の向こうの私を見る。
「こちらこそ、これからも私のこと、雨白のこと、好きでいてくれると嬉しいな」
これを仮面とは思わない。私は私のままで、画面の先の世界に思いを届ける。
私から身体を離すと、みかんさんは噛み締めるように目を瞑って、それからその場でピョンと跳ねた。
「や、やっぱ、雨白さんは最高です! お、推しててよかったー!」
そして両手を重ねて、拝むようなポーズをとるみかんさん。
笑顔を浮かべる彼女の目元は、赤く腫れていて、だけどその笑顔はきっと本物で。そんな対照的な表情を見ていたら、彼女の力になれたという実感が沸いてくる。
そっか、私、伝えられたんだ。
拙かったかもしれないし、回りくどかったかもしれない。他者からしたら聞くに堪えないものだったかもしれないけど、そのどれもが、私が選び、私の中で生まれた言葉だ。
だからこれで、よかったんだ。
「お、お姉ちゃん!」
そんなとき、家から胡桃が飛び出してきた。
どうしたのだろうと振り返る。みかんさんもキョトンとしていた。
「スマホ、スマホ!」
「え? なに?」
胡桃がずっと私のポケットを指さしている。
「アプリごと落とさないと意味ないんだってば!」
みかんさんが「あっ!」と目を丸くする。しかし私はまだ、事態を飲み込めていない。
とりあえず、胡桃が指さすポケットから、スマホを取り出す。
「え」
そして、私は青ざめた。
スマホのロックを解除すると、家を出る前に開いていたアプリが表示されて。
左上で『配信中』という赤いランプが点灯していた。
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