追憶の章2

終わる物語、はじまる物語

 少女の震えた手が握る短剣から血が滴る。怒りと悲しみ、滲む血液、何より喪失感に染まった少女の視線の先には、物言わぬ遺体が2つ、残骸と化した戦人形が5つ、そして鍛えられた腕が1本並んでいる。これは、ヤーウッドの裏道で起きた事件の結末だ。


 肩を激しく上下させ、頭部の裂傷や脇腹の刺し傷に走る激痛に堪えながら、少女は構えを崩さない。いや、崩せない。月夜と魔法石の光に浮かぶ裏道の隅から隅まで、少女は視線を離すことができない。

 そんな彼女の背後で、少女に守られた二人が支え合う。


「お兄ちゃん! 腕の怪我は大丈夫!?」


「ただのかすり傷だ、心配ない。それより、あの子の方が心配だ」


 フォスキーアの女団長による暗殺未遂を切り抜けて、ライナーとシャルは少女に駆け寄った。


「ひどい状態だ。一旦落ち着いて——」


「問題ありません。ひどいのは見た目だけ、浅い傷ですから。それより、まだ師匠を——団長を仕留めきれていません。落ち着いている暇なんて、ありません……!」


「団長は片腕をなくして逃げ出したから大丈夫だよ! 安心して!」


「でも、片腕を落としただけです! 師匠はまだ生きています!」


「片腕と戦意を奪えば勝ちだ。ほら、どこにも団長の姿はない。だから、今は落ち着け。いきなりのことの連続で驚いたが、とにかく一息つくべきだ。ほら、深呼吸して」


「うんうん、お兄ちゃんの言う通りだよ!」


 ライナーと妹キャラを隠さないシャルの言葉に従い深呼吸した少女は、ようやく裏道に漂う殺気が消失しているのに気がついた。途端、緊張感がぷつりと切れたのだろう、少女は地面に座り込んでしまう。


 冷静になって、少女はここまでのことを振り返った。


 少女は女団長の指示——ライナーとシャルの暗殺——を受け入れなかった。いや違う。少女は女団長がそれを指示するに至った理想が受け入れられなかった。女団長の語った理想は、昔の女団長やフォスキーアの理想とは正反対だったのだから当然だ。


「早くライナー様とシャル様に伝えないと!」


 すぐさま決断した少女は、女団長の澱み冷め切った眼差しを振り払い、駆け出した。城に戻る最中のライナーとシャルを見つければ、事情を話し、3人でヤーウッドの裏道を駆けた。

 とはいえ少女にも焦りがあった。その焦りが仇となったのだろう。少女を追った女団長とその手下たちは少女の足跡からライナーとシャルにたどり着き、襲いかかる。


 戦争孤児であった少女を拾い、ここまで育ててくれた女団長。少女を孤独から守る居場所となってくれた冒険者集団フォスキーア。全ては思い出の中だけの存在だ。少女は短剣を手に、陰謀と盲信に狂う女団長、その駒と成り果てたフォスキーアと戦った。


 死闘の果てに、少女は勝った。彼女はライナーとシャルを守り切り、女団長の目論見を破綻させた。


 一方で、勝利の代償は大きかった。少女は自らの意志を貫くため、良き思い出に終止符を打つという選択をした。そして、家族と居場所を失った。


「私……これからどうすれば……」


 10年もの日常が、たったの数十分で崩壊してしまったのだ。それに気づいて、地面に座り込んだ少女の背中が丸まる。地面の石畳には数滴の涙が滲んでいた。


 幸い、彼女は一人ではない。彼女の選択は思い出に終止符を打ったが、代わりに彼女が得たものもある。悲しむ少女の小さな体を、シャルが優しく包み込んだのだ。だから、少女はここで絶望することはなかった。


 ライナーは、ひとり思考を巡らせる。


——この世界は〝英雄〟たちによって統治されているが、この世界を成り立たせているのは、彼女のような〝英雄ではない人々〟だ。それをあらためて思い知らされた。


 おそらく、少女がいなければライナーは女団長に首を落とされていたであろう。この世界で活躍するのは〝英雄〟だけではないのだ。

 もちろん〝英雄〟が無力かつ虚飾的であり、実際は不必要な存在であるというわけでもない。〝英雄〟であるライナーは思考を続けた。


——俺は〝英雄〟として生まれた。だからこの力を使って彼女のような人々が平穏でいられる場所を作ると決意した。もし彼女が今、そういった場所を失ったのだとしたら、俺がやるべきことは……


 そこまで思考して、ライナーはふと思いつく。思いついて、迷いなく、すぐさまそれを口にした。


「ロミー・ポートライト、唐突で悪いが、君を俺の側近として迎え入れたい。もちろん、無理強いはしないが」


 これはライナーが思考を巡らせた先にあった選択だ。だがライナーの思考の部分を知らない少女——ロミーは、パッと振り返り首をかしげるのだった。


「私を、側近に……? え? ええっ!?」


「お、お兄ちゃん!? ホントに唐突すぎるよ!?」


 シャルまでもが目を丸くして、驚きをそのままに伝える。ライナーは話の順番を間違えたなと自らに苦笑しながら、後ろ頭をかいた。


「すまんすまん、困らせるつもりはなかったんだ。忘れてくれ」


「い、いいえ! その、ライナー様があまりに優しすぎて、驚いてしまっただけで……」


 すでにロミーは泣くのをやめていた。彼女の視線はライナーの温和な表情と、未来に向けられた瞳をじっと見つめていた。


——フォスキーアの冒険者である私は、今日でさよならですね。


 自分の選択の結果か、運命か。どちらであろうと、唐突に訪れた転換点をロミーは受け入れ、そして新たな日常への一歩を踏み出す。


「ライナー様! 私、がんばります! 今日から私は、ライナー様の側近として、できる限りのことをします! よろしくお願いします!」


 この日から、ライナー=リヒトレーベンの側近ロミー=ポートライトの物語がはじまったのだ。

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