第4話 私を推してるギャルとの帰り道
「
カバンに教科書を詰めているときだった。
「今日って用事とかある? もしだったら一緒に帰らない?」
「へ」
なんと、みかんさんが私に声をかけてきたのだ。
いきなりのことで、思考が停止した。
帰るって、どこまで? 私の家まで? それとも、みかんさんの家まで?
詰まったパイプの中をほじくるみたいに、答えを探す。
用事ってどこまでが用事なんだろう。家に帰って配信したい、とか、言えるわけないし。でもただ用事があるのでって断っちゃったら、なんかみかんさんとは帰りたくないって言ってるみたいでよくないだろうし。
「い、いいよ」
その言葉がでるのに、何秒かかっただろうか。
もしかしたらカップラーメンだって、作れたかもしれない。
「ほんと? やったー!」
だけど、みかんさんはずっと待っててくれた。私が答えを出すのを。
私は急いで残りの教科書を詰める。慌てすぎて、何度も入れるのに失敗した。教科書が折れ曲がって、もう一度入れ直して、早くしなきゃって筆箱を持ったらチャックが開いていてシャーペンと消しゴムがカバンの中に落ちていく。
それを知られたらきっと気を遣わせてしまうから、私は何もなかったという風を装って、ページが折れたまま教科書をカバンに入れて、シャーペンと消しゴムを底に置き去りにした。
ようやく私はカバンを担いで席を立つ。
「じゃあ行こーう!」
それまでの間、みかんさんは変わらず待っていてくれた。
私を見て、みかんさんは笑う。
小首を傾げて、また、星形のピアスが光っていた。
「村崎さんって、毛虫好きなの?」
玄関で靴を履き替えたあたりで、みかんさんが口にした。
「なんて言ってたっけ? うず、ウズベキスタンみたいな」
「ウスバツバメガ?」
「そう、それ。パッと見て分かるなんてすごいなーって思って」
つま先を鳴らして、私が歩き出したのを見て、みかんさんも後を付いてくる。
「好き、というか……ずっと昔から、気になってて」
「へー! じゃあずっと好きなんだね!」
好き、とは言ってないんだけど。でも、屈託のないみかんさんの笑顔を見ていたら、否定することはできなかった。
校門を抜けて、私が右に曲がると、左に曲がりかけたみかんさんが足を止めてから、慌てて駆け寄ってきた。
みかんさん、家あっちなのかな……。
「毛虫ってみんな毒があるのかと思ってた。ないのもいるんだねー、そういうのってどうやって分かるの? やっぱり色? でもさっきの毛虫は黄色で、明らかにヤバい色してたよね」
言葉の洪水が襲いかかってくる。どこから拾えばいいか分からず、溺れながらなんとか顔をあげると、みかんさんの耳が視界に映った。
「星」
「え?」
「みかんさんは、星、好き?」
言って気付いた。
私はまだ、みかんさんの質問に答えていない。
「おや、みかんさんと」
「あっ」
しまった。つい、みかんさんのことを、みかんさんって名前で呼んでしまった。
馴れ馴れしいって思われたかな。
「そんならあたしも
「そ、そんなこと。私の方こそ、ごめん」
「え? 何に?」
「ピアス……」
頭の中では、「星形のピアスが目に入って、すっごく綺麗だと思ったから」って言おうとしたつもりだった。だけど、言葉がつんのめって、ピアス、という単語だけが外の世界に転がり出る。
みかんさんが目をぱっちりと開いて、私の顔を覗き込んできた。長いまつ毛が、日差しを包み込むカーテンみたいに見える。
「ごめん名前呼びが嬉しくて記憶飛んでた、これね。うん、好きだよ星。ていうか嫌いな人っていなくない? 佐凪さんは嫌い?」
「ま、眩しい」
好きとか嫌いはない。ただ、夜空に浮かぶ星を見たら、私はきっとそう思う。
「あはは、じゃあ好きってことだ」
なのかな。目を細めると、確かに少しだけ、心がポカポカする気がした。
「ていうか、佐凪さん。あたしのこと見すぎ」
「え?」
「授業中、ずっと見てたくない?」
「あっ!」
う、嘘! 見てたこと、バレてた!?
「顔にノートの跡でも付いてた?」
「え、ええっと、ただ、眩しいなって思って」
慌てすぎて、思わずさっきと同じことを言ってしまった。
「じゃあ、好きってこと、か」
みかんさんも、同じことを言う。だけどさっきより、ちょっとだけ照れたような言い方だった。
私は顔が急激に熱くなって、俯くことしかできなかった。
「佐凪さんって部活とかやってるの?」
「えっと、生物部に、入ってる」
「そうなんだ。それって今日はないの?」
「う、うん。あって、ないようなものだし、部員も私一人だから」
「へー! なんかいいね、一人の部活って!」
「そうかな」
「うん! なんか、ほんとに好きなんだなーっていうのが伝わってきて。そうやって、何かに一途になれるのって、カッコいいよね」
私は自分がカッコいいだなんて一度も思ったことがなかったから、みかんさんの言葉にビックリしてしまった。思わず振り返ったけど、みかんさんの隣にいるのは私だけだ。
「み、みかんさんだって、好きなの、あるって言ってた。今朝」
「
しまった、と思った。自分から掘り返してしまった。
「うん、好き! 今朝も言ったと思うけど、同じゲームを一年間、毎日四時間配信するってさ、ほんとにそのゲームが好きじゃないとできないわけじゃん? そういうところにもしかしたら惹かれてるのかなー、あたし」
なんだか、変な感じだ。目の前にいる人が、遠くを見ながら、隣にいる私の話をするなんて。顔がなんだか、熱くなってくる。
「それしかないんだよ」
顔に集まる熱を取り払うように、冷たい真実を私は告げた。
「好き、とかじゃなくって。それしか、許してもらえるものがないから」
だから、別に、そんな褒めないで。
っていうつもりだったのに、見ると、みかんさんは唇をキュッと締めて、難しい顔をしていた。
「許されるって、誰から?」
みかんさん、もしかして、怒ってる。
「それって意味分からなくない? 自分の人生じゃん、自分の人生で選ぶものを、なんで誰かに許してもらわなくちゃいけないの?」
「あ、いやっ……それは」
「ご、ごめんちょっと強く言っちゃった。でも、あたしは雨白さんにそう教わった。雨白さんの配信を見てると、そう思えるんだ」
わ、私の配信なんかでそんなこと。
私はただ、唯一許してもらえたゲームを、インターネットを通じて人に見てもうことで安心したかったんだ。私が配信していたのは、私のためでしかない。
「許して、推しに関しては、熱く語っちゃうんだ」
「お、推し……」
何かを、誰かを推したことなんか、私は一度もない。そもそも推しってなんなんだろう。好きとはまた、違うのかな。
「なんて、こんなこと言ってるけど、雨白さんのことほとんど分かってないんだけどね」
「そ、そうなの?」
「だって雨白さん、ゲームシステムの話とか、シナリオについての考察はしてくれるけど、自分の話してくれないんだもん!」
「こ、コメントで、聞いてみるとか」
「それも考えたんだけどね、雨白さんの配信ってほとんどあたししかコメントしないから。なんかあたしのコメントだけで埋もれたら、新しい人入って来にくいかなって思って。それで連投は控えてるんだよね。雨白さんには、もっともっと伸びて、色んな人に見てもらいたいから」
色んな人に、見て貰う?
そんなこと、考えたこともない。
「でもどうだろうね、雨白さん、結構、孤高な部分もあるのかな。チャンネル登録者数とかあんまり気にしてなさそう。細々とやってるほうが気楽だったりするのかも」
交差点に差し掛かって、横断歩道の前で止まる。足元には、まだ散ったばかりの桜が落ちていた。
「そんなこと、ないよ」
「え?」
「できる、ことなら」
孤高になんかなりたくない。全てを否定なんかしたくない。
私だって、本当ならみんなみたいに、生きてみたかった。だからこうして、普通じゃない自分をひた隠して生きている。でも、時々限界が来ることはあって、そういう時、心細いと思ってしまうのはきっと、人から貰う温もりがないからなんだと思う。
「好きを、共有したい」
あの日、お母さんに毛虫を殺されてから、私なんかが何かを好きになっていいのかずっと迷っていた。
好きという感情は無害じゃない。私が好きになることで、もしかしたら誰かが傷つくこともあるのかもしれない。
だけど、だからって、一生懸命生きている毛虫のことを忘れることは、できなかった。
「あっ、って、その、雨白さんって人も、思ってる、んじゃないかな」
慌てて弁解する。みかんさんは私が雨白だって知らないわけだから、これじゃあ私が人の気持ちを勝手に捏造してるみたいじゃないか。
みかんさんは、信号が青になっても、歩き出さない。代わりに、私の顔をジッと見つめていた。
「佐凪さんって」
「え?」
間近で視線を合わされて、思わず顔を背ける。視線だけを隣に向けると、みかんさんはまだ私の顔を覗き込んでいた。
「ううん! なんでもない! あたし、電車通学だから、これ以上先に言ったら帰れなくなっちゃう」
「あ、そ、そうなんだ」
校門を出た当たりで変だとは思ったけど、やっぱりみかんさん、家、こっちじゃないんだ。
「気にしないで、佐凪さんとお話してみたかっただけだから。それじゃあね佐凪さん! 明日また学校で!」
「え!?」
みかんさんは、大きく手を振って駆け出していく。
青信号が点滅している。早く行かなきゃ、赤に変わってしまう。
半歩踏み出して、けど、やっぱり向き直った。
「み、みかんさん!」
喉がカサカサだった。何度も裏返って、鳥の鳴き声みたいになった。
それでも、みかんさんは足を止めて、振り返ってくれた。
「ま、また明日っ」
バイバイ、じゃあね。そんな言葉が出かかるけど、上がった語尾がそれを塞き止める。
みかんさんは、もう一度大きく手を振ってから、駅の方へと走っていった。
「い、言えた」
信号は、すっかり赤になってしまっていた。
でも、今回は、間に合ったのだと思う。
じんわりと、熱を持ったように温かい胸に手を当てると。
どうしてか、そんな風に思えるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます