record07.獣の涙とクローバー

 回転する文字の下で眠る少女のことを、まるで眠り姫みたいだわとユウイは思った。仰向けに寝かせられているけど、文字の矢が刺さったのは背中だった。痛くないのかな? ユウイは首をかしげる。それをヨーダに聞くと、円の中ならどの体制でも治せると言った。どうやらこれは怪我を治す魔法らしい。


 ユウイが少女の顔をじっと見つめていると、ヨーダがユウイの頭上にも文字を書き始めた。

 文字は白く光り、円を描き回転する。花の形の水泡が上がり、オルゴールの音が鳴った。

 なんだか全身がぽかぽかする。まるで春の陽射しの中みたいとユウイは思った。


 しばらくすると、すりむいてちりちりと痛かった膝や手のひらの傷が消えていくのがわかった。すっと痛みが引いて、傷もきれいにふさがっている。ユウイは瞳を輝かせ自分の両てのひらをみつめた。

 そうして初めて見る魔法に感動していると、ユウイの頭上にあった円は逆回転しながら花形の光の粒にかわり消えていった。


「きえちゃった……」


 ユウイは残念そうに言いながら、ソファーの上の少女を見た。少女の方はまだ治療中なのか円は回転したままだ。


「今日は結構時間かかるかもなぁ。ちょっと様子見ててくれ」


 そう言い残し、ヨーダは少女のそばを離れ隣の部屋へと行ってしまった。

 ユウイはそわそわしながら少女が目を覚ますのを待った。

 それにしても、この子本当に綺麗だわ。ユウイが少女の顔をのぞき込んでいると、少女の唇がわずかに動き、何かをつぶやいた。

 何かしら? ユウイには何をつぶやいているかわからなかった。ユウイが首をかしげていると、少女の目がゆっくりひらいた。


 首をかしげているユウイの目と、少女の目がぴたりと合う。大きな琥珀色の瞳は、まるでリンゴの蜜みたい。

 そんなことをユウイが考えていると、突然少女が飛び起きた。そして顔を歪めうずくまる。天井の円が赤く色を変え、オルゴールの音が不穏なメロディを奏で始めた。


 ユウイがおろおろしていると、変化に気がついたのかヨーダが戻ってきた。ヨーダは特に慌てる様子もなく少女に言った。


「まだ治ってないから寝てろよ。まともにレグルスの矢が刺さったんだ。今日はもう路地裏に戻らない方がいい」


 ヨーダの言葉を聞いても、少女は横になるどころか近くにあった本を掴みヨーダに向かって投げつけた。本はヨーダの足元に落ちた。

 ユウイが驚いていると、少女はユウイを指さし、それから次々指の形を変えて動かしている。その間、言葉は一切発しなかった。もしかすると、この少女はしゃべれないのだろうか?


「仕方ないだろ。こいつはグリオスの呪いにかかってたんだ。そのまま帰せなかったんだよ。どうやって路地裏に入ったかも知りたかったし」


 ヨーダが落ちた本を拾いながら少女に言った。少女は深いため息をつき、両手で顔を覆い下を向いた。ユウイはそんな二人の様子を見て、不安な気持ちになった。わたし、また何かしてしまったのかしら。また怒られる? また笑われる? 

どうしよう、どうしよう。


 不安げに二人を見ていたユウイの顔を、顔を上げた少女が見た。ユウイの目から涙がこぼれる。泣かないように我慢すればするほど、涙がぽろぽろ落ちていく。


「あーあ。泣かせた。お前のせいだぞ。俺は知らないからな」


 ヨーダはそう言いながらまた隣の部屋へと行ってしまった。ユウイはどうすればいいかわからず、鼻をすすりながら下を向いて泣いていた。


 すると下を向いていたユウイの視界に、小さな花が舞った。

 ふわふわ、きらきら。驚いて顔を上げると、少女が人差し指で空中に文字を書いていた。

 文字が白く光り、流れるように変化する。少女の前に、光る鍵盤が現れた。


 少女が光る鍵盤を弾き始める。やさしいメロディが部屋の中に響いた。ユウイは鼻をすすりながら静かにその音楽を聴いていた。聴いたことのない曲だけど、どこか懐かしい感じがする。

 弾いている少女の顔は、怒っていなかった。ふいに少女がこちらを見る。唇が動いた。おそらく、ごめんね、と。そうして困ったように笑う。


「このおんがくは、なんていう曲なの?」


 曲が終わると、ユウイは涙を拭きながら少女にそう訊いた。少女は手を動かそうとしてぴたりと止め、ソファーの近くにある小さなテーブルからスケッチブックとペンをとろうとしたが落としてしまう。それをユウイが拾い、渡した。


"アンナ・ティガルトという歌手の、獣の涙という曲"


「けもの? やさしい曲なのに、けものなのね」


 少女が頷く。


"仲のいい狼とライオンがいてね、二頭は友達を作りたくて森を歩くんだけど、他の動物たちはみんな怖がって友達になってくれない。二頭は何も悪いことなんてしていないのにどうして? って泣いてしまうんだけど、狼とライオンはずっと昔から恐ろしい存在だと思われているから、簡単にみんなその考えを変えることができなかった。みんな食べられたくはないからね"


「おおかみさんとライオンさんは、おともだち、できないの?」


 ユウイが訊くと、少女はまたスケッチブックに文字を綴りユウイに見せた。


"二頭は一生懸命森のみんなのために良いことをするんだけど、結局認めてもらえなくて、怖がるみんなの顔を見るのが辛くて、最後は森の奥に帰っていく。寂しい歌詞だけど、メロディはとてもやさしい。最後まで二人の性格がやさしいってわかる"


「おともだち、できないのね……それは、わたしと、おなじだわ。わたしは、へんで、めんどうくさいこだからだけど。たくさんおともだち、ほしかっただろうなぁ、おおかみさん、ライオンさん」


 言って、ユウイはまた泣きそうになった。こんなに泣いてばかりいたら、目玉がしおしおのおばけになって、また嫌われてしまう。でも涙は我慢してもこぼれてしまうのだから、仕方がないじゃないか。

 そんなユウイの様子を見た少女が、またスケッチブックに文字を綴る。


"友だち、たくさん欲しいの? 今、友だち、いないの?"


 ユウイはスケッチブックに書かれた文字を見て、小さく頷いた。


「わたし、おばあちゃんのところにかえりたいから、おともだちいらないとおもってたけど、ほんとうはおともだち、たくさんほしい。ひとりぼっちは、もういやなの。さみしい。

 でも、たくさんどころか、ひとりもおともだちいないし、できない。できっこないわ、わたしへんなこだもん。みんな、わたしのこと、きらいなの。

 パパもママも、おばあちゃんも、まちのひともわたしのこときらいなの。だからわたしも、みんなきらい。もうひとりぼっちでもいいやって。でも、ほんとうは、ひとりぼっちはもういやなの」


 しゃくりあげながら、ユウイは少女に言った。

 少女は何か考えるしぐさをして、それからまたペンを走らせユウイにスケッチブックを見せた。


 そこには小さく花が描かれていた。ユウイが首をかしげると、少女はまた何か書いた。


"人一人を一枚の花弁に例えると、みんなが手をつないで輪になれば、一輪の花に見える"


 少女はスケッチブックにそう書くと、一輪の花の横に、繋げるようにまた花を描いた。花弁の端と端をくっつけて、どんどん広がっていく様子を見て、ユウイはきれいねと呟いた。


「でも、わたしはきっとおはなになれないわ。ひとりぼっちだもの」


 ユウイが小さくため息をつく。


"クローバーは好き?"


 ユウイは首を傾げた。クローバーは葉っぱじゃないのかしら?


「よつばのクローバーなら、よくさがすわ。みつけるとしあわせになれるって。でもなかなかみつからないもの……みつばならいっぱいあるけれど」


 ユウイがそういうと、少女はにっこりと笑いスケッチブックに文字を記した。


"三つ葉でいいんだよ。みんな四葉のクローバーを見つけたがるけど、四葉だけじゃなくクローバー自体の花言葉が「幸福」だから"


 三つ葉でもいい。もう一度スケッチブックにそう書くと、少女はユウイの顔を見た。ユウイはスケッチブックの文字を見ながら、お花じゃないけどクローバなら別に嫌いじゃないわと思った。沢山の友達を作って大輪の花を咲かせることは難しいけれど、クローバーの三枚葉なら、なんだか自分でも作れそうな気がした。


"三つ葉のクローバーの合間から、いつか小さな花が咲くよ。人と人との繋がりの中で、新しい何かがきっと生まれるから"


 少女が微笑む。ユウイは小さくうなずいて、それから、じゃあ……と続けて少女に言う。


「いちばんさいしょの、クローバーのおともだち。わたし、あなたとも、おともだちになりたいわ。おともだち、なって、くれますか?」


 勇気を出して、ユウイは少女に言った。少女は一瞬戸惑った表情をしたが、すぐスケッチブックにペンを走らせ、ユウイに見せた。


”君の名前は?”


「ユウイ。あなたのおなまえは?」


"カナタ"


「えっと、カナタ、わたしとおともだち、なってくれますか?」


 カナタはやさしく笑って、ユウイを手招きする。ユウイがソファーに近づくと、返事の代わりなのか、ユウイの手を取り、握りしめた。

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