第8話 再び西生浦(ソソンポ)へ
空想時代小説
文禄2年(1593年)2月、清正は釜山(プサン)近郊の西生浦(ソソンポ)へ戻ってきた。減鏡道(ハムギョンド)からの船旅は荒波にあい、死ぬかと思う経験だったが、何とか西生浦へやってくることができたのだ。ここには、清正配下の飯田直景が城造りのために残っていた。出丸のところには、しっかりとした櫓ができている。そこから竪堀が2本頂上へ上っている。その脇に石垣が積まれ始めている。2つの石垣の間に小屋が建てられ、十兵衛はその中のひとつをあてがわれた。2万の軍勢が入るにはやや窮屈だった。しかし、会寧(フェリョン)に比べれば楽である。なんと言っても火が消えても凍死することはない。布団のぬくもりだけで寝られるのはうれしかった。
西生浦での城造りが始まった。また石積みの生活である。そんな日、小西行長が平壌(ピョンヤン)を捨て、釜山をめざしているという知らせがきた。その後、漢城(ハンソン)近郊の碧蹄館(ピョクチェガン)の戦いで小早川隆景や立花宗茂らが率いる2万の軍勢が明・朝鮮軍2万を打ち破ったといううれしい知らせと、その後の小西行長・宇喜多秀家らが率いる2万が幸州山城(ヘジュサンソン)の攻城戦で敗れたという報告がほぼ同時にやってきた。どうやら碧蹄館の戦いで手柄を立てられなかった将が、功をあせって無理な城攻めをしたということだ。それに、この戦いには朝鮮側は兵だけではなく、僧や民衆も加わり、石落としに参加したということである。
現在、この幸州山城は仁川(インチョン)空港からソウルに向かう途中の左側に遺跡を見ることができる。朝鮮にしてみれば日の本軍に勝った最初の戦いでもあったので大事に保存しているようだ。
だが、この勝利の後、権(クォン)将軍はこの城を捨てている。戦場は漢城付近からもっと南へ移動したからである。
そんな中、十兵衛は隼人から呼び出された。
「十兵衛、今度我らの部隊は長政公の部隊に入ることになった」
「援軍でございますか?」
「うむ、晋州(チンジュ)というところに攻め込むことになったそうじゃ。本当は殿も誘われたらしいが、あまり乗り気ではない。城造りの方が気になるようじゃ。そこでわしに3000の兵を預け、長政公に合流せよということじゃ。無論、お主もいっしょじゃ」
「拙者は隼人さまについていくのみ。もちろんまいりまする」
「そこでだ。お主には鉄砲隊100名をつける。3日後には出発だ。鍛えてくれ」
「100名!」
と聞いて、言葉を失った。仙台藩ならば上士の待遇である。下士の身分である自分には過分な待遇であり、考えられない家来の数であった。
それでも命には従わなければならない。だが、100名の配下を前にして足がすくんで、声がうわずっている。隣では、副官の姿をした弥兵衛が下を向いて笑っている。それでも何とか教練を終えて、鉄砲隊のかっこうはついた。
そして、隼人を主将にして3000の兵が長政のいる機張(キジャン)へ進んだ。十兵衛も馬に乗っている。なんか腰が落ち着かない。乗ることはできるのだが、馬の操作はうまくない。暴れられたら抑えられない。十兵衛にとっては緊張の日々であった。
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