第23話 勇花と綾音

 六時間目を終えて放課後になる。廊下からは、人の声と足の音が反響して、外から運動部の快活な掛け声が聞こえてきた。

 とうとう、水無月くんと相対するんだ。

 私はその緊張を紛らわすため、とりあえず隣の列真ん中の席にいる、帰りの支度をしている綾音ちゃんに話しかけた。


「綾音ちゃん。来週からテスト期間だね」

「そうね。今回はあんまり自信がないわ」

「そう言っていっつも良い点取ってんじゃんかー。私なんて……って綾音ちゃん? 私の顔に何かついてる?」


 神妙な面持ちで見つめられる。何だか気恥ずかしい。


「……勇花。何か悲しいことでもあったの?」

「え? ど、どうして?」

「だって少し目が赤いし、涙の跡っぽいのもあるし」


 授業中に目を擦って涙の跡を消し去ろうとしたけど、残っていたみたいだ。綾音ちゃんは心配そうに見つめてくる。


「心配しないで。嬉しさの方だったから」

「そうなのね。もしかして、ずっと悩んでいた事から開放されたのかしら」

「……あ、綾音ちゃんって透視能力でもあるの?」


 流石にドンピシャに言い当てられてると怖さすら感じる。


「単純よ。泣くほど嬉しいことで、しかも珍しく話しかけてくるっていう状況証拠で、推測しただけよ」


 さらっと種明かし的に話されると、意外に簡単そうに思えてしまう。


「まぁ、勇花が変な妄想でおかしくなった可能性もあって、そっちかもとは考えたんだけどね。なんならそっちの方がありそうとは思ったのだけど、言わなかったわ」

「いや、今全部言ってますけど」


 綾音ちゃんは私を妄想狂かなんかと考えている節がある。


「ふふっ」


 教科書などを詰め終えたのか、リュックのチャックを閉めると、重そうに背負った。


「今日は部活無いの?」

「ええ。途中まで一緒に帰る?」

「ごめん。この後やらないといけないことがあるんだ。でも、下駄箱まで一緒に行く」


 私は急ピッチで筆記用具と必要な教科書をしまい、綾音ちゃんと教室を出た。


「勇花大丈夫? 顔がとても強張っているけれど。やらないといけないことってそんな緊張することなの?」

「あはは……そうだね。詳しくは言えないけどすごく」


 流石に綾音ちゃんでもこれから起きることは分からないはず。多分だけど。


「前にも言ったけど、私がいるから、抱え込みすぎないでね」

「ありがと。綾音ちゃんはいつも助けられてくれるよね。……頼りっぱなしでごめんね」

「いいえ、私も助けられているもの。お互様」

 二階へ続く階段の前で、思わぬ返答に歩く足が一瞬遅れる。ズレた距離を早歩きで戻して、下に降りる。


「私、何にもしていないよ」


 最初に話しかけてくれたことから、ずっと綾音ちゃんに助けられてきていて、与えられているとは思えなくて。


「ううん。特別何かをしなくても助けられているの。ただ勇花と仲良く話せて、近くにいてくれるだけで十分。それに、頼られるって結構嬉しいものよ」


 階段を降りる足音がこだまするけど、その音以上に綾音ちゃんの声が耳に届く。受け入れられているって言葉にされると、とてつもなく満ち足りた気持ちになって。


「それに、勇花って面白いからね。変な事を言うし、見てて飽きないというか」

「ちょっと感動してたのに」


 一気に落とされて、感情がぐちゃぐちゃにさせられる。階段を降りきって、一階に着地させる足がふらついて、つまずきそうになった。

 少し足元が覚束ないまま下駄箱まで進み、私と綾音ちゃんは靴を取り出し、地面に置いた。


「本当のことを言うとね」


 声を息の要素を強めて、はにかみながら話しかけてきた。


「私が勇花のことが好きなのは、本当の強さを持っているから」

「本当の強さ?」

「見ていたの、自分の事を顧みないでいじめられている子を助けたこと」


 綾音ちゃんからその話が出るとは思わず、心臓がドクンと強く打った。


「そんな人が友達って心強い。それに、力になりたいって思えるの」


 私が積極性を持ていたあの頃の出来事が、こんな風に繋がっているなんて。

 ずっとあれは失敗だと思い込んでいたけど、本当はそうじゃない事をまた教えてもらった。小学生の時のようにはまだ動けないけど、ボトルネックはもう外れている。


「綾音ちゃん、私ね、少し変われたんだ」


 靴を履き終えて、綾音ちゃんより先に腰を上げた。


「だからね、その期待に応えられるよう今度は私が頼られるような人になるね」


 もう、受け身な私からは卒業する。綾音ちゃんの手を引っ張って立ち上がることをサポートした。


「うふふっ、楽しみにしているわ。それじゃ、頑張ってね、勇花」

「バイバイ、綾音ちゃん」


 そう言って綾音ちゃんは、手を振りながら背を向けて、左に曲がって正門の方へ。私はその逆方向に進み、水無月くんがいるベンチがある方へ歩く。

 空は雲一つない青空で、梅雨の存在を忘れされるよう。そしてそれは、今向かう私の心と同期しているようでもあった。

 めちゃくちゃ緊張しているけど、それ以上に何でも出来そうな無敵感が心に装着されていて、怖くはなかった。

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