第15話:聞き慣れた怪音

 耳を突く豪速で風を切る大剣の縦一閃。地面に倒れ込む堂山の頭上を目掛けて進む鉄の塊を、止める術はすでに無い。


 民草は、片膝を着いて逃げ出そうと背を向けながらも、視線は釘付けだった。歯を剥き出しにし、血走った眼光で振り下ろす大剣の刃には、彼らの期待が籠っていた。


「おおおぉお!!」


 辰風の咆哮が唸る。

 誰もが、堂山の敗北を予知し、積年の恨みを果たす時が来たと確信をしていたに違いない。堂山以外は——。


 鈍い銀色の弧を描きながら振り下ろす刃の陰で、堂山は薄い微笑を漏らしていた。


 どん——!

 砲弾を撃ち込んだような、重い音が全員の肌を打つ。辰風の全身すらも包み込むほど砂埃の中、前傾姿勢で大剣を携える巨躯の影が揺らいだ。


 そして、影がぐらりと大きく傾いた瞬間。砂埃から勢い良く後方へ回転をしながら、大剣を握ったままの辰風が飛び出した。その飛距離は、まるで投げ飛ばされたかのような、勢いを孕んでいる。

 

 そのことを裏付けるかのように、神妙な顔付きの眉間には深い縦皺を走らせており、小さく舌打ちを漏らしていた。そして右頬には、薄皮を抉られたような、人為的な傷跡が一筋走っていた。


 傷口からは、じわりと血液が垂れていた。大剣を地面に突き刺すと、まだ僅かに残った砂埃を睨んだ。


「……この屑野郎が。面白くなってきたじゃねぇか」


 辰風は、好戦的な眼差しで呟くと、口元に垂れた血液を、小さく舐めた。砂埃では、黒い影が、パキパキと奇妙な音を鳴らして蠢いていた


 パキパキ——それは、何度もはなと血戦を交えて、耳にこびり付いた音である。


「かっかっかっ…不死身の辰風。不死身を語る癖に、いとも簡単に血を流すじゃねぇか。えぇ?おい」


 砂埃の中で蠢く影が、高笑いをする。


「俺の語る不死身は、文字通りの不死身じゃねぇって何度言わせんだよ。鉄鋼黒蟻から聞いてねぇのかよ」


「確か、やられる前に倒せば、戦いで死ぬことは無い。故に不死身……だったか?すでに傷を負っていて恰好付かねぇなぁぁ……くくく」


「おいおい。倒れる前だっつってんだろ。先走って煽ってんじゃねぇよ、耄碌爺もうろくじじい。老眼で俺が倒れているように見えんのか?」


「くくく……その減らず口がいつまで持つかな…」


 堂山の自信に満ち溢れた声色の後方で、複数の重低音の声が呻き声が上がっていた。それはまるで地獄の饗宴のように、声が幾重にも重なっていく。


「「グぅぅうウうウゥう……あァ…ぐゥ……」」


 そしてその呻き声は、砂埃の中に留まらず、辰風の周りを囲むように、徐々に湧き立ってくる。頭を抱えて、苦しそうに涎を垂らしながら——全身が黒い光沢を放ちながら変形していく。


 パキパキ——…。


 民草がまとっていた麻の着物を突き破って、全身が膨れていく。


 パキパキパキパキパキパキ——…!


 重なる音が、辰風を嘲笑うように、音を大きくさせていく。


「…まさか鉄鋼黒蟻の力を忘れた訳じゃねぇよなぁ。不死身の辰風」


 霧散する砂埃の中で、堂山は包帯で巻かれた右腕で顎鬚を触りながら佇む。

 その周りには、全身隆起した黒光りの外被に包まれ、唸り声を上げる異形たちがこちらを睨んでいた。五指は鎌のように鋭く湾曲していた。


 もちろんその異形たちは、砂埃の中に留まらない。両端で背を向けて逃げようとしていた民草すべてが、涎を垂らしながら、辰風を睨んでいた。老若男女問わず、近くに居たすべてが——変形をしていた。


 まるで異形の円陣である。50体は居るであろう円陣の中心で、辰風は、一呼吸を置くと、


「…関係のねぇ村人まで巻き込みやがって屑野郎。最初からすべて仕込んでいたって訳かよ」


「くく…それが鉄鋼黒蟻だ。人外らしい卑劣さだろ?」


「…はっ。同感だ」


 辰風は突き刺した大剣を引き抜くと、手前に構えて、目線を左右に運ばせる。両端で土下座していた列の中には、まだ幼児も居たはずである。しかし多少の身長差はあれど、すべてが人間の大人ほどの大きさで佇んでいた。


「どうやらここに居る全員か。これほどの人数を変形させるほどとはな」


「くくく…いや、ここに居る奴だけじゃない。文字通り全員だ。お前さんは、まさに蟻の巣穴に落ちた虫だ。次から次へと、湧いて出て喰い潰していくぜ。こいつら」


 全員——。

 堂山の勝気な発言の裏には、まるでとでも言っているかのようだった。しかし今は、そう考えた方が良いだろう。


 辰風は、覚悟を乗せるように大剣の柄を握る力を籠めた。だが、勝気な性格は、堂山だけの専売特許では無い。辰風も、また眼光を鋭くしながら、


「どうやら、てめぇと鉄鋼黒蟻の首を斬り落とす頃には、日が傾いているかもしれねぇな」


「くくく…」


「前回同様に、はなもどきは、退華の剣で清め払うことは出来ねぇ。だから生命の両断しか選択……が…無…」


 自身の発言をしながら、辰風は、何かに気付いたように次第に眼を見開いていく。


 三ツ上村の全員——。それらすべてが鉄鋼黒蟻の力によって、異形に変形していくというならば、100は優に超すだろう。


 だが、問題はそれだけじゃない。

 もしも三ツ上村の全員が例外なく変形するというならば——。

 

 老若男女問わず変形するというならば——。


 辰風の脳裏に、瑠璃猫と同じ背丈をした少年の姿が去来する。


「ま、まさか…!望月堂山てめぇ!全員ってことは!!」


「くくく……そう言っているだろ?三ツ上村全員だ。お前さんがこの村に来る前から、この村は、すでにこうなる運命だったんだよ」


 堂山は、冷笑をする。まるで冷えた鉄鋼にように、陰を含んだ冷たい笑みを浮かべる。


 そして、左手で右腕に巻かれた包帯を解きながら、


「すべては、お前さんを殺すために仕組まれた罠だったて訳だ。三ツ上村は滅びる運命だったんだよ……最初からな」


 包帯をするり、と外した。




 ◇◆◇◆




「壱吉。包帯。交換。時間」


 山奥に佇む茅葺屋根では、陽だまりのような温かさで満ちていた。

 壱吉は、昨今の非日常を忘れるように縁側に腰掛けて過ごしていた。そして縁柱に凭れながら、庭に差し込む陽光を見つめた。その後方で、瑠璃猫が、盆に湧き立ての茶と包帯を持って近付いてくる。


「あ、瑠璃猫さん。お茶までありがとうございます。それに家の掃除までしてもらっちゃって」


「心配。無用。家事。得意」


「あはは。辰風さんとは、全く違いますね」


「辰風。家事。不器用。器用。剣。限定」


「あはは!それ辰風さん聞いたら、怒っちゃいますよ…痛たた。笑うとまだ痛いですね」


 陽気と同様に、陽だまりのような会話が続く。日々の喧騒を忘れるような陽だまりだ。まるで母・澄世が居た頃のような穏やかな気持ちだ。


 瑠璃猫は、同様に縁側に腰掛けると壱吉にお茶を渡した。


「あ、ありがとうございます」


「脱衣。包帯。交換」


 腹部はすでに止血している。あとは定期的な包帯の交換を行って、安静に過ごすだけで済みそうだ。

 自分が気絶していた間も献身的に尽くしてくれていたのだろう。その甲斐もあって膿すらも無い状態だ。


 壱吉は、同年齢であろう瑠璃猫に肌を見せることはやや躊躇した。しかし当の彼女は、当然のように恥じらう様子は無い。それよりも「何故早く脱がないのだろうか?」と言わんばかりに、じっとこちらを見つめていた。


「え、え…っと。はい。お願いします」


 壱吉は、根負けをして上半身を脱衣した。

 背を見せるようにして座っていると、後方から手際良く包帯を外していく。そして薬草を塗ると、痛みが生じないように優しく包帯を巻いていった。


「瑠璃猫さん。上手でスね」


「辰風。負傷。日常。毎回。手当。担当」


「なるほど。毎回辰風サんの手当をしテいるから、慣れているのデすね」


「手当。大事」


「そ、ソそソそそソうですね」


疼痛とうつう。有無。質問」


「いい、イ今は特にに二に。あ、あれ。舌がガガ動かシにく…イ」


 すると、壱吉が握っていた湯呑が、突如として破裂した。まるで握り潰したかのように、破片が飛び散る。


 すると壱吉は「ううう」と低い呻き声を上げだした。


 違和感が、足音を立てて瑠璃猫を襲っていく。

 巻いていた包帯は、突如として裂けるような音を上げていった。まるで身体が膨れ上がっているかのようである。


 そして健康的な血色の良い肌は、次第に墨で塗られたように、暗黒色に染まっていく。


 パキパキ——…。


 関節が鳴るような怪音が、瑠璃猫の脳裏にこびり付いた記憶を刺激する。辰風同様に、飽きるほど聞いた音だ。


 「るル、瑠璃ね……コ…さ……ン」


 僅かに残った自我で、彼女の名前を口にするが、すでに間に合わない。頭部に黒曜石にも似た角が隆起し、五指が鋭く伸びていく。


 そして縁側の板が、軋み出した。黒光りの何かに変形していく壱吉の体重を支えられないように、軋んでいく。


 そして、包帯や着物すべてが隆起した外被で、突き破られると——緩慢な動きで首を彼女の方へ向けた。


「殺ろろろロ……ろス…」


 地獄から響くような重低音で、確かにそう呟いた。

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