魔王を倒したものの365日後に死ぬ呪いを受けた勇者は、最後の晩餐を決めるための旅へ出ました

英 慈尊

1日目

 この光景を、端的に表すならば……。

 それは、そう……新たな物語の始まりということになるだろう。

 物語の題名など、一つしかない。


 ――平和。


 ……だ。


 昨日の夜……。

 聖剣を胸に受け、倒れた魔王の断末魔は、世界中へ轟くかのごときだった。

 同時に、かの邪悪が地上侵攻の決定打として構築していた超大規模魔術は霧散し、一週間に渡って世界中の空を覆っていた分厚い暗雲は、ものの見事に消え去ったものだ。

 そのような現象を受ければ、子供でも分かる。


 ――魔王が倒れた。


 ――この世界から、脅威が去ったのだ。


 ……と。


 だから、このお祭り騒ぎだ。

 故郷たるここリアハンの市場には笑顔が溢れ、子供たちは道端で遊び、家々からは賑やかな声が響いていた。

 酒場では、まだ昼間だというのに祝杯が交わされていて、ここに集った酔客たちは、どうやら夜まで飲み続ける算段であると思える。


 とりわけ目を引くのが、中央広場に用意されたいくつもの長机だね。

 ただ、机が並べられているだけではない。

 そこには、王城へ備蓄されていた食料を用いた料理や酒がずらりと並べられていて、民も旅人も問わず、食べ放題の様相を呈している。

 ははあ、さっきの酔客たちは、店で出された品だけではなく、ここに並んでいる料理などを持ち込んでいたわけか。


 思わず、苦笑いを浮かべてしまう。


 ――あの王様。


 ――ボクが旅立った時には、銅の剣と百枚の銅貨しかくれなかったのにな。


 まあ、魔王討伐のために旅立った勇者なんて星の数ほどいたし、気にしてはいないけど!

 何となく、腰に差した剣の柄頭を触る。

 脆く重く、切れ味の鈍かったあの銅の剣は、もうここにはない。

 代わって相棒となっているのは、羽根のように軽く……こうして柄頭を撫でているだけでも、聖なる脈動を感じさせるオリハルコン製の剣だった。


 ――魔王、倒したんだなあ。


 かの恐るべき大魔族に引導を渡してから、まだ一夜も経ってはいない。

 だというのに、その実感が湧いてきたのは、死を見届けたその瞬間ではなく、こうして平和に湧き立つ故郷の姿を見た時だったのである。


「よう、兄ちゃんどうした??

 ぼけっと眺めちまって」


 ボクとしては、感慨に浸っていただけなのだが……。

 なるほど、周囲からすれば、呆けているようにしか見えなかっただろう。

 背中から声をかけられ、振り向く。

 そうすると、ビール入りのジョッキを手にしたおじさんは、驚いたような顔になった。


「……っと、すまねえ。

 兄ちゃんじゃなく、姉ちゃんだったか」


 彼が驚くのも無理はない。

 ボクは生まれてからこの方、ずっと男の子として育てられてきたから……。

 だから、立ち方も歩き方も、所作の全てに男性的なそれが染み付いている。

 その上、黒髪は短く整えてあるし、背後からはマントで全容が伺えない。

 従って、後ろから見たのなら、小柄な男性とも思えるはずだった。


 まあ、前から見た場合だと、思いっきりミニスカートを履いているから、間違いようもないんだけど。

 昨日までと違って、今は胸をさらしで押さえつけることもしてないしね。


「気にしてないよ。

 よく間違われるから」


「そうか。

 そんなら、よかった。

 まあ、姉ちゃんも楽しみなよ。

 今日は、勇者アレルが魔王を討ち取った記念日なんだからな!

 さすがは、勇者オルガの息子だな!

 がっはっは!」


 あっはっは!

 そのアレルは、目の前にいる女の子だよ! おじさん!


 ……とは言わずに、さっさとその場を立ち去る。


 ――一年。


 それが、ボクに残された時間だ。

 今日からの一年を、ボクは勇者アレルではなく、ただの旅人アリスとして生きる。そう決めたんだ。

 だから、せっかく帰還を果たしたけど、お城に行って王様に報告するようなことはしない。


 なら、どうして、わざわざ故郷に帰ってきたのかといえば……。

 理由の一つは、郷愁だ。


 もう一つが、新たな始まりを刻むため。

 この街に生きる人々や、世界中の人々が新たな物語の始まりを喜んでいるように……。

 ボクもこれから、新たな――そして最後の物語を始めなければならない。

 その序章にどこが相応しいかと考えたら、やっぱり、生まれ育ったこの街しか思い浮かばなかったんだ。


 最後の理由は、それは……。

 そこへ向かう前に、広場の料理から何かもらっておくことにする。

 色とりどりの料理が並ぶ中、ボクが選んだのは、リアハン名物の香草焼きだった。

 おそらく、持ち帰りやすいようにという配慮だろう。

 乾燥した木の皮で包まれたそれを手に取り、広場から立ち去る。


 それにしても、意外だったのは……。

 結局、ボクがアレルであることに、誰も気が付かなかったことだ。


 いや、もちろん、気づかれないようにはしていたよ。

 旅立った時のガッチガチな男装じゃなく、結構短い丈のスカート姿だし?

 髪だって、短いなりにやわらかい印象を与えるよう整えてある。

 それに、あれから三年の時が流れていた。

 十五歳から十八歳への成長というものは、ボク自身が思っているよりも、周囲の人々へ違う印象を与えることだろう。


 に、してもなあ……。

 いや、別に富や名声を求めているわけじゃないし、いいんだけど。


 結局……。

 皆が見ていたのは、勇者オルガの息子という偶像であり……。

 アレルという少年自身は見ていなかったし、ましてや、その奥に隠れていたアリスという女の子には、一切気が付かなかったんだなって、そう思っただけ。

 本当、それだけ。


 ……ボクは、お祭り騒ぎの中央広場から、そっと立ち去った。




--




 リアハンの町並みを見下ろせる丘の上に、そのお墓はひっそりと存在する。

 小さな……本当に小さな墓碑が立てられているだけの、質素な墓だ。

 二つ並べられた墓碑には、それぞれこう刻まれていた。


 ――勇者オルガ、ここに眠る。


 ――オルガの妻イルサ、ここに眠る。


 ……父さんと母さんのために、ボクが立てた秘密の墓である。

 勇者オルガといえば、王城前に建てられた銅像が有名だけど、そこに父さんの魂は眠っていない。

 何故なら……。


「母さん。

 父さんを、連れて帰ってきたよ」


 母さんの墓前に、取り出した遺髪を見せた。

 ボクが生まれるか生まれないかという頃、行方不明になったという勇者オルガ……。

 彼は……父さんは、生きていたのである。


 魔王軍との戦いで深手を負い、記憶喪失となった彼は、それでも持ち前の技と、正義感から行動し続け……。

 最後の最後には、ボクよりやや先んずる形で魔王城への突入を果たしていたんだ。

 ただ、父さんと初めて会えたその時……。

 彼は魔王軍幹部と相打ちの形で、瀕死の重傷を負っていたけど……。


「父さん。

 ここにお眠りよ。

 これで、母さんとずっと一緒だよ」


 そう言いながら、手で父さんの墓を掘り起こす。

 そして、遺髪を埋めて固く地面をならした。

 あえて道具を使わなかったのは、そうするべきだと思ったからだ。


「では、あらためて……。

 父さん、母さん。

 ボクは、魔王を倒したよ。

 世界に平和を取り戻したんだ」


 真に両親の墓前となったその場所で、正座しながら報告する。

 その後、照れながら頭をかいた。


「まあ、魔王が死の間際に呪いをかけてきたから、実質、相打ちなんだけどね」


 あの時……。

 今際の際、魔王はボクを指差しながらこう言ったものだ。


「――365日。

 きっかり一年で、ボクは死ぬらしい。

 何というか、回りくどい呪いだよね。

 死に際の悪あがきなんて、そんなものかもしれないけど」


 肩をすくめてから、あらためて二つの墓を見やる。


「……残された一年をどう使うかは、考え中。

 とりあえず、勇者アレルであることは、もうやめにするよ。

 これからは、真名の方――アリスとして、生きていこうと思う」


 それから……。

 何も言わず、ただ墓石と……両親と向き合い続けた。

 そこに言葉はいらない。

 ただ、無言の会話があったように思う。

 まあ、傍から見れば、ぼけっと正座しているだけの変な女の子だろうけど!


「……うん、報告終わり!」


 気がつけば……。

 夜空には満天の星が輝いていて、地上の平和を祝福しているようだった。

 その下にあるのは、平和に湧き立つ故郷の街……。

 あは、あちこちでかがり火が焚かれていて、こっちも地上の星空って感じだ。


 そんな光景を見ながら、広場でもらった香草焼きの包みを取り出す。

 同時に取り出した水筒には、葡萄酒を入れてあった。

 食事の時間だ。


「うん……!」


 葡萄酒をちびりと舐めると、体の奥底がカッと湧き立ち、気力が湧いてくる。

 喉の奥では、熟成された葡萄の苦みと甘みが、反響しているかのようだった。


「続いて、こちら」


 木の皮をめくると、本日の夕食――鶏の香草焼きがその姿を現す。

 この――かぐわしさ!

 焼き上げられてから、それなりの時間が過ぎている。

 しかし、木の皮へ包まれることにより、その香味は封印されていたのだ。


「ううん。

 この香りを嗅ぐと、帰ってきたって感じがするよ」


 ここリアハンの料理は香草をふんだんの使うけど、この香草焼きこそは、リアハン料理の集大成と呼ぶべきものだろう。

 先述の通り、焼き上げてからかなりの時間が経っているというのに、清涼感溢れる緑の香りが、ボクを魅了してやまない。


 さすがは、王城の料理人というべきかな。

 カリカリのきつね色に焼き上げられたそれへ、一口、かじりついた。


 ――瞬間。


 口の中に広がるのは、包みを開いた時以上の清涼感……。

 そして、それに負けない鶏肉の旨味だ。

 軽く塩を振られたもも肉は、ぷりぷりとして弾力に富んでいて……噛みしめると、肉汁がじゅわりと溢れ出してくる。


 それだけだと、口の中が脂まみれになってしまうわけだけど……。

 これを清めてくれるのが、リアハン名物のハーブだ。


 どこまでも香り高いこれは、溢れ出した肉汁に爽やかさを付与してくれる。

 すると、不思議なもので……かえって肉本来の味というものが、はっきりと浮き上がってくるんだ。

 しかも、香草の風味が食欲をかき立てるものだから、無限に食べられてしまいそう。


「ああ……」


 じっくりと咀嚼して味わいながら、溜め息と共に言葉を吐き出す。


「美味いなあ……」


 口をついて出たのは、何ともありきたりな言葉だ。

 でも、これを口に出すのは、随分と久しぶりだと思う。


「食べ物を食べて、食べ物の味がしたのは、旅立って以来……ううん、母さんが死んで以来かもしれない……」


 気丈という言葉に服を着せたような女性である母が亡くなったのは、ボクが十二歳の頃だった。

 その頃、ボクは勇者として旅立つ前の予行練習として、様々な冒険者に師事していたわけだけど……。

 知らせを聞いて、駆けつけた時には、もう亡くなっていたのだ。


 元々は、病弱な人で……。

 父さんが行方不明になったと聞いた時は、この世から消えてしまいそうなくらいに落ち込み、弱っていたのだという。

 ボクがそのような印象を受けなかったのは、ボク自身が、楔のような役割を果たしていたから……らしい。


 勇者として旅立つだろう息子――そう、息子だ――の前では、情けない母ではいられないと、知り合いには打ち明けていたらしい。

 そのボクが、自分の手を離れた途端、張り詰めるものが亡くなり、日に日に弱っていたのだとか……。


 そんな彼女の死に顔を見た時は、人間というものがこうもあっさりと死ぬのかと、驚かされたものだ。

 そう、人は簡単に死ぬ。

 ボクも例外ではない。


「あれからだよ。

 ボクが、それまで以上のがむしゃらさで修行したのは」


 母の墓碑を眺めながら、つぶやく。


「自分でも気づかなかったけど……。

 あの日からボクは、食事をしているのに、食事をしていなかったんだと思う」


 張り詰めやすいのは、母に似たってことか。

 新たな発見を得ながら、葡萄酒を口に運ぶ。

 すると、その味わいときたら……!


「うん……そうだ。

 食事っていうのは、こんなにも奥深いものだったんだ」


 葡萄酒に含まれた酒精は、肉の余韻を受け止めて、一気にその華やかさを増していき……。

 口内に残っていた肉の風味もまた、ただ洗い清められるだけでなく、一層、後味を深め、ボクを魅了してくれる。


 確か、こういうのをマリアージュって表現するんだっけか?

 大地の恵みを感じる味だ。


「うん……美味しい。

 勇者アレルは、旅人アリスとなることで、食事の美味しさを思い出しましたとさ。

 めでたし、めでたし」


 吟遊詩人の真似をし、しみじみとつぶやきながら……。

 ふと、思いつく。


「そうだ!

 これからの人生は、美味しいものを探す旅に使うとするよ。

 それで、最後の日……。

 最後の晩餐を、旅路で見つけた最高の料理で彩るんだ」


 それは、とても素敵なアイデア……。

 避けられないものとなった一年後の死を、最高の瞬間に昇華するんだ。

 きっと、魔王も悔しがるに違いない。


「うん、決めた。

 いいよね? 父さん、母さん……。

 あなた方の遺志は、果たしたんだから……」


 両親に向かってそう言い放ち、残された料理と酒を楽しむ。

 カリリと焼き上げられた皮が、舌をざらつかせるこの食感も……。

 肉汁と香草の風味が合わさり、内から溢れ出すソースとなったこの味わいも……。

 それら全てを受け止め、ボクを天の国へと導こうとする葡萄酒の酒精も、存分に堪能した。


「ああ……堪能した……」


 うっとりとつぶやきながら、星空を見上げる。

 それから、立ち上がって……両親に最後の挨拶を行った。


「じゃあ……行きます」


 瞬間……。

 ボクの体は、瞬間移動魔法の輝きに包まれる。


 これこそ、勇者アレルが……ううん……旅人アリスが迎えた新たな物語の第一幕。

 魔王を倒したものの365日後に死ぬ呪いを受けた勇者が、最後の晩餐を決めるための旅へ出るお話だ。




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