第9話 原初の記憶
家に帰って
晩ご飯を食べて、お風呂にも入り終わった私は、胡桃を部屋に呼んだ。
「ふーん。それで、そのみかんさんって人の影響で、配信がんばってみようって思ったんだ」
胡桃はいつものように配信の準備を進めてくれているけど、みかんさんとの話をすると、面白くなさそうな顔で呟いた。
「それって、本当にお姉ちゃんのやりたいことなの?」
「わ、わかんないけど。でも、応援してるなんて言われたの、初めてだし……できるところまでやってみようかなって」
「や、頑張るのは全然いいんだけどさ。なんていうか……」
パソコンにはいつもの配信画面が表示されていて、
「承認欲求で腐る才能っていうのも、あると思うんだけど」
あらかじめダウンロードしておいたホルスタのアプリを開いてみた。うん、動作は大丈夫そう。
ふと、顔をあげると、胡桃と目が合った。まだ唇を尖らせて、不満げに頬を膨らませている。
「はぁ……まぁいいや。アプリだけど、文字打ったりするときは画面隠したほうがいいよ。予測変換見えちゃうし」
「そ、そっか。うん、気をつけるね」
椅子に座って、配信画面と向き合う。毎日眺めてきた光景なのに、どうしてか、今日はやけに緊張した。
「歌枠とか雑談枠もするなら、また、新しい衣装とか作ったりするといいかもね。アイドル衣装とか、ルームウェアとか」
胡桃は配信の準備を終えると、ドアノブに手を掛けて、立ち止まった。
「今度描いてみるよ」
「う、うん。ありがとう」
そう声をかけたけど、胡桃の表情は見えなかった。
なんだか、元気なさそうだったな……胡桃、前に雨白のモデルを描いてくれたときは、すごく嬉しそうにしてたのに。
さて、いよいよ配信の時間が迫ってきた。あのあと、みかんさんから連絡があって『配信は公開予約をしておくと、検索欄に表示されるから視聴者に気付いてもらいやすいんだって!』とのことだった。『だって!』ということは、わざわざ調べてくれたのだろう。
動画サイトの配信画面では、たしかに公開予約というものがあった。私はあらかじめそれを九時に設定して、それまでにお風呂も歯磨きも済ませてきた。
お気に入りのいちごミルクも手元に置いて、準備はバッチリ。あとは九時になるのを待つだけ。
時計の秒針を追い掛けるたびに、ウインドウのページを消すボタンにマウスカーソルを動かしそうになる。
やっぱりやめようかな。無理なんじゃないかな。調子載りすぎたかな。
悩むくらいなら、いっそ全部なかったことにした方が楽かもしれない。
何かに挑戦するときって、なんでこんなに勇気がいるんだろう。
――チャット――
みかん:待機!
そんなとき、配信の待機所で、みかんさんがコメントをしてくれた。
「あ、こ、こんばんわ!」
と、その場で思わず言ってしまったけど、そういえばまだ配信は始まってないんだった。マイクもオフのままだし。
でも、嬉しい。みかんさんと知り合ったからだろうか。『みかん』という名前が表示されると、あの眩しい笑顔が目に浮かんで、思わず私まで頬が緩んでしまう。
早く、みかんさんに挨拶したい。
いつのまにか、緊張は解れていた。
時計が九時になると、配信が自動的に開始された。画面が一瞬黒くなって、それから配信画面が映る。
「こ、こんばんわぁ!」
画面に映った雨白が、ふにゃりと笑う。
雨白は蚕の成虫をモデルに擬人化した美少女モデルで、生みの母は誰でもない胡桃である。生まれたばかりのときは身動き一つ取れなかったけど、いろいろと手を加えていくうちに動くようになった。
そんな雨白が、不安そうに眉毛を下げている。webカメラで私の表情を認識して、それに応じてモデルも表情を変えるので、今の私も同じように不安を顔に出しているのだろう
――チャット――
みかん:こんあめ~!
すかざずみかんさんがコメントをしてくれる。
そ、そっか、こんあめか。
うっかりしていた。今度から気をつけないと。
「え、えっとー、今日はホルスタってゲームをやってみたいと思います。本当に、初見なんだけど、友達が、オススメしてくれたので、やってみます。た、楽しみです!」
待機画面から、スマホの画面へとウインドウを変える。たまにデスクトップを映しちゃうときがあるので、気をつけて操作する。
アプリは順調に動いてくれて、チュートリアルも無事終えた。内容はやはりリズムゲームで、最初だからかそんなに難しくはなかった。ただ、多少の音ズレはあるみたいで、それは今回の配信では直せそうにないので明日、胡桃に聞いてみることにする。
――チャット――
結城呉:初見 ホルスタと聞いて
すると、なんと開始十分ほどで、初めての人がコメントをくれた!
「あ、あっ、は、初めまして! あ、雨白って言います! よろしくお願いします!」
よく見たら同時接続数も、十人を超えていた。こ、こんなの初めて!
わああっと、動揺しているのが自分でも分かった。なんとか心を落ち着けて、アプリを進めていく。リズムゲームということで、曲を購入できるようだったので、知っている曲を買おうと思ったのだけど、どこで買えるのかがイマイチ分からなかった。
――チャット――
結城呉:ショップは右上
「あ、ありがとうございます! あ、あれ? 右上、あ、ええっと」
――結城呉:さっきの画面w
「こっちか! あ、ありました! 曲、えっと、何を買おうかな」
――チャット――
う:こんばんわ
ま、また初見の人だ!
「こ、こんあめです!」
って、なんで私、普通の「こんばんわ」には「こんあめ」で返してるんだろう!
――チャット――
う:それは演出付きのものですね
結城呉:戻ってみたら?
レイ:こんばんわ~! 初見です!
「あ、うぇ、えんしゅつ。戻るって、さっきの、ですか? あ、こんばんわ! は、はじめまして!」
私が楽曲を見ている間も、どんどんとコメントが増えてきた。一つ一つに返事をしていると、頭がこんがらがってきた。私、ちゃんと喋れてるかな。
普段から、ゲームのサントラなどを聴く機会はあっても、曲にしっかりと耳を傾ける機会はなかったので、実際ホルスタは新鮮で楽しかった。
リズムゲームも何度かプレイして、そのあとガチャを引いて、どんなキャラがいるのか把握したくなって、各キャラのプロフィールを見て回った。
どのキャラも魅力的で、一人一人に弱点があって、どこか廃退的で。けれど、たしかに情熱を宿している。私にはない、その熱さに気付けば惹かれていた。
「と、とりあえずストーリー読んでみます!」
みかんさんも、ホルスタはストーリーが良いと言っていたし、今回の配信は、ストーリー読みを本題にしよう!
そんな風に始まった私のホルスタ配信だったけど、ストーリーを一つ読み終えたあたりで、私はボロボロに泣いてしまっていた。
「う、ぅぅえ……よかった、よかったよぉ……」
予想もしていなかった重いストーリーだったし、終わりも完全なハッピーエンドとは言えなかった。けれど、キャラクターのいろいろな悩みや葛藤が見られて、最後には微かな救いを見つける。そんな結末に、私は涙を抑えられなかった。
――チャット――
結城呉:こんな泣いてる人はじめて見たw
う:次のもいいですよ
レイ:すっごくいいですよね~! 雨白さんの泣いてるところ見て私まで泣いちゃいました……
最初の方に来てくれていた人も、最後まで見てくれていたらしく、それぞれコメントを残してくれていた。それだけじゃなく、見慣れない名前の人もコメントをしてくれている。
気付けば同時接続数が六十を超えていてビックリした。本当は見てくれてありがとうって言わなくちゃいけないのかもしれないけど、さっきまでのストーリーの余韻がなくならず、私は鼻をぐずぐずと啜っていた。
――チャット――
結城呉:次の配信もストーリー読みかな?
ちら、と時計を見ると、すでに二十三時になっていた。
もうこんな時間になっちゃってたんだ。そろそろ寝ないと。
そう思ったけど、やはりストーリーの続きが気になる。今見たキャラクターたちの他にもグループが五つほどあって、それらのグループにもそれぞれストーリーがあるらしい。
正直、見たい……!
「え、えっと、気になるので、このまま他のグループのストーリーも見ます!」
そのとき、私は思いだしていた。
初めて、ギアテニをプレイしたあの日。誰かに許してもらいたいとか、そんな気持ちはどこにもなくて、確かに私は、画面に映るゲームの全てに、歓喜していた気がする。
ああ、ゲームって、こんなに楽しいんだ……!
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