狭間の章2

大軍の狙い

 東の空がようやく白みはじめた頃、戦人形の甲冑と軍靴が地面を揺らす。ヤーウッドの包囲がはじまって10日、いよいよイズミア軍が動き出したのだ。


 とはいえ、彼らの目的はヤーウッドへの侵攻ではない。彼らの目的は、味方である軍勢の援軍であった。

 この動きに不満を持った〝英雄〟が一人――ウェン=ミンリーだ。彼女はイズミア軍本隊の中央、篝火に照らされ金色に輝く、6頭の馬に引かれた巨大な指揮馬車に乗るムスタフのもとに駆け寄り、一切の遠慮もなく自らの不満を口にした。


「ムスタフ様! なぜ他の軍に援軍を送ったのですか!?」


 美しく飾られた容姿を不満に歪ませたミンリー。

 対するムスタフは、椅子に腰掛けたままにこやかに笑うだけだった。

 代わりに、ミンリーを見下し嘲笑うかのような表情を浮かべた将軍の一人が答える。


「包囲がはじまって10日、逆賊どもがイズミア軍以外の戦意の低い軍に連日夜襲を仕掛けているのは知っているだろう。昨夜も夜襲があり、耐えかねたヘック大公国軍ら5つの軍はムスタフ様に援軍を要請し、ムスタフ様がこれを認めたのだ」


「答えになっていないわ! あなた、私の聞きたいことが理解できなかったの?」


 そう言い捨て、将軍以上に相手を見下し嘲笑うような表情を浮かべながら、ミンリーは即座に口を開いた。


「あの周辺に布陣するヘック大公国の軍勢は1万! 単独でサウスキアの軍勢を超える規模じゃないの! 他の軍だって連携すれば充分な戦人形が揃っているわ! それなのに援軍要請? 連合軍には腰抜けしかいないの?」


「連日の夜襲にヘック大公国軍らは疲弊し、士気や統制力は低下する一方なのだ」


「つまり、ムスタフ様に尻拭いをしろと?」


「貴様っ……!」


 まさしく一触即発である。


 だが、なおもムスタフはにこやかに笑うだけ。彼は部下たちの口喧嘩という小さな諍いになど興味がないのだ。

 ゆえに場の空気は悪くなるばかり。

 長い髪を気高く払うミンリーに対し、ムスタフの周囲に腰掛ける将軍たちは嫌味をぶつけた。


「敗北者がよくも居丈高でいられるものだ」

「恥知らずなお嬢様だな」


 嫌味のおかげで気が晴れたか、将軍の一人は冷静さを取り戻し反論する。


「サウスキアの小賢しい偽情報が拡散し、魔物の流入増加の原因はムスタフ様だ、ノーラン様を殺害したのはムスタフ様だ、などと信じる愚か者が、ヘックの将軍にも増えていると聞き及んだ。であれば、今はヘックに恩を売るべきだ。そのための援軍である」


 自分こそが真実を知る者であると言わんばかりの将軍は、得意げに続けた。


「偽情報は流行病のように広がっている。事実、軍の集結に1ヶ月もの期間を要したのは、ヘック公が偽情報に惑わされた影響も大きい。もし夜襲によって疲弊したヘック軍が偽情報を理由に我らに背くようなことがあれば、我らに味方する者たちは次々と離反しよう。それだけは防がねば」


 将軍の主張は決して間違っていない。

 他の将軍たちも彼と同意見なのか、彼が何かを言うたび深くうなずいている。

 そんな彼らをミンリーはさらに見下し、言った。


「偽情報を信じるバカは論外として、今の状況を理解できない無能もたくさんいるのね」


 棘のある言葉に将軍たちの目の下がぴくりと動く。

 それを見たミンリーはニタリと笑い、両腕を広げ、意地の悪い口調で言い放った。


「逆賊のやってることは嫌がらせ、勝敗には少しも影響しないわ。それなのに連日夜襲を仕掛ける? 何のために? 何か怪しいとは思わないの? 私にはヘックたちバカ軍団が逆賊の手のひらで踊らされているように見えるけれど」


 あまりにも正直すぎる意見である。

 しかし、それが一理ある意見であるのも事実であった。将軍たちは顔を合わせ、わずかに唇を噛む。

 なんとかミンリーを言い負かそうと、将軍の一人は尋ねた。


「ではミンリー、逆賊どもは何を狙っているのかね?」


「さあ、そこまではわからないし、逆賊の狙いなんてどうでもいいわ」


 またしても正直すぎる意見に、将軍たちはニタリと笑った口でミンリーを侮蔑する。


「やはり敗軍の将、言葉に重みを感じられぬ」

「初戦の敗北を作り出し、ヘックら他の領地軍の士気低下と協力度の低下を招いた君の言葉など、なんらの参考にもならんな。少しは自重したまえよ、お嬢さん」


 次々と飛び出す将軍たちの敵意。

 容赦のない言葉を浴びせられて、けれどもミンリーは落ち込むことなく、むしろ誰よりも強い侮蔑を将軍たちにぶつけるのだった。


「どいつもこいつも無能無能無能……話にならないわ」


 そう言い捨て、がなり立てる将軍たちを無視し、ミンリーはムスタフのみを見つめる。


「ムスタフ様、私たちは速攻で逆賊を潰すという本来の目的から逸脱すべきではありません。つまり、包囲戦を長引かせるのではなく、決戦を挑み逆賊を粉砕するのです」


 決戦のためには本隊の戦力を集中させる必要がある。つまり、本隊から他の軍勢に援軍を送るなど以ての外。それがミンリーの主張であった。


 彼女の主張を聞いて、なおもムスタフは笑みを浮かべるだけ。

 ミンリーに無視された将軍の一人は、顔を真っ赤にしながらムスタフに迫った。


「戦力差は明白! このまま包囲を続ければ逆賊はいずれ降伏しましょう! 無理をして決戦を挑む必要はありませんぞ!」


「あら? 偽情報は流行病のように広がると誰かが言っていた気がするけれど? ちんたらと包囲を続ける間に、偽情報はどれだけ広がることやら?」


「ゆえに、イズミアはヘックと共にあると示すため援軍を送るのだ!」


「フンッ、やっぱり逆賊の手のひらで踊らされているじゃない」


「黙れ! 全てはミンリー、貴様の初戦での敗北が招いたことではないか!」


 湧き出す怒りをそのままに、将軍の一人は唾を飛ばす。結果、指揮馬車の盤面が将軍の唾に汚された。

 盤面を眺めていたムスタフは表情を厳しくし、静かに、低い声で言いつける。


「たかだかお嬢さんと侮っている相手に見苦しいぞ」


 短い言葉ではあったが、将軍の一人を黙らせるには充分すぎる気迫だ。将軍の一人は「も、申し訳ありませんでした!」と慌てて頭を下げ、大人しく席に座る。

 ミンリーは勝ち誇ったような顔で将軍の一人を見下し、彼を鼻で笑うのだった。


 と、次の瞬間、指揮馬車に伝令の声が響いた。


「報告いたします! サウスキアの軍勢約8000が出撃! ヘック大公国軍に総攻撃を仕掛けています!」


「なんだと!? 攻勢に出せる軍を全て出したのか!? 逆賊の領主め、無謀なことを!」


 明らかな寡兵にも関わらず全力で城壁を出たサウスキア軍に、将軍たちは驚きを隠せない。

 一方のムスタフは少しも驚くことなく、余裕に満ちた笑みを浮かべ言い放った。


「わしらは大軍、小僧の手のひらになぞ収まらぬ。全てはわしの思惑通りじゃ」


 楽しそうに顎に手を当て、ムスタフは続ける。


「逆賊め、わしらの弱点に連日夜襲を仕掛け、弱き軍を突き包囲を切り崩そうと企んでいるのじゃろう。グランツの倅らしい教練通りの戦い方じゃが、それではわしには勝てんよ」


 言いながら片頬を持ち上げるムスタフ。


「わしはヘックらに援軍を送り、包囲を厚くさせた。逆賊どもは焦ったであろう。これではわしらの弱点を突けぬからな」


 ここでムスタフは、ふとミンリーに視線を向けた。

 首を傾げるミンリーに対し、ムスタフは教師のように尋ねる。


「ミンリーよ、お主がサウスキアの大将なら、この場合どうする?」


「包囲が厚くなる前に、敵の弱点を突こうと考えます」


「どうやって弱点を突く?」


「城外決戦を行います」


「そうじゃ! その通りじゃ! 逆賊が生き残るためには、それ以外に方法はないのじゃ!」


 指揮馬車に響く、膝を叩く音と笑い声。

 この時点で、指揮馬車にいる者たちはムスタフの狙いに気がついた。

 ミンリーは盤面に体を乗り出し、確認する。


「まさかムスタフ様は、はじめから逆賊どもを出撃させ、決戦を行うつもりで……?」


 そのための援軍、そのための10日間。

 ムスタフは勢いよく立ち上がり、部下たちに向けて叫んだ。


「皆の者! わしらも出撃じゃ! 急げ! 急げ! わしらに誘い出され城壁を出た愚かな逆賊を、全軍で踏み潰せ!」

「ははっ!」

「仰せのままに!」


 ただ従順に、将軍たちは持ち場へと駆ける。

 命令は瞬く間にイズミア軍全体に広まり、盤面上の駒は早くも城壁の外に出たサウスキア軍を追いかけはじめた。


 守りの態勢から、一転しての攻撃態勢。


 指揮馬車に残ったままのミンリーは腕を組み、頬を緩め、将軍たちには決して見せない尊敬の眼差しをムスタフに向ける。


「無能たちと違って、ムスタフ様は本来の目的を見失っていなかったのね。やっぱり、私が仕えるのはムスタフ様以外にはあり得ないわ」


 ここでなら自分の力を存分に発揮できる。ここでしか自分の力を存分に発揮できない。ミンリーは己の自信と才をムスタフに預け、彼の隣に座るのだった。


 すでに戦いの中にいるムスタフは、水晶を通して次々と命令を飛ばす。


「サウスキアからの投降兵、ウーゴ=チュニの軍にも指示を出すのじゃ! この戦での活躍次第で、貴様の命の行方が決まるとな!」


「かしこまりました!」


「フンッ、あの凡将、ムスタフ様の温情に咽び泣いて感謝することね」


 使えるものはなんでも使え。勢いのある大軍に負けはない。それがムスタフの戦い方だ。


「逆賊がすがった最後の希望、その正体がわしの作り出した地獄への門であると教えてやろうぞ!」


 罠にかかった獲物にとどめを刺すべく、いよいよイズミア軍の本隊がサウスキア軍に突撃を開始したのである。

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