第3話 命

 家のすぐ近くの交差点に交番がある。交番にはその日の事故件数や被害にあった人の人数なんかが書いてある掲示板が置かれているけど、見ている人はどれだけいるのだろうか。幼い頃、母さんからこの掲示板のことを聞いてからこの道を通るたびになんとなく気になって見るようになって以来、小学生から今に至るまですっかり日課になっている。

「今日も相変わらずだな。」

 掲示板を見ていても正直ピントこないのだけど、最近になって事故の件数や亡くなった人の数が目に見えて増えている気がする。

「やあ、秀くん。学校おつかれー。」

「渉さん、こんにちは。」

「こんにちは。相変わらず熱心だねー。感心感心。」

 掲示板とにらめっこしていると時折、こうして渉さんが声をかけてくれる。短めの黒髪で、スマートな雰囲気の青年、黒沢渉さん。この交番に勤めている警察官の人だ。昔から近所に住んでいて母さん世代から信頼されている。俺と歳もそんなに離れていないため、俺にとっても近所のお兄ちゃんとして何度か遊んでもらった思い出もある。

「いやー。いつもの習慣なだけだよ。」

「それで十分。こうして興味をもってくれることが事故の防止になるんだよ。あんまり気に留めてくれる人もいないんだよ。ほんとに秀くんくらいだよ。」

「お礼は母さんにでも言っておいて。」

 褒められるのには慣れてない。そもそもは母さんがきっかけだし、間違ってはいないだろうと渉さんから視線を逸らす。

「相変わらず分かりやすいな。」

「別に、夕日にせいだよ。」

 ははっ、と笑う渉さんに定型句で返すも心なしかさらに顔に熱がこもる気がする。ほんとに渉さんにはいつもからかわれてばかりだ。きっと、しばらくはかなわないのだろう。それでもいつか必ずいじり返してやるのが密かな目標だ。あっと言わせてやるんだからな。視線を戻し、今に見ておけと念を送る。それを知らずに渉さんは視線が合ったことに再度笑みを返す。

「それにしても、最近やたらと事故が増えてる気がするけど。」

「やっぱりたいしたもんだよ、秀くんは。いや、本当に。」

 今日は割と暇らしい渉さんに最近の疑問を投げかけると、今度は俺の問いに対して真剣に向き直ってそう言った。

「確かに多くなってるんだよ。ここ数年で交通事故の発生件数がね。それも事故で亡くなってしまったケースが圧倒的に増えていて、まいっちゃうよ。警察も啓発活動を活発化させてはいるけど、なかなか真剣に受け止めてくれる人もいないのが現実で、って、ごめんね。秀くん相手だとつい愚痴っちゃうよ。だから、秀くんはそのまま育ってほしいってこと。」

「それは大変だよね。全然愚痴ってくれていいけど、疲れすぎないように気を付けて。」

「ありがとう。あんまり遅くならないうちにそろそろ帰りなよ。付き合ってくれてありがとう。良い休憩になったよ。」

「それじゃあそろそろ帰るよ。またね。」

「うん、またね。親御さんにもよろしく。」

 いつものごとく渉さんと少ししゃべってから家に帰る。そんな毎日がこれからも続いていく。この交差点を通る限りは、少なくとも高校に通う間は。そう思っていた。


「危ない!」

「えっ。」

 信号を渡る俺に向かって、突如として車が突っ込んできた。信号無視か、やばい、どうする。次の瞬間、体が後ろ側、元居た歩道へ向かって、思い切り突き飛ばされた。瞬間、激しい光が瞬いた、気がした。眩む目からかろうじて現状を認識しようとする俺も目に飛び込んできたのは急停止したであろう乗用車とそのそばで倒れている渉さんの姿だった。

「渉さん。渉さん。」

 うつぶせに倒れている渉さんは、頭から血を流していて意識がない様子だ。事故を起こした当人は車から降りてきたもののパニックを起こしているのか、どうしたら良いのかとひどく混乱していて使いものになりそうにない。そうだ、救急車。住所は交番の名前で良いか。焦る思考を震える手を抑えながら携帯を取り出し119番を押す。

 駆けつけた救急隊員が渉さんを救急車に乗せ、俺も一緒に乗るよう促す。救急車とほぼ同時刻にやってきた警察官が乗用車を運転していた男から話を聞いている。ひとまずは警察に任せておけば大丈夫だろう。そんなことよりも渉さんだ。救急車に駆け込み病院へと向かう。社愛では救急隊員が応急処置を進めながら渉さんの状態を確認している。聞こえてくる言葉の意味は混乱している頭ではほとんどが聞き取れない。ただ、目の前に映る光景だけを見てそう思う。やがて搬送先の病院に到着し、救急車を降りる。待ち構えている医師たちに渉さん容体を救急隊員が説明し、医師たちに引き継がれすぐに奥の手術室と思われる部屋へ運び込まれる。その場に残った看護師の人に促され、病院に入ってすぐのベンチに腰掛ける。渉さんとの関係を聞かれ、知り合いであると告げると家族の方に連絡できるかと聞かれた。渉さん本人の携帯番号しか知らない俺は、母さんに事情を話すと母さんが電話してくれるとのことで、どこの病院かだけ聞かれた。ほどなくして、渉さんの家族と思われる方々が到着し、看護師さんとともに事情を話していると、俺の両親の病院に来た。

「父さん、母さん。」

「遠山さん、お久しぶりです。」

「黒沢さん、ご無沙汰しております。ほんとに、こんなことに。秀、渉くんの容体は。」

「まだ、手術中でどうなるか分からないけど、事故で頭から血がでていて。」

「そんな。」

「本当にどうしてこんなことに。あの子が何をしたっていうのよ。」

「大丈夫、きっと、手術がうまくいくから。大丈夫。」

 渉さんのお父さんがお母さんを必死で励ます。渉さんのお母さんにというよりも自分に言い聞かせるように。俺と母さんがいるからか、現実を受け入れられないのか、今にも泣き崩れてしまいそうな状態を必死に抑えている二人になんて声を掛けたらいいのか分からず、ただ立ち尽くしているだけだ。そんな俺もまだ、さっきの事故が渉さんのことが現実なのかどうか未だ受け入れられない。クラスメイトが事故で亡くなった時とは違う気持ち。今まで味わったことのない感覚。ひどく焦っていて頭が回らない、手先の震えと冷えが収まらない。それでいて、俺よりもずっとつらいであろう渉さんの両親が目の前にいて、何かしてあげることがあるんじゃないかも思ってしまう。もっといえば、俺をかばったばっかりに渉さんが。

 しばらくして、手術中のプレートの点灯が消えた。ようやく手術が終わったのかと安堵する俺たちに執刀医が説明のために出てきた。はやく渉さんの状態を聞きたい。いつ頃まで入院することになるのか、後遺症とかは残らないのか。はやる気持ちをおさえて、医師の言葉を待つ。俺の両親と渉さんの両親は依然、心配な面持ちのまま医師を見つめて、彼からの言葉を待っている。執刀医の先生は俺たち全員を見回した後、告げた。

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