2—7 妹シャル
書物と書類で埋め尽くされた城の一室。ここはサウスキア辺境伯が事務仕事をするための執務室だ。
ライナーが辺境伯としてこの部屋にやってきたのは今日がはじめてである。
となれば、今の執務室のレイアウトはグランツが残したもの。一切の飾りがなく、事務仕事のための文房具や魔道具がずらりと並んだデスクの上などは、まさしく生真面目なグランツのキャラクターそのままだ。
そんな執務室で、俺はデスクチェアに座り一息つく。まとまな椅子にゆっくりと座れたのは何十時間ぶりだろうか。もしかしたら転生後初かもしれない。
くつろぐ俺の隣で、ロミーは書類片手に窓の外を眺め、報告してくれた。
「準備は順調です。4千の軍勢は、もうすぐ出撃できますよ」
「そうか、その調子で頼むぞ」
サウスキア辺境伯領の人材は本当に優秀だ。
転生前はただの会社員だった俺が、いくらゲーム知識を弄したところで、ムスタフに勝つのは難しい。優秀な部下たちがいてくれてはじめて、俺は滅亡イベントを回避できるかもしれないんだ。だから、みんなには感謝しないと。
もちろん、俺も頑張るぞ。
――ライナーのイベント死は回避できたんだ。この調子で滅亡イベントを回避しよう。
それにしても、ロミーの表情は曇ったままだ。精霊の壁代を弱め魔物を流入させるという作戦を聞いてから、彼女はずっとこの調子である。まあ、なかなか鬼畜な作戦、何か思うところがあるのだろう。そろそろロミーの意見も聞いてみるか。
と、こういうタイミングで執務室の扉がノックされる。俺が入室を許可すれば、開かれた扉の向こうにはシャルの姿が。
「兄上、よろしいですの?」
「構わないよ。精霊の壁代の件だな」
「……はい」
執務室に入ってきたシャルは扉を閉め、ロミーを一瞥する。そして彼女は、まるでロミーの気持ちを代弁し、2人で俺に問いかけるかのように、尋ねるのだった。
「やはり、兄上自身の考えや気持ちを、もっと聞いておきたいんですの」
少女2人のまっすぐとした視線が俺に突き刺さる。
本音を隠す必要はないだろう。俺は椅子に深くもたれ、一拍置いてから
「俺の考えは単純だ。俺たちがイズミア軍に負ければ、サウスキアの住人たちは虐殺、良くて隷属の未来に転げ落ちる。魔物が流入すればいくらかの人々が不幸に見舞われる。俺は、どちらも回避できるほど強くない」
無理なものは無理なんだ。無理を重ねたところで、全てを失うだけなんだ。これは会社員時代に嫌というほど思い知らされた。
「俺は、どちらかを犠牲にするしかない。なら、どうするか。どちらがより被害が大きいかを考えれば、答えは決まりきってる」
これは合理的な考え方だ。ゲームではこれで十分だろう。でも、ここは現実世界だ。
どこか影のある眼差しで俺の話を聞くロミーとシャルを前に、俺は自嘲する。
「なんて言ったところで、魔物の流入で家を無くす人、生活をメチャクチャにされる人、友達を失う人、家族を失う人からすれば、単なる言い訳にすぎないんだろうな」
言いながら立ち上がり、俺は窓の外を眺めた。眼下に広がるのは、大勢の生きた人間が住まうヤーウッドの街だ。俺の選択が、この街の人々の未来を変えてしまうんだ。
「最悪を選ぶか悪を選ぶか。俺は最悪を回避するため悪を選んだ。だからその悪によって引き起こされた全部が俺の責任だ。俺が背負わなきゃいけないものだ」
言うは易しだな。数日前まで会社員だった俺に、そんな重荷が背負えるのか?
いや、立場は関係ない。一人の人間として、こういうのはちゃんとしないと。
「もしもイズミア軍に勝てたら、まずは償いをしないとな……」
言いたいことを言い切って、俺は振り返る。
幸いなことに、ロミーの表情は複雑に、しかし明るく晴れていた。彼女は俺の気持ちを理解してくれたんだ、と思うには十分すぎる表情だ。
問題はシャルである。彼女はうつむいたまま俺の前へと進んできた。そのままシャルはデスクを回り込み、俺のすぐ隣にやってきた。
何やら今までと雰囲気が違う、うつむき口を閉ざすシャルに、俺は唾を飲み込む。
次の瞬間、シャルは眩しすぎる笑顔でいっぱいの顔を俺にグッと近づけ言い放った。
「お兄ちゃん! シャル、決めたよ! シャル、お兄ちゃんの言う通りにする!」
「う、うん……うん?」
「お兄ちゃんはとっくに、いろんな罪を全部背負う覚悟を決めてたんだね!」
「ああ……まあ……」
「だよね! シャル、お兄ちゃんのそういうところ、大好き!」
そしてシャルは俺にぎゅっと抱きついた。
綺麗なブロンドヘアが俺の顔をくすぐり、甘い香りが俺の心を落ち着かせ、柔らかく豊かな胸が俺の体に押し付けられ、暖かな体温が全身に伝わってくる。
――なんだこれ!? 何が起きているんだ!?
一旦整理しよう。ええと、LAシリーズ屈指の人気キャラである美少女が、人前では絶対に見せないような甘えた表情と声で、俺をお兄ちゃんと呼びながら、大好きという言葉と共に抱きついてきた。
「これはまさか、LA4プレイヤーにとっての最高の瞬間じゃ……!?」
驚きと嬉しさと困惑で俺の心はめちゃくちゃだ。
可憐な公女様は、実はお兄ちゃん大好きっ子だった。もうこれだけで、ライナーに転生して良かったと思えるぞ。
なんて思っているのは俺だけだ。シャルは上目遣いで首をかしげる。
「お兄ちゃん、えるえーふぉープレイヤーって、なんのこと?」
「い、いや! 別に! なんでもない!」
まずい、興奮のあまり転生前の俺を出してしまった。
あからさまに視線を逸らした俺に対し、シャルは俺の顔をのぞき込む。
「な~んかお兄ちゃん、いつもとちょっと違うよね。性格が変わったというか……」
――君がそれを言うか。
とはいえ、相手はお兄ちゃん大好きなシャルだ。今度こそライナーの中身が転生者である俺だとバレるかもしれない。俺の鼓動は早くなるばかり。
数秒間じっと俺を見つめたシャルは、腕を組み目をつむると、全てを理解したように話し出した。
「うんうん! シャルもわかるよ、お兄ちゃんの気持ち! パパから辺境伯を譲られたお兄ちゃんは、人前では今までよりもずっと自分を飾らなきゃいけない! だから素顔でいられるときは、今までよりもずっと素顔でいたい! そういうことなんだよね!」
「ええと――」
「頑張り屋さんのお兄ちゃん! シャルとロミーの前では、もっと素顔を出していいよ! むしろ、シャルの知らないお兄ちゃんが見られて、シャルは嬉しい!」
「……ありがとうシャル! お言葉に甘えさせてもらう! アハハハハ!」
なんだかよくわからないが、なんとかなったぞ!
引き攣った笑みを浮かべながら、俺はシャルの勘違いに全力で乗っかり、事なきを得た。
俺たち兄妹がそんなことをしている間、ロミーは優しく微笑んだままだ。シャルはロミーに尋ねた。
「ロミー、どうしてニヤニヤしているの?」
するとロミーは嬉しそうに答える。
「いえ、ライナー様と私の前だと、シャル様は全力で素顔を見せてくださるな、と思って」
「当然でしょ! シャルにとってお兄ちゃんとロミーは特別だもの!」
にっこり笑って、シャルはロミーの手を握った。
が、すぐさま彼女は俺に抱きつき、チラチラとロミーに視線を向けながらわざとらしく言う。
「でもシャル、心配だよ! 大好きなお兄ちゃんを、いつかロミーに取られちゃいそうな気がして!」
「シャ、シャル様!? それはどういうことですか!?」
「だってお兄ちゃん、最近はシャルよりもずっと長くロミーと一緒にいるんだもん……昔はいつだって、お兄ちゃんの隣にいたのはシャルだったのに……」
「わ、私はライナー様の側近です! 側近としてずっと一緒にいるだけで、側近として一緒にご飯を食べているだけで、側近として一緒の部屋で寝て……あわわわわわ!」
勝手に墓穴を掘り、勝手に慌てはじめたロミー。
そんな彼女のもとに駆け寄り彼女の手を握って、シャルはおかしそうに笑うのだった。
「フフ、からかってごめん。お兄ちゃんの側近が務まるのはロミーだけ。頼りにしてる」
「うう……シャル様のからかい、怖いです……」
「だってロミー、反応がかわいいんだもの。今度お詫びに、旧市街でスイーツ巡りでもしましょう」
「ほ、本当ですか! 行きます行きます!」
あっという間にロミーは普段通りに戻った。ホント、ロミーは変わり身が早いな。
それにしてもロミーとシャルは仲が良さそうだ。楽しそうな二人に、俺はほっこり気分。
ほっこり気分でいる俺に気がついて、シャルは再び俺のそばにやってきた。そして彼女は俺を見つめる。
「いつも言ってるけど、いろんな罪をお兄ちゃん一人で背負う必要はないよ。罪を背負うときはシャルも一緒だから、ね。お兄ちゃん大好き!」
そう言って、シャルの表情が甘くとろけた。彼女は俺の腕に絡みつくと、耳元でささやく。
「お兄ちゃん大好き」
「2回言わなくても充分に通じてるぞ」
思いのほか、妹の愛は重いのかもしれない。
少しして扉がノックされ、鋭い眼差しをしたスチアが執務室にやってきた。
「失礼する。シャル殿下、軍勢の確認を」
「わかったわ、すぐに向かいますの」
一瞬にして俺と常識的な距離を取り、公女の可憐な表情に戻ったシャル。だがスチアが執務室を去れば、スイッチを切り替えたように妹キャラへ。
残念そうにため息をつき、執務室を去ろうとしたシャルは、ふと俺に尋ねた。
「ところでお兄ちゃん、パパはどうしてノーランを殺したの? 魔界で見つかった例の予言書が関係する、とかそういう話?」
――いや、なんか上司にムカついて、その憂さ晴らしで殺したらしい。
とは言えないよな。
「さ、さあ、それは俺も知らないんだ。悪い」
要領を得ない俺の返答に、シャルは特に反応を示すことなく執務室を去っていった。
俺はなぜだかため息をついてしまう。
ロミーは朗らかな様子で言った。
「シャル様は本当にライナー様のことがお好きですね」
「だな。だがロミーとシャルも、なかなかに仲が良さそうに見えるぞ」
「もちろんです! シャル様は私の大親友であり、恩人ですから!」
体を乗り出しそう言ったロミーの瞳は、嬉しさと照れくささでいっぱいだった。
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