第21話 過去からの開放
翌日、そしてその次の日と、息を抜く場所は見当たらず、精神はすり減るばかりだった。学校もそうだけど、晴れも曇りもなかった家の中にも暗雲が立ち込めていて。学校という隔絶された所に逃げ場を求めていた私の足には重りが増え続けていた。一度、それから開放された経験によって、過剰に重量を感じる。
綾音ちゃんに相談しようか。でも、何で言えば良いのかわからない。最近忙しそうだし、何より一番の友達だからこそ、重い話で負担をかけたくなかった。
木曜日は、週の後半で休みがもうすぐで、ラストスパートをかけられる人にとっては希望の曜日。反対に、そんな余力もない私みたいな人は、まだ終わらないのかと落胆してしまう。たった一日が宇宙までありそうな壁みたい。
だから、朝起きた瞬間ベッドに沈んだ体を反発させて、立ち上がらせる気力はもうなかった。
「休もうかな」
私はベッドに体を預けて、適当にショート動画を流しつつ、時間を潰していた。そして現在時刻、七時五十分。普段ならもう着替えて学校の準備をしている。親には食欲が無いと朝食を断っただけで、休むとはまだ言っていなかった。
もっと時間が速く進めばいいのに。もう間に合わないってなれば、休む罪悪感もなくなって仕方ないと思える。
「え」
青葉さんからのメッセージの通知で、半覚醒の意識が目覚める。
動画アプリを急いで閉じて、メッセージアプリを開いた。そこには今日用があるから昼休みにベンチの所に来るようにと書いてあった。
「ふぅ……」
一度息を吐いて私は仰向けの状態から一度右横に体を傾けてから両手に力を入れて上体を起こしベッドの縁に腰掛ける。そして、地についた足で全身を支えて立ち上がった。
休もうか行こうかシーソーが揺らいでいたけど、青葉さんの言葉で行かないといけないと重みが追加されたことで、指針が定まった。
いつもの倍速で準備をして、学校までもジョギングくらいのスピードで向かった。歩くよりも頭が働かないから、ごちゃごちゃ考えずにいれて楽だった。敷地に入れば、乱れた息を整えるため歩きに変更。体が暑くなり、シャツをつまんで風を起こしながら、涼んで平常状態に戻した。
中に入れば水無月くんと会わないか、思わずキョロキョロ挙動不審になってしまう。俯いていればいいのに、まるで探しているみたい。
彼の姿を見ることなく教室に入れた。時間はホームルームの五分前くらい。ギリギリだったから、綾音ちゃんとは話せなかったけど、席から振り返って、私に目を合わせ軽く手を振ってくれた。それだけで、心が軽くなって不安も軽減する。
もう恒例となっている、授業の聞き流しとノート書き写しをこなす。その間に何の用があるのか妄想が膨らんだ。それをしていると時間が倍速になるけど、不安も増大してしまって、すごい速さで迫る昼休みが怖くなっていく。
「……行こう」
とうとう昼休みになる。私は教室を出て廊下、昇降口、そして外へ。進むに連れて休みに歓喜する生徒の声は遠くになり静かになっていく。今までなら、それが落ち着く理由になっていたけど、今は速くなる心臓の音を明瞭にして、緊張を高めてくる。
ベンチが見えてくると同時に青葉さんの背中も見えた。私はなんとなく足音を立てないように近づく。けれど、また落ちていた枝を踏みつけてしまう。ぱきっと音が響いた。
すごい見覚えのある展開だ。忍び足は向いていないみたい。
「……何でそんな忍び足なのよ」
「いやぁ……」
余計なことをするなという言葉とあの時の光景を思い出してしまう。
「まぁいいわ。それで何だけど」
私の心の準備をする間もなく、本題に切り込んできた。
「最近、あんたと玲士、お互いに避けているでしょ」
どこかで見ていたのだろうか、ピシャリと指摘してくる。
「何でかなって思った。それで聞こうとして、ここに呼んだのだけど、今さっき花の香りを嗅いじゃってね。それが玲士じゃなくてあんたの秘密で、全てわかった」
ライバルが上手くいっていないのに、青葉さんは勝ち誇る感じは微塵もなくて。
「それでなんだけど……」
青葉さんは言いにくそうに言葉を詰まらせた。妄想では、また拒絶の言葉で刺されていたのだけど、そういう感じではなさそうで。
「あんたに謝りたくて」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまい、反射的に口を隠した。
「見たのよ。あたしがあんたに言った言葉で、傷つけたことを」
それを聞いた途端に四肢から血の気が引いて、冷や汗が背中に伝った。映らないよう抑えつけていたつもりだったけど、駄目だったみたいだ。
ただ、謝られる理由は見当もつかなかった。水無月くんと同じで。
「そ、そっか。でも謝るのは私の方だよ。あの時も最近のことも、私が余計なことをしたんだから。……ごめんなさい」
ずっと後悔していたことの謝罪の言葉を伝えた。頭を下げたまま、青葉さんの顔を見れなくて俯く。
「や、止めて。あんたは何も悪くないんだから。顔上げて」
怖ず怖ずと青葉さんと目を合わせると、困り顔で手をワタワタさせていた。
「で、でも」
「違うの!」
一際大きい声に遮られる。青葉さんは自分が喋るという視線を私に送ってきて、私は口を閉じた。
「本当は……その、とっても嬉しかった……」
そして彼女は顔を少し赤らめて、小さな声でそう告げた。
「え」
凍りついた心の奥に暖かい風が吹き込んだ。
「拒絶しないとあんたも標的になると思った。……それに、あたしの性格的にも素直になれなくて……って何で泣いてるのよ」
視界がぼやけて生ぬるい涙が頬から落ちる。氷が溶け出して、空いていた心の穴が埋まっていった。
「……グスッ。ご、ごめんなさい……でも嬉し……くて。ずうっと、良く……なかったのかなって……思ってたからぁ……」
涙を腕で拭うのだけど、止まることを知らない。もう感情のダムは崩壊寸前で。
「泣きすぎでしょ」
微笑を湛えた青葉さんは、私のすぐそばに寄ってきて、頭を優しく撫でてくれる。それは、何とか留めていた壁を完全に決壊させた。
「青葉さんっ!」
私は彼女思わず抱きつく。何かに掴まっていないと、倒れそうだった。
「あたしね、手を差し伸べてもらえたから、絶望せずにここにいれたと思ってる。だから本当にありがとうね……勇花」
私は小さな子供みたいにわんわんと泣いた。それは、ずっと溜め込んでいた苦しみを洗い流すみたいに。
その間、青葉さんはそんな私を受け止めてくれていた。
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