1—4 裏切り
瞬く間に俺の首元にスチアの剣が当てられる、という状況に、意外にもロミーは瞬時に反応した。
「ス、スチア様!? 剣をしまってください!」
いつの間に短剣を手に取って、ロミーは俺を守ろうと声を張り上げてくれている。
しかしスチアはロミーの叫びに応えない。
俺は何も言えないし、動けもしなかった。俺はスチアが剣を抜くのに気がつかず、首元に剣を当てられた。もしスチアが剣を止めなければ、俺は殺されたことにも気づかず死んでいただろう。
なんとかして生き残る? いきなり死にかけてるぞ、俺。
というか、スチアはなんで剣を抜いた? イベントではスチアは裏切らないはずだぞ。
意味がわからず、恐怖と混乱で黙っていれば、スチアは無表情のまま言った。
「部下を信じず、挙句に夜の森を突破するなどと言い出す。ライナー陛下、あなたはそこまでして自分の命が惜しいか」
惜しいに決まってるだろ、とは言えない。それを言えば、殺される。それだけの迫力が、今のスチアにはある。だから、黙る。
しばらく沈黙が続いて、スチアは凛とした瞳の奥にわずかな疑念を抱いた。
「ライナー陛下は、領主としての責務を果たすに相応しい人物だと思っていた」
鋭く冷たい言葉だった。まるで、俺がライナーではないと見抜いているかのような。
スチアはそのまま再び剣を振り上げる。どうやら今度は俺を殺す気のようだ。
俺は目をつむった。イベント条件さえ満たさなければ、ライナーは死なない。そう思っていたが、滅亡イベントを避けるのは、そんな簡単な話ではなかったらしい。
別の行動をすれば、別の結果が生まれる。その結果が、俺の望んだ結果とは限らない。現実を生きていれば当然のこと。
エピコスはゲーム世界ではなく、現実なんだ。だから俺は、死のうとしている。
何もかもを諦め、俺はスチアの剣によって首を落とされるのを受け入れた。
受け入れた瞬間だった。ロミーの声が指揮馬車に響き渡る。
「待ってください!」
今までとは毛色の違う叫び声であった。ゆえに、スチアの剣が止まった。
ロミーは短剣を握ったまま、赤く光る駒が増えた盤面を見つめ、震えた声で言葉を続ける。
「本隊で裏切り発生! 味方部隊は混乱中です!」
彼女の言う通りだった。盤面に整然と並んでいた青い駒は、そのいくつかが赤く染まり、青い駒を攻撃しはじめている。青いままの駒はゲージが空になり、黒いモヤに覆われ右往左往。
LA4プレイヤーとして断言できる。本隊は裏切りによって壊滅状態となった。全てはイベント通りに。
本隊は壊滅状態。俺はスチアに剣を向けられ死ぬ直前。何もかもが絶望的。
ここでスチアは、突如として鞘に剣を収めた。
「私が間違っていたようだ。ライナー陛下は部下を疑っていたのではなく、真実が見えていたのだな」
そしてスチアは何事もなかったかのように背筋を伸ばし、俺の警護を再開した。
嵐が過ぎ去って、短剣をしまったロミーは嬉しそう。
「よかったです! スチア様、考え直してくれたみたいですね!」
「はぁ……あいつ、思ったよりヤバイ奴っぽいな……」
さすがLA4プレイヤーに猪突猛進系英雄としてネタにされてきたスチアだ。いろいろめちゃくちゃだぞ、あいつ。
何にせよ三途の川は遠ざかった。今はスチアが味方に留まってくれたことを良しとしよう。
ロミーは気を取り直し、盤面を見つめながら俺に尋ねる。
「それで、どうします? 本隊、このままでは壊滅ですよ?」
対する俺の答えは単純だ。
「本隊は解散させる。残った部隊はバラバラにサウスキアに撤退させる」
「え!? でもそれでは、味方を裏切った部隊がライナー様のもとに向かってきますよ!?」
「いたずらに兵を失うよりはマシだ」
どうせイベント壊滅する部隊だ。下手に反撃して壊滅されるよりは、バラバラに解散させて、ほんのわずかでもサウスキア領に戻ってきてくれた方が助かる。
あとはライナーこと俺がイベント死しないよう、作戦を次の段階に進めよう。
「俺たちは指揮馬車を捨てて撤退を続ける。指揮馬車を捨てれば、裏切り者たちも俺の位置を特定できなくなるだろうし」
途中の村でわざと指揮馬車の姿を晒した。きっと裏切り者たちは、その情報をもとに無人の指揮馬車を追いかけるはず。その隙に俺たちは一目散に逃げるんだ。
「指揮馬車はテキトーに走らせておけ。護衛は――」
「逆境は私の好みだ。任せろ」
命令する前に、スチアは鋭い眼差しで槍を掲げ、馬に跨った。
とてもじゃないが、さっきまで俺を殺そうとしてた奴の顔じゃないぞ。ライナーはよくこんなクセの強い女騎士を部下に従えてたもんだ。
まあ、スチアが護衛なら頼もしい。
俺は指揮馬車を飛び降り、部下たちが用意してくれた馬に跨った。幸いライナーの体は馬術を覚えているらしく、人生はじめての乗馬はなんとかなりそうである。
ロミーも少し遅れて馬の上へ。彼女は小さくため息をつくと、残念そうに言った。
「はぁ……夜の森を駆け抜けるしか選択肢がなくなってしまいました。ライナー様との野営、ちょっと楽しみだったのになぁ」
時折の不安そうな表情は何だったのかと思うくらいに、ずいぶんとのんきだな、ロミーは。
空になった指揮馬車は戦人形に操られ、闇に沈んだ森の奥へと消えていく。
俺は魔法石の光に照らされながら手綱を握り、声を張り上げた。
「みんな! 行くぞ!」
「はい!」
ロミー、スチア、数人の部下たち。数十体の戦人形。少数精鋭に守られて、俺は夜の森を突き進む。
* * *
月明かりに照らされて、木々のシルエットの間を馬で駆ける俺たち。
闇の中にはいくつもの赤い光が揺れ動いている。
赤い光を見つけるたびに槍を構えるスチアは、俺たちに警告するのだった。
「気をつけろ。魔物が多い」
魔物。それはエピコスの果てに存在する魔界からやってきた凶暴な獣たちだ。LA4においては不確定要素として登場する、面倒極まりない奴ら。
先ほどから闇の中で揺れる赤い光の正体は、きっと魔物の目なのだろう。
いかにもファンタジーな存在に出会えて、俺は嬉しさと恐怖で感情がめちゃくちゃだ。
馬を走らせるロミーは、恐怖を紛らわせるように喋り出す。
「サウスキア辺境伯領は大陸南部に広がる魔界と接した国です。その立地から、サウスキア辺境伯とその親族は130年間にも及び自らの魔力を捧げ、魔物の流入を防ぐ魔障壁〝精霊の壁代〟を守る義務を負ってきました」
言いながら、ロミーの表情は険しくなっていく。
「グランツ様が急死してしまった現在、その義務の全ては本拠ヤーウッドにいたシャル様が引き継いでいるはずです。いくら魔力を豊富にお持ちのシャル様でも、お一人で〝精霊の壁代〟を維持するのは厳しいのでは?」
これもまたLA4の設定そのままの話だった。魔界と接し、魔法関係の政策が豊富で、対魔界に特化したプレイも可能。それがサウスキア辺境伯領の英雄をプレイするときの特徴だ。
LA4では、対魔界の政策を疎かにすると魔物の流入というデバフが国力に上乗せされるようになっている。これを今の状況に当てはめると。
「魔物が多いのは、シャルが〝精霊の壁代〟を維持しきれず、魔物の流入を止めきれていないから、とも考えられるのか」
俺たちもギリギリだが、本拠の方もギリギリみたいだ。
そもそもサウスキア滅亡イベントでは、ライナー死後にシャルがサウスキア軍を率いるようになる。だがシャルは〝精霊の壁代〟を維持しながら戦うため、本気を出しきれないという展開へ。その流れはすでにはじまっているらしい。
ロミーは遠くを眺め、心配そうに言うのだった。
「シャル様は大丈夫でしょうか……」
主君の身を案じる、というだけでは説明できないくらいに心配そうな口調だ。
一方の俺は、自分たちが進む先に並ぶ巨大な影を見つけて、顔が引きつってしまう。
「シャルが心配なのはわかるが、まずは自分たちの心配をした方が良さそうだぞ」
俺の言葉を聞いて、ロミーも進む先に並んだ巨大な影に気がついた。
「あの魔物は……トロルの群れ!?」
優に10メートルは越えているであろう体格に、赤く光った目、大木のような腕、大岩のような棍棒。それが数体。月夜に浮かんだ化け物の登場だ。
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