第16話 激戦 蔚山(ウルサン)の戦い
空想時代小説
慶長2年(1597年)12月、西生浦(ソソンポ)にいた清正にとんでもない知らせがとびこんだ。蔚山に明・朝鮮合同軍が進攻しているというのである。蔚山城は毛利秀元が中心になって日の本式に改築中だった。それが完成間近となり、主将の秀元は釜山(プサン)に移動したばかりであった。そこをねらわれたとしか考えられなかった。守勢は浅野幸長と太田一吉である。
清正は西生浦にいる配下を戦船に乗せて蔚山へ急がせた。
22日、明・朝鮮軍の騎兵1000が攻め込む。幸長と一吉は奮戦して、これを撃退するが、追撃をすると三方から攻撃を受け、大打撃を被った。一吉はこの戦いで傷を負ってしまった。そこに、敵の包囲網を突破して清正勢が蔚山城に入城した。そして籠城戦が始まった。
隼人が十兵衛に向かって言う。
「鉄砲の弾は充分にあるな」
「はっ、西生浦にある弾薬を全てもってまいりました」
「籠城戦は鉄砲隊が頼みだ。我らは二の丸の守備にあたる。長期戦に備え、弾薬を無駄にするでないぞ」
「はっ、わかっております」
「うむ、頼りにしておる。だが、ひとつ気がかりなことがある」
「それは?」
「先ほど蔵を見にいったのだが、兵糧が少なすぎる。どうやら秀元公が持っていってしまったようなのじゃ」
「籠城で兵糧が少ないとなると・・」
「そうだ。鳥取城の二の舞だ」
「おそろしいことですな」
十兵衛は話に聞いていた鳥取状の干殺しが、目の前にせまってくるかと思うと寒気がした。
23日、改築中だった惣構え(外構え)が崩された。完全に包囲されてしまった。敵の数はおよそ3万。ほとんどが明軍で、朝鮮軍は5000ほどしかいない。それに対するこちらは1万。本丸は太田一吉と浅野幸長が守る。北側には二の丸があるが、他の三方は高い崖の上に守られ、狭間がある土塀に囲まれている。二の丸は加藤勢が守る。本丸より一段低い位置にあるので、守るには厳しい。だが、櫓や土塀はしっかりとできている。十兵衛はその内の正面である北側の鉄砲隊を任されている。
24日、敵がせまった。十兵衛たちは鉄砲を撃ち続ける。銃身が熱くなるぐらい撃った。長い一日が終わって、敵は包囲網にもどった。そこからが地獄の始まりだった。兵糧の奪い合いだ。またたく間に蔵の兵糧がなくなった。十兵衛は敵の恐ろしさより味方の方がおそろしくなった。皆の形相がきつくなり始めている。自分とていつまで冷静でいられるかわからない。
25日、敵の攻撃は小規模だった。後でわかったことだが、この日明軍は休みだったとのこと。戦で休みというのも変な話だが、元々自分たちの戦いではない。包囲網を作り、兵糧攻めという油断があったのだろう。攻めてきたのは権(クォン)将軍が率いる朝鮮軍だけであった。あの幸州山城(ヘジュサンソン)や第1次晋州城(チンジュソン)で日の本軍を苦しめた将軍である。朝鮮軍の攻めは単発で終わった。狭間から放たれる鉄砲や弓矢で土塀に近づくこともできなかった。朝鮮式の守りは高い城壁で、狭間はない。城壁の上にいる兵を倒すことには慣れているが、姿の見えない狭間への攻撃には慣れていないのである。
この日、敵の攻撃が終わると、そこから兵糧獲得戦が始まった。城内にある草は全て抜かれ、煮炊きされた。蛇、カエルは喜ばれた。野犬は弓矢でねらわれた。クセがあるが食べられないわけではなかった。十兵衛は弥兵衛が確保してくれた飯を食った。
「ヘビの肉ですよ」
と言われ、おそるおそる食べてみた。するとウナギに似ている味がした。
食べ終わると弥兵衛が気になることを言いだした。
「十兵衛さま、弾薬が残り少のうございます。この前のように敵の総攻撃がきたら、とても間に合いませぬ」
十兵衛は隼人にそのことを伝えるべきか迷った。だが、隼人に隠し事をしたくなかった。陣屋にいる隼人に報告にいくと
「さもありなん。せんなきこと。配下には敵を引き付けておいて撃て。とだけ伝えておけ」
「弾薬がなくなったら?」
「鉄砲を見せるだけでも、敵は腰をひく。みせかけだけでもいい。そうなったら、敵も塀を越えてこよう。斬りあいになることは目に見えている」
「斬りあいで持ちこたえられますか? 皆弱ってきております。食い物がろくにございませぬ」
「それが籠城戦だ。援軍が来なければ終わりだ」
逃げようにも逃げ道はなかった。敵は完全包囲をしており、皆殺しを考えているのだ。
26日は風雨だった。敵の攻めは一旦中止になった。こちらとしては鉄砲を使えないので、好都合だった。(オレが敵だったら攻め込むのにな)と十兵衛は思ったが、敵の主力はやる気がない。というのがありありだった。包囲していれば降参すると思っているのだろう。この日、西生浦には毛利秀元・黒田長政の軍勢が集結していた。蔚山城攻められるとの知らせが釜山(プサン)にも伝わり、援軍としてもどってきたのである。
27日、この日も風雨が続いた。敵も陣地にこもって出てこない。城内では兵糧争奪戦が始まっていた。とうとう馬が殺された。今まで戦の友であった馬を清正は殺すことを許さなかったが、馬も4日間ろくにエサを食べておらず、立つこともできず弱っていた。1頭が殺されると次々に殺された。清正ももう止めることができなかった。弥兵衛が十兵衛に白い肉を持ってきた。馬のたてがみのところの肉だという。うまそうなところは皆とられたとのこと。おそるおそる食べてみたが、うまいとは思えなかった。だが、食べることはできた。馬の心臓を食べた者は、驚くぐらいうまかったと言っていた。希少部位ゆえの味なのかもしれない。
この日、西生浦には長宗我部元親の水軍がやってきていた。
28日、雨がやみ、敵の総攻撃が始まった。火攻めである。土塀の下に芝草を重ねて火矢をかける。だが、2日間の雨で芝草が濡れていて、思うような火勢が起きない。また、城内の桶には水がいっぱいたまっている。兵糧は少ないが、雨のおかげで水は豊富だった。火矢がかけられてもすぐに消すことができる。なんとか持ちこたえることができた。
その後が地獄だった。多くの兵が横たわっている。歩く者はほとんどいない。食べ物がなくなってしまった。弥兵衛は十兵衛の脇で横になっている。食べ物を確保しにいく気力もないようだ。
29日、和睦の使者がやってきた。朝鮮に降った岡本越後守と田原七左衛門である。
「城を開け渡せば、皆助ける。兵糧も与える」
というものだったが、清正はのらりくらりと返事をしぶった。
「その前に捕虜の交換はどうか」
と清正は提案した。それで二人の使者は一度陣にもどり、そのことを大将の楊(ヤン)将軍に相談にいった。すると、だれとだれを交換するかで、いろいろもめて、その日はそれで終わった。
兵たちは戦がなかったので、ただ横たわって休むだけであった。ねずみをつかまえた者がいると、奪い合いになった。それと死んだ兵を埋めずに、肉を食ったという噂が立った。悲惨な状況で、そういうことがあってもおかしくない雰囲気だった。十兵衛はその噂を打ち消す気力もなく、ただ狭間から外を見張っているだけであった。
30日、東側で鬨の声があがった。城内の兵たちが何事かと東側に寄る。すると、毛利の旗印が見える。
「援軍がきたぞー!」
と見張りが残った力で叫ぶ。城内の兵が皆活気づく。そして自分の担当する狭間にはりついた。鉄砲や弓矢を構えるより、援軍の働きを見たかった。援軍の数、およそ2万。包囲していた明・朝鮮軍はうろたえている。ほぼ逃げ腰だ。いたるところで斬りあいが始まっている。本来ならば城からもうってでるところだが、その気力はない。それに1万いた守勢は3000に減っている。十兵衛の部隊でさえ、半分に減っていた。傷ついた者は回復することなく死んでいったのだ。
毛利軍の吉川広家の活躍は見事だった。鬼畜のように明・朝鮮軍をやっつけていく。それに続き、立花宗茂も勇猛果敢に敵陣にかかっていく。流れは完全に日の本軍だ。
長宗我部元親の軍勢が城内にやってきた。兵糧持参で皆に分け与えている。十兵衛も弥兵衛も生き返ったという気持ちだった。その夜、水軍に守られて西生浦倭城(ソソンポワソン)へ退いた。蔚山城には毛利勢が残った。立花宗茂は敗走する敵を追って30里(100km)ほど行ってもどってきた。とった首級は3000にも及んだ。この戦で明・朝鮮軍が失った兵は2万人と言われる。残ったのは1万程度だった。楊将軍は皇帝に「戦勝」という偽りの報告をしたが、告発する部下がおり、楊将軍は処刑された。
そして皇帝は新たに30万の遠征軍を組織し、朝鮮へ向けた。
慶長3年(1598年)9月、清正勢はまたもや蔚山城にいた。籠城に備え、武器・弾薬・兵糧も充分である。明・朝鮮軍は総勢3万で攻め込んできた。大将は、前回の攻撃で副将を務めていた麻貴将軍である。しかし、頑強な蔚山城は攻め落とせない。日にちをかければ、西生浦倭城から援軍がやってくる。攻めあぐねているうちに、他の明・朝鮮軍の敗戦の知らせが入ったので、蔚山城攻めをあきらめ漢城(ハンソン)にもどっていった。
10月に清正に帰国命令がくだった。途中、帰国していた時期はあったが、7年間におよぶ朝鮮での戦いであった。この帰国命令だが、清正には8月の太閤崩御の知らせがきていなかった。奉行の石田三成が混乱を避けるために渡海していた将に知らせていなかったのである。このことは、後日、石田三成が帰国七将にねらわれるという事件の種となる。
蔚山城は無人の城となり、明の麻貴将軍が占拠することとなった。皇帝には、明軍をおそれて逃走したと報告していたそうだ。
釜山まで来ると、小西行長が李舜臣(イスンシン)率いる朝鮮水軍に攻め込まれ、順天(スンチョン)から出られないという知らせが入った。そこで、島津義弘や立花宗茂率いる水軍が援軍としていくことになった。
十兵衛の元に隼人がやってきた。
「十兵衛、頼みがある」
「何でしょうか?」
「帰国の命が下っているのに、申しわけないが助けてくれないか」
「どういうことでしょうか?」
「われは宗茂公を助け、順天に行くことになった。鉄砲隊300を連れていくのだが、我ひとりでは心もとない。お主に100を任せたいのだ」
「そうですか。隼人殿の頼みとあれば、断れませぬ。生死をともにすると誓った仲ではございませぬか」
「そうか、それはありがたい」
ということで、十兵衛は船に乗って順天に行くことになった。朝鮮の英雄、李舜臣との戦いに突入することになったのである。
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