第11話 キュートアグレッション
部屋に案内して、扉を開けた瞬間、ハッとした。
全然、掃除してないや……。
扉の隙間から覗いただけでも、空のペットボトルが転がっている。そっと振り返ると、みかんさんと目が合った。長いまつげはピンと上を向いていて、まるで人の感情を読みとるアンテナのようだった。
「あたし、玄関でもいいよ」
「う、ううん。入って、入ってほしい!」
そして何故かムキになる私。
もういいやしょうがない。最悪「へぇ、佐凪さんって自分の部屋の掃除もできないような人だったんだ、幻滅」と冷めた目で見られるくらいだし。あれ、泣きそう。
「ふん!」
立てこもり現場に突入する警察みたいに、扉を開けた。そのまま落ちているペットボトルを掴んで、ゴミ箱へポイ!
「あれ、なんでトイレットペーパーの芯がここに?」
し、しまったー!
ドアの影に隠れてたのか!
「あ、ち、違うの。これは昨日、背中のこりを解すためにトイレから持ってきて、ほら、ゴルフボールでぐりぐりってするのあるでしょ、でもうちゴルフボールないから、トイレットペーパーで……う」
「
捲し立てている間に、めまいがして思わずふらつく。みかんさんに抱きかかえられて、そのままベッドに寝かせられた。
うぅ、臭くないかなぁ、ベッド。バレないように、枕に鼻を押し当てる。でも、自分の臭いは自分じゃ分からないって言うし。
「やっぱりあたし、これ飲んだらすぐ帰るね」
悲しそうな顔で、みかんさんが私に布団をかけてくれる。
でも、体調が悪いのは本当だし、それに、みかんさんも授業を抜け出してきてくれてるわけだし。帰ってもらった方がいいのかもしれない。
みかんさんがお茶を飲み干すと、立ち上がる素振りを見せる。
「あ、ま、待って……みかんさん」
「なあに、佐凪さん」
優しい声色、まるであやすように、みかんさんが私の顔を覗き込んでくる。
「もうちょっとだけ、い、いてほしい」
途端に寂しくなったのは、きっと、体調が悪いとき特有の心細さから来たのだろう。風邪を引いたときはいつもお母さんか胡桃がいてくれたけど、今は二人とも家にいない。
このまま、部屋にぽつんといたら、なんだか泣いてしまいそうだった。
「うん」
みかんさんは短く返事をすると、ベッドのすぐ横に正座した。みかんさんの瞳がすぐ目の前にある。普段は目を合わせることすら恥ずかしいのに、今はどうにも縋ってしまいたくなる。
「お茶、すっごく美味しかった。高いやつじゃなかった? 大丈夫?」
「わかんない、でも、よかった」
「佐凪さん、辛くない? 頭痛かったり、喉は大丈夫?」
「う、うん。でも、ちょっと寒いかも……」
風邪を引く前の、特有の悪寒を感じる。
するとみかんさんが、突然布団の中に手を入れてきた。私はビックリして、つま先をピン! と伸ばすけど、みかんさんは布団の中から私の手を探し出すと、そっと握ってくれた。
「身体が資本、それは本当だよ。でも、昨日の配信自体は、すごくよかったと思う。その証拠に、もう再生数七千いってるよ」
「な、ななせん!?」
思わず布団を蹴飛ばした。
「ホルスタの初見プレイ動画は、ゲーム自体の人気もあって最低千はいくけど、ここまで伸びてるのは初めて見たかも。やっぱり、動画時間が多いとそれだけのめり込んでくれてるって証明にもなるから、見てくれる人が多いのかも」
「そ、そうなんだ……でもたしかに、夢中になってはいた、気はする」
「要は、沼ってる人を見るのが好きなんだよね、みんな」
「沼?」
「ハマってる真っ最中ってこと」
そういうものなんだ。やっぱり、みかんさんを味方に付けて正解だった。私じゃ分からないことも教えてくれるし、なによりリスナー目線で分析してくれるから、思いも寄らない発見がある。
「チャンネル登録者数も、八十人くらい増えてるよね。まだ朝で、アーカイブを観てない人もたくさんいると思うから、これからもっと伸びると思う! スタートダッシュは大成功なんじゃないかな!」
「み、みかんさんのおかげだよ」
「ううん! そんなことないです! これって、雨白さんの魅力がみんなに伝わったってことですよ!
みかんさんが敬語になるときは、大体私、というより雨白に向かって話しているときで、雨白の話をするときのみかんさんは目をキラキラさせて、頬を紅潮させる。昨日、リスナーさんがコメントで言っていたけど、これがいわゆる限界化ってやつなのだろうか。
「きゅ、キュートアグレッションって?」
「えっと……加虐心をくすぐられるというか」
目の据わったみかんさんが、こちらに手を伸ばしてくる。
「い、いやっ、なんでもないです! そ、そうだアーカイブにタイムスタンプ作ってくれてる人がいましたよ!」
ほら! とみかんさんがスマホの画面を見せてくれる。配信が終わるとその動画はアーカイブとしてサイトに残る。アーカイブには後から観た人が自由にコメントできて、中にはその配信者さんが配信内で何をしたかを、時系列順にまとめてくれる人がいるらしい。 そのほかにも、肯定的なコメントがたくさんあって、中には応援しているという趣旨のものもあった。
コメントは全部で十二個もあって、みかんさんが言うにはかなり多い方なのだそうだ。
しかし、褒めるものばかりではなく、中には「コメント読むのに夢中でゲームに集中してないじゃん」というものもあった。
私の視線がそのコメントで止まっていることに気付いたのか、みかんさんがパッとスマホの画面を消してしまう。
「そういう人もいるかもだけど、でもほとんどの人がこの配信は面白かったって言ってくれています! この調子で頑張りましょう! そのためにはまず安静にして、体調を整えなくっちゃです」
みかんさんが、布団ごしに私のお腹をぽんぽんと叩いてくれる。
心なしか、さっきより心細さがない。顔も見えない人たちのコメントなのに、誰かに認めてもらえたという感覚だけで、胸がいっぱいになるのは驚きだ。
「リスナーさんからの、こ、コメントって、読まない方がいいの?」
それでも、さっき見たコメントが忘れられなくて、ついみかんさんに聞いてしまった。
「あたしは、推しにコメントを読んで貰えたら、嬉しくて叫んじゃいます」
いつの日だったか、私に返事をしてもらえたというだけで目を潤ませていたみかんさんの姿を思い出した。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
返事をするのも挨拶をするのも大事だと思う。けれど、いくら少数だからといって、リスナーさんからの意見を見なかったことにしてはいけない気がした。
大多数の賛同に押し潰される気持ちは、私もよく知っているから。
みかんさんは空になったコップを置いて、立ち上がる。一応鍵を閉めるために、玄関まで見送りに行くことにした。
「それじゃあね、佐凪さん。また明日学校で!」
「う、うん……! 今日は、あ、ありがとう」
お礼が言えた、それだけで、大大大成長じゃないだろうか。
みかんさんが出て行くと、途端に家が静かになる。けれど、柑橘系の爽やかな香りだけが玄関に残っていて、思わず深く吸い込んでしまう。
そういえば、みかんさんの言ってたキュートアグレッションってなんだろう。
部屋に戻ってスマホで調べてみた。
『キュートアグレッションとは、自分がかわいいと思った対象を目の前にしたときに、対象をつねったり、食べたり、締め付けたりしたくなってしまう衝動のこと」』
……なんだか急に、身体が熱くなってきた。
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