追憶の章1

出会いと別れ

 皇帝ノーランの最盛期、グランツ=リヒトレーベンが謀反し一夜にしてボルトア帝国が崩壊するなど、誰一人として夢にも思っていないかった頃の出来事だ。

 当時のボルトアはすでに栄華を極めていたが、ノーランはまだ満足していなかった。彼は天下統一事業を成し遂げるため、ノルベン帝国の残党にトドメを刺すべく、部下たちの大勢を軍事活動に従事させていた。


 グランツもまた皇帝の命令に従い、一軍を率いて戦場へと向かう。当然、グランツの領地であるサウスキアは領主不在の日が続いた。


 悪は権力の空白を好むものだ。領主不在、本軍不在のサウスキアに盗賊団が現れる。欲のままに村を荒らし回る盗賊団を前にして、サウスキア領の留守を任せられたライナー(当然、中身は転生者ではない)とシャルの二人は、会議室にてわずかな部下たちと一緒に頭を抱えていた。


「父さんやスチアたちがいない今、俺たちは少数の軍勢で盗賊団を討伐しないといけない。これは少し骨が折れそうだ」


「しかも、ここで悪いニュースですわ。魔物たちの動きが活発になっていますの。こうなると魔界方面への備えを優先する必要がありますわ。盗賊団討伐の余裕は、あまりないのが現状。どうしましょう、兄上?」


「困ったなぁ……」


 グランツもスチアもアルノルトもおらず、ウーゴが率いる2000の軍勢を魔界方面に展開するのがやっとの状況。盗賊団出現は厄介な問題であった。


 厄介な問題に頭を抱えるライナーとシャルだったが、そんな二人に朗報が伝わる。ちょうどサウスキアに滞在していた腕利きの冒険者集団〝フォスキーア〟の女団長が、堂々と盗賊団討伐への助太刀を名乗り出たのだ。

 まさに渡りに船である。結局ライナーはフォスキーアを雇うことにした。


 さて、冒険者集団フォスキーアには、一人の少女がいた。

 少女は幼い頃に戦で両親を亡くしていた。路頭に迷っていた幼い彼女を拾い、育てたのは、フォスキーアを率いる女団長であった。女団長は少女に自然界での生き残り方を徹底的に教え込んだ。少女もそれに応え、フォスキーアの立派な腕利き冒険者に成長した。


 ライナーとシャルが直々に率いる討伐隊に加わった少女は、師匠と敬う女団長の背中を眺め、微笑む。少女は女団長が盗賊団討伐に名乗りを上げたのを喜んでいたのだ。


「このお仕事で、きっと師匠も昔のフォスキーアを思い出してくれるはずです……!」


 1年ほど前、女団長は魔界での仕事で夫を亡くしている。それ以来、女団長は変わった。彼女は古参の冒険者と衝突を繰り返し、粛清と称して彼らを追放し、暗殺など謀略じみた仕事を選り好むようになった。

 それに引きずられ、フォスキーア自体も怪しげな集団へと変質しようとしていた。少女はこれが嫌だった。


——フォスキーアは『誰かのために頑張りたい』という、たったそれだけの思いを胸にした純朴な冒険者たちが集まった集団なんです。決して、陰謀や壮大な神話を掲げるような集団ではないんです。


 最近の女団長に対し、少女はいつもそう心で叫んでいた。ゆえに、女団長が久々に純粋な人助けの仕事を選んだのが、自分のよく知っているフォスキーアが帰ってきたようで、少女は嬉しかったのだ。


「よ〜し! 師匠のためにも、サウスキアのみなさんのためにも、頑張らないとですね!」


 嬉しさはやる気に変換され、また日々の特訓の成果が遺憾無く発揮され、少女はライナーとシャルが率いる500の軍勢と共に盗賊団の壊滅に貢献する。


「なっ、なんだこのガキ!? 動きが速すぎて……ぐわぁっ!」


「ガキ相手に何をしてやがる! 全員でボコしてやれ!」


「「「「うおおおおお!!!!」」」」


「待て! 足元を見ろ! ガキがばら撒いた火薬が——」


「「「「ぐわああぁぁぁっっっ」」」」


 理性と品はないが体力と暴力性だけは人並み以上の盗賊団相手に、小動物のように駆け回り、猛獣のように斬り掛かり、猟師のように罠を仕掛け発動する少女。彼女の活躍を見て、シャルの心が躍る。


「お兄ちゃん、あの子すごいね! あんなにかわいいのに、あんなに強くて——お兄ちゃんがフォスキーアを雇ったのは正解だったね!」


 無邪気に喜ぶシャルに、ライナーの表情も思わず綻ぶ。


 一方の少女もまた、ライナーとシャルに好印象を抱いてた。

 領主が冒険者集団に仕事を依頼するとき、それは厄介な状況であるのが普通だ。そのためほとんどの領主は冒険者たちに仕事を押し付け、その成果だけを欲する。

 ライナーとシャルは違った。二人は常に冒険者と共に行動し、戦人形を率いて盗賊団相手に前線で戦い続けた。冒険者が怪我をすれば、その冒険者を見捨てず適切な治療を施した。二人は冒険者を命ある人間として扱い、その仕事ぶりに敬意を示した。


 強く優しい人、というのはライナーとシャルが少女に抱く印象だが、少女がライナーとシャルに抱く印象も、まさしくそれであったのだ。だからこそ盗賊団討伐の帰り、少女は言う。


「ライナー様とシャル様は、とても優しい方たちです! お二人がいるサウスキア辺境伯領、もっと長く滞在したいかもです!」


 そんなことを屈託のない笑顔で言い放つ少女に、ライナーとシャルはいよいよ癒されてしまう。


 いつしかライナーとシャル、少女の3人は、共にヤーウッドの街を散策する程の仲となっていた。2週間ほどで盗賊団討伐の仕事が完遂し、サウスキアに平和が訪れれば、3人は街のレストランで喜びを分かち合う。


「領民たちの日常が取り戻せたのは、みんなのおかげだ。本当にありがとう」


「いえいえ! ライナー様の的確な指示があってこその盗賊団討伐です!」


「もう、二人とも、そういった言葉は先程の祝賀会で嫌というほど聞きましたわ。今はわたくしたち三人だけのパーティー、もっと肩の力を抜いてくださいな」


「そうですね! シャル様の仰る通りです! はい! 肩の力を目一杯抜かないと!」


「抜きすぎて脱力するなよ」


 全てが順調で、全てが平穏へと向かっていく日々。ライナーもシャルも、そして少女も、自分の立場をしばし忘れ、おいしい食事と充実した時間を年相応に楽しんだ。


 少女の平穏な日々は、しかし同じ日の夜、大きく転換する。


 ライナーとシャルの二人と別れ宿屋に向かおうとした少女を、冒険者の声が引き留めた。彼の声に誘われ裏道に入った少女を待っていたのは、2人の冒険者——信者と5体の戦人形を引き連れた、死人と盲信に絡みつかれる女団長の不気味な笑みだ。


「リヒトレーベン姉妹にうまく取り入ったようね。フフフ、さすがよ。貴方の言った通りだわ」


「……うん? ええと、あ、ありがとうございます……?」


「本当にかわいい子、かわいい〝私たち〟の子。そんなあなたにしか頼めない、最高の仕事があるの」


「仕事? どんな仕事ですか?」





「ライナーとシャルを殺しなさい」





「……師匠? あの、何を言っているんですか? どうしてそんなことを?」


「2人が死ねば、精霊の壁代が消える。精霊の壁代が消えれば、今は魔物たちが活発な時期、飢えた魔物たちが大量にこの世界に入り込む。魔物たちがこの世界で暴れ、この世界を支配する〝英雄〟たちを始末してくれる」


「……わ、わかりません……なぜ、そんなことを?」


「〝私たち〟はね、予言を現実のものにするという任務を遂行しなければならないの。〝英雄〟に支配された世界——人を人とも思っていないような畜生共に支配されたこんな狂った暗黒世界を、完膚なきまでに壊さなければならないのよ! 〝私たち〟はね、暗黒世界にグレートリセットをもたらし、光に満ちた本来の世界を取り戻すという、崇高な任務を成し遂げなければならないの!」


「待ってください、言っていることの意味が……ううん、違う、今の師匠に言うべきは……師匠の目指す理想はわかりました。でも、その理想を叶えるには、大勢の命を引き換えにする必要があります。私、それは、それだけは……」


「そんなことを気にする必要はないのよ。あなたが何かを背負う必要はないの。責任を感じる必要もない。だってあなたは、グレートリセットによる光に満ちた世界への門を開くのだから。あなたは素晴らしいことをするだけなのだから」


「……もし、私が師匠の言う仕事を引き受けないと言ったら?」


「フフフ、〝私たち〟のかわいい子が、そんなことを言うはずがないわ。ああ……〝私たち〟の子が、光に満ちた世界の神様に……貴方、夢みたいよね」


 誰もいないはずの椅子に向かって、女団長はニタニタと笑う。瞬間、少女にとっての女団長とフォスキーアは、思い出の中だけの存在となった。

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