第3話 太陽みたいな人だった

 一日中、彼女を目で追っていた。


 みかんさんは、会話が上手い。休み時間になると、クラスメイトがみかんさんの席に集まって談笑をする。みかんさんは同時に進行する複数の会話を逃すことなくキャッチし、相槌を打つ。


 癖なのか、みかんさんは笑うとき小首を傾げる。そのたびに星のピアスが揺れて光を反射していた。


 太陽みたいな人だと思った。世界に歓迎されるのは、きっとみかんさんみたいな人なんだろう。


 だからこそ、意味がわからなかった。


 なんで、みかんさんみたいな人が私なんかの配信を見るんだろう。それも、お、推しだなんて。


 教科書を読むフリをして、みかんさんの顔を覗き込む。


「これで六限は終わりだ。ホームルームが始まるまで静かに待ってるように」


 先生がそう言うと、みかんさんはパッと顔をあげて嬉しそうにした。


 授業、嫌いなのかな。でも、ノートはちゃんと取ってるみたいだし。


 先生が教室を出て行った途端、教室がワッと騒がしくなる。まるで「静かに待っているように」という言葉に反発するみたいだった。


 だけど、先生も戻ってこないあたり、許容範囲なんだろう。ルールの境界線を跨ぐように、人は歩いている。


 例に漏れず、クラスメイトがみかんさんの席に集まってくる。隣の席の私としては、かなり肩身が狭い状況だった。


「でさー! そう、さっきマジで寝そうになって!」


 私は席を立った。


 別に嫌だったわけじゃない。


 ただ、ここにいちゃいけないと思ったのだ。私みたいに暗い人間が、この眩しいくらいに輝く幸せな空間を壊しちゃいけない。


「きゃー!」


 私が教室を出たのと同時に、悲鳴があがった。


 な、なに!?


 私はビックリしてその場で立ち止まり、何秒か考えてから再び教室のドアを開ける。


 なにやら、みかんさんの席を中心に人だかりができていた。


「け、毛虫! どこから入ってきたの!?」

「あたしムリムリ! 毛虫ムリ!」

「男子これどうにかしてよー!」


 見ると、みかんさんの机の上に、毛虫が一匹乗っていた。


 毛虫はここがどこかも分からないようで、キョロキョロと困ったように身体をよじっている。


「早く殺してよ!」


 クラスの誰かがそう言った。


「よ、よし!」


 黒板の前で談笑していた男子が、教科書を筒状に丸めて近づいてくる。


 ――あ。


「だめ!」


 私は人混みを強引に突っ切って、毛虫を両手で包み込んだ。


「殺しちゃだめ!」


 手の中で、毛虫が動いているのが分かった。よかった、まだ生きてる。


「な、なんだよ……」


 すると男子が、驚いたような、困ったような顔で後ずさっていく。


 周りの人たちも、怯えるような、そんな目で私を見ていた。


 あの日のお母さんと、まったく同じ顔だった。


 背中を、冷や汗が伝っていく。


「こ、この子はウスバツバメガの幼虫さんっ、毒がないから……さ、触っても平気。害虫じゃない、から、そんな、怖がる必要ない、よ」


 言えば弁解できると思った。だけど、言っている最中にも周りの視線が変わっていないことに気付いて、語尾が弱くなっていく。


「に、逃がして、くる。きます」


 そう言って、私は毛虫を両手で包んだまま教室を飛び出した。


 やってしまった。


 また、誰かに悲しい顔をさせてしまった。


 誰にも迷惑をかけない。誰かに嫌な思いをさせない。


 それが、私の罪を許す方法だったのに。


「ごめんね」


 校庭の木陰に、毛虫を逃がす。


 毛虫は、一生懸命頭を持ち上げて、葉っぱにくっつこうとしてる。


 ちょっと近づけてあげると、毛虫は手をたくさん動かして葉っぱに乗った。毛虫は本来自分がいるべき場所に帰れたからか、嬉しそうに葉っぱを囓っている。


 ここにいれば、大丈夫だよ。


 誰もあなたを、責めたりなんかしない。


「あ、ホームルーム……」


 校舎からチャイムが聞こえてきた。そういえばさっき、とっくに予鈴が鳴っていたのを思い出す。


 私は毛虫に別れを告げて、急いで教室に向かった。


 教室に入ると、すでに先生が来ていて、ホームルームが始まっているところだった。


 一斉に視線が私に向く。


村崎むらさきどうしたー? ホームルームにはしっかり出るように、大事な連絡もあるんだからなー」

「あ、す、すみません……」


 顔をあげられなかった。


 今、私を見てどんな顔をしているんだろう。それを想像すると、怖くて前へ進めなくなる。だけど、進まないと、なんで進まないの? って小さな声が聞こえ始める。


 早く、自分の席に着かなきゃ。分かってるのに、足が震えて動かなかった。


「せんせー! 違うよ、あたしのせいなんだよ」


 すると、教室の中で一際、大きな声が聞こえた。


 ハキハキと、明るく、太陽みたいな声に、私は思わず顔をあげた。


「あたしの机に毛虫がいて、うわーどうしよう! って困ってたんだけど、村崎さんが毛虫を外に逃がしてくれたの。男子なんかさー、毛虫のこと思い切り叩こうとしてたけど、村崎さんはそっと両手で包んでわざわざ外まで逃がしにいったんだよ? めっちゃ優しくない?」

「そうなのか、村崎」


 みかんさんの証言を聞いて、先生の表情が和らぐ。


 私がなんとか頷くことに成功すると、先生はため息を吐いてから言った。


「虫といえど、命は大切にするようにー」


 少しだけど、教室の中の空気が柔らかくなった気がした。教科書を丸めて毛虫を叩こうとしていた男子が、友達から冗談混じりに小突かれている。


 その間に、私は自分の席に戻った。


 椅子にお尻を付けた瞬間、全身の力が抜けていくようだった。


 隣を見ると、みかんさんが私の顔を覗き込むようにして、笑っていた。


 その笑顔に対する回答を、私はまだ知らない。


 ただ、何か言うべきことがあるはずだった。


 だけど、すぐに時間は過ぎてしまう。


 考えている間に、いつのまにかホームルームは終わっていた。

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