第10話 徹夜配信で体調不良
「それで、朝の七時までずーっと配信やってたんですか!?」
「は、はい……」
「それじゃあ眠いに決まってますよ! まさか十時間も配信し続けるなんて!」
朝のホームルーム前の時間、私は自分の机に突っ伏していた。
頭がぐるぐるして、なんだか視界がぐにゃぐにゃする。遊園地のコーヒーカップに乗ってるみたい。わぁい。
「顔色も悪いですし、ああもう。一旦保健室に行きましょう! はいはい! みんなどいいて!」
私はみかんさんに担がれて、抵抗する体力もないまま保健室に連行される。「なんで敬語?」みたいな声が教室で聞こえた気がするけど、幻聴かもしれない。
体温を測ると微熱があって、保健室の先生は私を見て心配そうにしていたけど、昨日徹夜して一睡もしていないことを伝えると家に帰って睡眠を取れと言われてしまった。
「親御さんは今仕事? 先生に電話して迎えにきてもらおっか?」
保健室の先生は善意でそう提案してくれたんだろうけど、私はドキりとして、慌てて首を横に振った。お母さんは今、仕事の真っ最中だ。体調を崩したというだけで迎えに来て貰っては、迷惑をかけるだろうし、それに、きっと怒られる。
「けど、その調子じゃ帰り道が心配だよ」
「あ、あのっ」
そんなとき、みかんさんが跳ねるみたいに歩み出た。
「あたし、送っていきます」
「ええ? けど、もうすぐ一限も始まっちゃうよ?」
「送らせてください。
みかんさんが突然、そんなことを言い出した。私の手をギュッと握って、もう一度「あたしが送ります」と先生に言い放つ。なんだか守られてるみたいで、ドキドキした。
「そんな言うなら、別にいいけれど。ふふっ、なんだか王子様みたいだね、
保健室の先生が微笑みながら私とみかんさんを見る。いや、そんな茶化されても困るんですけど……。みかんさんも何か言ったほうがいいんじゃ。
「…………」
め、めちゃくちゃ顔真っ赤にしてる……!
「そ、そんな、あたしなんかが、そんなそんな、へへ、いやいやっ!」
目まで潤ませて、必死に否定するみかんさん。でも、保健室の先生が言った通りかっこいいのは本当だし。なんて思っていたら、急にお腹が気持ち悪くなって吐きそうになる。
口を押さえて、うえぇぇ、としていると、みかんさんが背中をさすってくれた。
「睡眠は身体の資本だよ。やりたいことがたくさんあるのは分かるけど、ちゃんと寝なきゃダメだからね」
「は、はい……」
保健室の先生からダメだしを喰らって、私はみかんさんの肩を借りながら保健室を出た。
生徒玄関の外にある、花壇の近くの階段に腰を下ろしていると、みかんさんが私のカバンを教室から持ってきてくれた。
「佐凪さん早退するって、先生にも言っておいたから」
「あ、ありがとう……」
何から何まで面目ない。不甲斐ない自分にほとほと呆れながら、せめて一人で歩こうと腰をあげる。みかんさんはすぐに私の手を掴もうとしたけど、大丈夫と言って断った。
「でも、保健室の先生の言う通りだよ。配信って、身体が資本だと思うし、ムリは、ダメだよ」
「ご、ごめん。でも、気付いたら朝になってて、別に夜更かししようって思ってしたわけじゃ……」
「夜更かしする人はみんなそう言うんだから! しかも朝まで徹夜だなんて!」
校門を抜けると、人気の少ない街路樹に出る。いつも登校する生徒でいっぱいになる場所だから、新鮮だ。そういえばこうして早退するのって、初めてかもしれない。
「ねぇ、佐凪さん。ほんとに大丈夫? ムリそうだったら、言ってね」
「だ、大丈夫。日差し浴びたら、ちょっとだけよくなった。家帰って寝れば、多分治ると思う」
「そっか。あ、あのね佐凪さん。あたし、一人で張り切っちゃって、登録者数十万人目指すぞなんて言ったけど、佐凪さんのペースでやってくれていいんだからね。よく考えたらあたしのやってることって、厄介リスナーのお節介でしか、ないわけだし……」
しょぼん、とみかんさんがわかりやすく落ち込む。
別に、私はお節介だなんて思ってない。
「う、ううん、やりたくて、やったことだし。それに、昨日やった『ホルスタ』、みかんさんの言う通り面白かったよ」
「あ、う、うん! でしょ!? 佐凪さんに合ってたみたいでよかった! あ、き、昨日の配信もすっごくよかったです! 初見のはずなのに、曲とかに対する理解度が高くて、思わずそれそれ! って頷いちゃいました! あとあと、
そういえば、昨日ホルスタをやっていたときに、リスナーさんから「推しは誰ですか?」と聞かれた。ある程度ストーリーは見ていたので、その中で気になったキャラをとりあえず答えたのだ。そのキャラは明るくて、空気を読むのが上手で、金髪で、いわゆるギャルと呼ばれるキャラだった。
「う、うん。なんていうか、私にはないから、ああいう、振る舞いっていうか、生き方っていうか。憧れちゃうのかな、昔からそうなんだ。ギャル、っていうか、そういうキャラを好きになりがちで……」
言っている間に気付く。これって、みかんさんにも当てはまるんじゃ……。
ハッとしてみかんさんを見ると、耳まで真っ赤にして俯いていた。
「い、いいいやでも他にも魅力的なキャラもたくさんいた、いたっ、から。あの、引きこもりの子も可愛かった! 太陽で溶けちゃいそうになるのとか!」
空気が浮ついてきたので、慌てて軌道修正をする。
「あ、い、いいですよね! そのキャラ、あたしの最推しなんです! あたし、ああいう気弱だけど、ちょっと天才肌で、不器用で、だけどやるときはやる、みたいなキャラ大好きなんです! コミュ力低めの、どもりキャラとか、守ってあげたくなっちゃって!」
「コミュ力低め、わ、私みたい、だぁ-」
慣れない自虐。舌がこんがらがりそうになる。
「そうなんです! まさに雨白さんみたいな子が――」
ボン、と隣で着火の音がした。
みかんさん口元が波打って、目がぐるぐる回っている。体調の悪かった私よりも、足取りが不安定になっていて。かと思ったら急に早歩きになったりする。
「はは、はは」
みかんさん、壊れちゃった……。私が人と話すのが下手な以上、みかんさんがこうなってしまうとどうにも会話が続かなくなる。
浮ついた空気のまま、無言で歩いて、気付いたら私の家に着いてしまっていた。
「あっ、で、でも、私、天才肌じゃないし……」
さっきの話のフォロー的な、何かだった。田舎のへなちょこ回線でやるインターネットくらいラグがあって、みかんさんは何の事か分かっていないようでキョトンとしていた。
「えっと、ここ、私の家」
「あ、そうなんだ! よかった、何事もなく付けたね」
「う、うんっ。みかんさんの、おかげ」
みかんさんは特に何も言わなかったけど、私はずっと、みかんさんが車道側を歩いてくれていたことに気付いていた。私が見習うべきなのは、そういう小さな気遣いなのかもしれない。
「お昼ご飯とか、あるの?」
「わ、わかんない。作り置きとかあればいいんだけど」
「コンビニ寄ればよかったね」
「あ、で、でも私いまお金ないから」
「あらま、金欠だ」
お母さんからは毎月お小遣いを三千円もらってるけど、今月は欲しいプライズフィギュアがあって、もらってすぐに使い切っちゃったんだ。しかも、結局取れなかったし。
まあ最悪、戸棚にバナナが入ってたはずだしそれ食べて今日は寝よう。
「あたし、買ってこよっか」
「え?」
「うん、その方がいいよ。熱もあるって言ってたし、栄養あるの食べた方がいい。走れば三分で着くから! あたし、急いでコンビニ行ってくる!」
みかんさんは手首に巻いていたヘアゴムを取ると、サラサラな髪を後ろでキュッと結んだ。私がポニーテールにすると掃除に使う箒みたいになるのに、みかんさんのポニーテールは本当にお馬さんの尻尾みたいだった。
「佐凪さんは先入ってて! チャイム鳴らすから!」
私が返事する間もなく、みかんさんがダッシュで駆け抜けていく。ゆらゆら揺れる頭の尻尾と、スカートの裾が眩しい。自分のスカートを折り曲げてみるけど、あんな風にはならなかった。
当然家には誰もいなくて、私は冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注いだ。
あ、そ、そうだ。みかんさん、走っていったからきっと喉が渇いてるはず。
私は戸棚の中から、お客さん用のコップを取り出した。親戚のおばちゃんが来たときとか、お母さんがよくここからコップを出しているのを覚えていたのだ。
私には用のないコップだと思っていたけど、まさか使う日がくるなんて。
あ、で、でもお客さんってことは、ジュースとかのほうがいいのか。冷蔵庫を開けてみるけど、ジュースの類いは入っていない。そういえばお母さんは、お茶と水しか買わないんだった……。
胡桃がたまにこっそり炭酸を野菜室の奥に忍び込ませているのを知っているので、期待して開けてみたけど、残念ながら入っていなかった。
「ええっと、なにか、いいの」
急須が置かれている棚の引き出しを開けると、本を模したおしゃれな箱が出てきて、その中にはティーパックが入っていた。お茶とか紅茶のティーパックは缶に入れて保管されてるはずなのに、なんでこんなところにあるんだろう。
でも、良い物っぽいし、これにしよう。友達にあげたって言えば、お母さんも許してくれる、と思うし。
ティーパックの中身をコップにぶちまける。ちょっとこぼれちゃったけど、これはあとで拭こう。箸でかき混ぜて、う、うん。これでいいはず。お客さん用の、お、お茶……!
ちょうどチャイムが鳴ったので、私はコップを持って玄関に向かう。
「お待たせ佐凪さん! とりあえず体調悪くても食べられそうなもの買ってきた!」
袋の中にはウィダーゼリーや、プリン、りんごの缶詰とおろしうどん、それから栄養ドリンクとスポーツドリンクが入っていた。
「それじゃあ佐凪さん、ゆっくり休んでね。授業のノートはばっちりあたしが取っておくから――」
「あ、あの、みかんさん!」
気遣いの応酬。私では絶対に到達できない場所から差し伸べられる優しい手のひらが、眩しくて仕方がない。それにしがみつくのではなく、そっと触れてあげたい。
私も、友達のために気を遣える人間になりたい。
「お、お茶飲んでいかない!?」
コップを突き出すと、みかんさんが目を丸くする。
「いいの? 佐凪さん」
「う、うん、今、家に誰もいないし」
「そ、そっか」
みかんさんは一瞬迷ったようだったけど、コップを受け取ってくれた。まだ解けきらない透明な水の中で、小麦色の茶葉が、渦を巻くように舞い上がっている。
「じゃあ、お邪魔、しちゃおっかな?」
「へ、へい、らっしゃい」
「なにそれ。あはは」
そんなわけで、みかんさんを我が家にご招待。
もぞもぞと、靴を脱ぐみかんさん。
あ、靴を揃えるのは私が、なんて屈んだら、顔をあげたみかんさんと目が合った。
「しゃ、車道側、歩いてくれてたからっ」
お茶を出した免罪符、的な何かが、相対性理論もビックリなタイムラグをひっさげて、みかんさんに届く。
舞い上がっているのは、茶葉だけじゃないのかもしれない。
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