1—3 逃げの領主

 太陽が西に傾きはじめた頃。

 部下の一人が俺に報告してくれた。


「撤退の準備が完了しました!」


「わかった」


 方針が定まってから、わずか3時間程度。撤退の準備は早くも完了したらしい。

 俺が率いるサウスキア軍は約1万の兵士と、グランツの敗残兵約2千が加わった1万2千の軍勢だ。これの撤退準備を短時間で終わらせるとは、サウスキア軍は優秀である。


 とはいえ、この結果にはゲーム的な世界観が大きく影響している。というのも、LAシリーズの設定そのままに、エピコスにおける兵士とは人間ではなく、戦人形と呼ばれる人形たちのことを指すからだ。


 当然、人形は食事をしない。代わりに戦人形は、魔力起動術式と呼ばれる大規模な魔法で魔力を注入することにより稼働する。稼働時間は通常で2ヶ月程度だが、強行軍や戦闘といった魔力消費の激しい任務を行えば、稼働時間が短くなる仕組みになっている。

 今のサウスキア軍は、前回の魔力起動術式から2週間しか経っておらず、戦闘もほぼ行っていない状態だ。となれば、戦人形の魔力とリンクした英雄の撤退の準備が終われば、戦人形の撤退の準備も自動的に完了する状態。ゆえに、撤退準備は短時間で終わったのである。


 兵站の概念が現実とまったく違うのだ。五感で感じる世界はリアルなのに、ゲームであるLAシリーズとまったく同じシステムが存在するこのエピコス。なんとも不思議な感覚だな。


 報告を聞いた俺は、会議室のあった建物――ボルトア帝国領南部の砦の広場に立ち、ずらりと並んだ部下たちに向かって叫ぶ。


「今は速さこそが勝負を決める! 皆の者! 一心不乱に逃げるのだ!」


 単純な言葉だが、命令はこのくらい単純な方がいいだろう。

 俺の命令を聞いて、鎧に身を包んだ、いかにもモブな顔つきの男が俺の前にひざまずいた。こいつはLA4における凡将の一人、ウーゴ=チュニだ。

 ウーゴは言う。


「では陛下! 再び故郷で!」


「ああ! また会おう!」


 ひざまずくウーゴの手を握り、俺は彼と別れた。


 武装し鎧を着た顔のない人形たち――戦人形たちは、英雄たちの指示に従い砦を後にする。

 1万2千の軍勢の中心にいるのは、全部隊の情報を集め、指示を出す司令塔、指揮馬車と呼ばれる総大将専用の馬車だ。

 軍勢は出撃、砦はもぬけの殻となり、サウスキア軍の撤退戦がはじまる。


 そんな光景を、俺は軍から離れた丘の上から眺めていた。そう、俺は撤退する本隊には加わっていないのだ。


 俺の周りには、少数の戦人形と護衛の兵士、本物の・・・指揮馬車、そしてロミーの姿が。

 ロミーは本隊を眺めながら言った。


「本隊が遠ざかっていきますね。ライナー様、私たちもそろそろ出発しましょう」 


 そしてロミーは、いくらか緊張感を和らげ、穏やかな微笑みを俺に向ける。

 俺は心が癒されていくのを感じながら、指揮馬車に乗り込んだ。


 幌に包まれた、大きな四角い盤面を中心に置く指揮馬車内で、振動する席に座った俺たち。ロミーは盤面上に浮かんだ複数の駒を見て、首をかしげる。


「それにしても、どうしてライナー様は本隊とは別行動を?」


「裏切り者が出た場合に備えてだ」


 イベントにおけるライナーの死は、裏切り者の襲撃によるもの。なら単純に、ライナーと裏切り者の距離を離せば、ライナーが殺される確率は減る、と俺は考えた。

 しかも俺は部下たちに対し、俺が本隊の中心で撤退の指揮を執ると嘘をついた。嘘がバレないよう、わざわざ偽物の指揮馬車まで用意して、それを本隊の中心に置いた。

 俺が別行動をしていると知っているのは、俺の周囲にいる人間と、本隊にいる数人だけ。ここまで徹底すれば、ライナーのイベント死は避けられるはずだ。


 と、ここで指揮馬車の外から鋭く尖った女性の声が聞こえてくる。


「フン、領主が自らの部下を疑うか」


 なんとも心に突き刺さる口調だ。


 声の主人はスチア=シール。LA4に登場する英雄の一人であり、サウスキアの騎士だ。能力値は統率89、武力97、魔力51、知力73、政治40、魅力85。個人戦闘系のスキルを持つ武闘派である。

 シルバーの長い髪にジト目、褐色肌で長身の美女である彼女は、LA4プレイヤーにも人気が高い英雄だ。とはいえ、屈指の猪突猛進系戦法を持つせいか、ネタキャラ扱いされている感も否めないのだが。


 指揮馬車の隣で銀の鎧に身を包み、槍を握ったスチアの厳しい言葉を聞いて、ロミーは馬車から体を乗り出し抗議する。


「ス、スチア様!? ライナー様に失礼ですよ!」


 けれどもスチアは表情ひとつ変えず、抑揚なく言い放った。


「私は陛下を慎重な領主であると誉めただけだ」


「あ! そいうことでしたか! もう、スチア様はわかりにくいお方ですね」


 なんかロミー、えらく簡単に納得したな。どうにも俺は皮肉を言われたような気がしてならないんだが。

 でもまあ、スチアは信頼できる英雄だ。なぜなら彼女は、ライナーが死ぬイベントでも裏切らず、捕虜になっても、サウスキアが滅亡するまで降伏しなかった人物なのだから。

 だからこそ俺はスチアを護衛の一人に選んだんだ。


 外の警戒はスチアに任せて、俺たちは指揮馬車にあった地図を手に取った。


「この少ない手勢で森を抜けてサウスキア領に向かうルートだと……ええと……到着まで9日はかからないですね」


 ならば7日で到着できないだろうか、と思う俺。

 同時に、目の前に広がる盤面に視線を落とす。


「盤面を見る限り、本隊はまだ順調に進軍してるみたいだ。にしても――」


 まるで航空写真のように広がる、立体的な地形図。そこに置かれた味方部隊を示す青い駒は、リアルタイムで地形図の上を進んでいる。駒の上には各英雄の顔グラと戦人形の数、そして2本のゲージが浮いていた。

 俺は思わずつぶやいてしまう。


「この盤面、ゲームの戦闘マップそのままだな」


 転生前、パソコンのモニター上で何十時間と見てきた盤面と、目の前の盤面、何ひとつ変わらないのだ。

 やはりこの世界はLA4の世界なのである。俺はあらためて、そう認識させられた。


 他方、ロミーは不思議そうな顔で首をかしげた。


「ゲーム? どういう意味ですか?」


 やってしまった。またしても俺は自分がライナーであるのを忘れて喋ってしまった。

 今度もなんとかして誤魔化さないと。

 と焦ったのも束の間、ロミーは笑顔で手を叩いた。


「あ! チェスやボードゲームのことですね! わかります! たしかに指揮馬車の盤面は、チェスやボードゲームに似ていますよね!」


「う、うむ! そうだ! そういうことだ!」


 よしよし、勝手に勘違いしてくれたぞ。この調子なら、ロミー相手には油断しても意外と大丈夫かもしれないな。


 それよりもだ。距離をとったとはいえ、本隊には裏切り者が確実に存在するこの状況は、まったく油断ならない。


――しばらくは盤面から目が離せないな。


 緊張感を胸に、俺は馬車に揺られながらサウスキアへと向かう。


 指揮馬車はいくつもの村や丘を越え、森に差し掛かった。

 森は馬車が進むのもやっとな手付かずの土地である。車輪は枝葉を砕き、揺れは激しくなり、幌は草木に傷つけられている。加えて、太陽は西の山の向こうに沈んでしまった。


「日が暮れてきましたね」


「夜の森は危険だ」


「スチア様の仰る通りです。ライナー様、どこかで野営しましょう」


 ロミーとスチアの常識的な提案だ。

 俺は即座に首を横に振った。


「いや、野営はしない。このまま夜の森も突き進む」


 夜の森よりも滅亡イベントの方が怖いからな。

 もちろん、滅亡イベントを知っているのは俺だけだ。夜の森を突き進むと聞いて、ロミーは体を乗り出した。


「き、危険です! もし途中で魔物に襲われるようなことがあれば――」


「ムスタフの軍勢は昼夜を問わず全速力でサウスキアに向かっているはずだ。彼らより先にサウスキアに到着するためには、夜も休んではいられない」


 裏切り者の襲撃を乗り越えライナーのイベント死を避けたとして、その先のサウスキア滅亡イベントを避けるには、それしか方法がないんだ。

 ムスタフは戦国時代でいうところの秀吉の大返し、つまりこちらが想像する何倍もの速さでの進軍を仕掛け、サウスキアに侵攻してくる。準備不足だったサウスキアはこれに苦しめられ、諸侯はムスタフ率いるイズミア軍有利と判断し、サウスキアは孤立する。

 これを避けるには、全てを知る俺がムスタフよりも早くサウスキアに戻り、迎撃の準備を整えるしかない。そのためには、俺が急いでサウスキアに戻るしかない。


「言っただろ、今は速さこそが勝負を決めるんだ」


 だから、夜の森を突き抜けるしかない。

 そんな俺の言葉を聞いて、なおもロミーは微妙な表情をする。


 いや、微妙な表情をするだけならまだいい。スチアに至っては、いつの間に指揮馬車に乗り込み、いつの間に剣を抜き、鋭く研がれた刃を俺の首元に当てている。


 無機質な刃先から感じるヒヤリとした空気が俺の首元を冷やし、そして俺の肝を凍りつかせた。もしスチアが右手をわずかに動かせば、俺の首は地面に転がることになるだろう。

 時計の秒針が一度だけ動く程の間に、俺は一転、死の瀬戸際に立たされてしまったようだ。

 もはや恐怖よりも先に疑問が湧き出てくる。

 

——これは……何が起きている?

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