第14話:大剣と右腕

「ふわああぁ…」


 季節は春。まだまだ陽気を孕んだ柔らかい日差しではある。太陽もすでに沖天にまで登っており、じんわりと汗が滲むような温かさに包まれていた。


 しかし滲む汗は、どこか冷たく、寒気を催している。怯えに濁った冷や汗だ。


 かたん、かたんかたん。

 城下町には、聞き慣れた高下駄の音が鳴っていた。辺りは、昼下がりの城下町というのに、賑わいの欠片すらも見当たらない。老若男女問わず、冷や汗を地面に滲ませながら、こうべを下げていた。


「ふわぁ……ねみぃな」


 半裸に、金色の刺繍を施した派手な襦袢じゅばんを羽織っただけの大柄な男は、大きな欠伸をしながら眼を擦った。相も変わらず気怠そうな表情である。


 かたん、かたんかたん。

 まるで彼自身の性格を映したような高下駄だけが、両端に並んだ土下座の列の中央を闊歩していく。


 そんな最中、見下すような視線で列を一瞥しながら、


「…ったく。どいつもこいつも、馬鹿の一つ覚えのように頭を下げやがってよ。辛気臭しんきくせぇったらありゃしねぇ」


 我々は、この高圧的な発言の主を知っている。

 手持無沙汰のように、顎鬚あごひげいじりながら練り歩く大柄な男の名を。肩まで巻いた包帯を見せびらかすように、大手を振って練り歩く権力者の名を——。


 そして権力者は、苛立った様相で、高下駄を地面に勢いよく踏み付ける。今までの軽快な音と打って変わって、かぁん!っと甲高いつんざくような音が、耳に突き刺さった。


 水を差したように辺りに響き渡ると、民草は、不安そうな眼差しで男を見つめる。そこには、理不尽な激昂に歪んだ形相が、鼻息荒く佇んでいた。


 今にも爆発しそうな怒号を上げて、


「誰も居ねぇのか!?この望月堂山様に、刃を向けようって虫はよぉ!!!」


 堂山の怒号だけが木霊する。誰もが視線が合わないように、さらに頭を下げていった。


「この前の暗殺は、久々に血が湧いたぜぇ!俺の人生に退屈なんて必要ねぇ!もっともっと、派手に生きていこうじゃねぇの!なぁ!!?」


 し――…ん、という擬音が似合うように、誰も口を開かない。誰もが早く立ち去って欲しいとすら願っていた。


 堂山の語る暗殺というのは、3日前の望月澄世のことだろう。暗殺を理由に、惨殺した光景は、まだまだ民草の記憶には新しく残っている。惨殺の口実のために、自身の暗殺を希望するというならば、益々口を塞がざるを得ない。


 堂山は、じっと辺りも見回すが、誰一人として頭を上げることはなかった。


「…けっ。つまんねぇ虫共だな」


 その時である——。

 堂山の視界の隅で、揺らめく影が、こちらに向かって進んでいる姿がみえた。その影は、土下座する列の中央を堂々と進み、迷いの無い歩みで近づいていた。


「ほう…」


 堂山は思わずにやりを口角を上げて、堂々たる歩みを見つめた。


 がちゃ、がちゃがちゃ。

 その影が、近付くにつれて、重厚な金属音を耳に入る。そして自身の背丈ほどの恰幅の良い若い男が、堂々とした佇まいで闊歩してくる。一歩、また一歩と悠然と歩んでいた。


 堂山は、つまらなそうに顎鬚を触っていた手を放すと、彼の歩みに合わせるように、同様に闊歩を始めた。精悍な顔付きの男と異なって、眼を見開き、喜々とした表情である。


 かたん、かたん…。


 がちゃ、がちゃ…。


 かたん、かたん…。


 がちゃ、がちゃ…。


 もはや黙して語らずである。双方共に、眼前の男が自身が求める人物であることを本能的に察していた。そして両端で土下座する民草は、静かに近づき合う2人を、固唾を飲んで見守っていた。


 かたん…がちゃ…。


 双方が発する音が合わさった時、2人の距離はすでに互いの間合い圏内だった。お互いに火花が散るような眼光を重ね合あっていた。


 ひゅぅぅぅぅっと風が、2人の狭間を駆け抜けていく。


「良いねぇ」


 静寂を切り開いたのは、堂山の方からだった。


「良いねぇ…良いねぇ……。この望月堂山様の前で、こうも堂々と立たれたのは何時ぶりだろうな。くくく…どう見てもこの村の人間じゃねぇよなぁ」


 黒い外套。

 龍を模した左肩の大袖。

 身の丈ほどの大きさを誇る無骨な大剣。


 そして何より、そんな大剣を背負うことに違和感を持たせないほどの屈強な体格が、そこにはあった。そんな圧倒的かつ威圧的な特徴を持つ男など、日本中探しても、この男しか居ないだろう。


 堂山は、にぃっと口角を上げて、舌舐めずりをすると、


「以後お見知りおきを…とでも言っておこうか。不死身の辰風とやら」


 堂山は笑った。その不気味な笑みに対して、辰風は、鉄のような冷たい視線をしたまま言葉を返す。

 

「…ふっ。その通り名を口にしてくれて嬉しく思うよ。しかし、そんな挨拶なんざしていいのか?」


「…あ?どういう意味だ」


 堂山の眼光が鋭くなる。しかし辰風は、変わらぬ眼光のまま、言葉を紡いでいく。


「この俺と出会った以上——」


 そう言うと、辰風は、背から伸びた大剣の柄を掴んだ。血痕の付着した包帯に巻かれた柄を、固く握ると、


「——てめぇになんてぇんだぜ」


 鷹のような射貫く眼光で、言葉を吐き捨てる。普段ならば安い挑発と嘲笑出来るかもしれないが、それを裏付けるかのような威圧感が肌から伝わった。


「くはは。いいねぇ!礼儀を知らねぇ小童に言われると、背筋がぞくぞくして、今すぐにも殺したくなるぜ…」


「そいつは悪かったな。ご覧の通り、浮世離れしているもんでね。目上と言えど、に対する礼儀作法を持ち合わせていなくてなぁ」


「くくく…へぇ。そうかい」


 お互いの強気な応酬は続く。


「生憎、俺の妹も、化け物に対して礼儀を持ち合わせていなくてねね。連れの首を折っちまって悪かったな」


「くくく…暁のことか?」


「そうそう。確かそんな名前だったな。しかし悪かったな。鉄鋼黒蟻が俺たちの想像よりも随分と弱くてなぁ…。妹もついつい首を折ってしまったそうだ。まだ生きているか?」


「なぁに気にすんなよ。暁は、今ゆっくり休んでいるところだ」


「そいつは安心した。この程度で死んでいるようじゃ、化け物としての名折れだぜ」


「くくく…この落とし前は、たっぷりと生命で償ってもらうからよぉ…」


 辰風と堂山。

 双方譲らない駆け引きに、両端で佇む民草の額から汗が流れていた。そして、今にも爆発しそうな緊張感の中で、辰風はさらに柄を強く握り締める。


 すでに臨戦態勢であることは、明白である。まるで挑発とも捉えられる行為に、堂山は喜々とした様子で表情を歪ませる。


「かっかっかっ…ご大層な大剣を握っちゃって。お前さん自分の面を鏡で見たことあるか?随分と眉間に皺が寄っているぜ?」


 辰風は、変わらず鷹のような鋭い眼光で、堂山を睨む。


「…望月堂山。率直に言う。俺が狩るべき存在は、あくまではなだ。差し詰めてめぇは鉄鋼黒蟻の付属品と言ったところだ。だからわざわざ狩る相手じゃねぇが——」


 そう言うと、辰風は、僅かに半身を切る。そして吐き捨てるように、


「——邪魔をするようなら、斬る」


「なぁに偉そうに言ってやがる小童が。どうやら自分が優位だと勘違いしているようだな」


 そう言うと、堂山は包帯で巻かれた右腕を前に出して、握り拳を作る。第三者から見れば、ただの包帯が巻かれただけの右腕だ。しかし堂山は、自信に満ち溢れた表情で言葉を紡ぐ。


「不死身の辰風。とっくにご存じなんだろ。この腕のことは」


「それがどうした」


「い~や別に?くくく…」


 堂山の不敵な笑いを余所に、辰風は、じり——っと摺り足をして重心を整えていった。それに呼応するように、堂山もまた舌舐めずりをする。


 得も言えぬ緊張感が辺りを漂う。

 両端で頭を下げる民草も、固唾を飲みながら、2人の緊迫の様子に釘付けだった。誰もが土下座を忘れるほどの、緊張感を感じていた。


 ごくり…。


 誰かの生唾を飲み込む音が、小さく響いた瞬間、辰風は大きく眼を見開いた。


「がぁああぁあああぁああああああああああ————!!」


 一瞬の静寂を切り裂くように、辰風の咆哮が響き渡ると、腰を捻って全身を回転させた。そして黒い外套が大きくはためいて、堂山の視界を遮る。


 そして右端から、銀色の鈍い光沢が視界を掠めた瞬間——豪速で自身の頸部に向かって振り下ろされる。それが大剣の刃と気付いた時には、すでに視界に入りきらないほどの巨大な一撃が眼前に迫っていた。だが、堂山は狼狽えない。


 迫りくる一撃を迎えるように、ただ静かに右腕を掲げた。


 があああぁぁぁん!!!

 鉄同士が衝突する鈍い重低音が轟音に響き渡る。民草は、思わず耳を塞いで、眼前に注目すると、岩を削ったような荒い刃から頸部を守るように右腕を掲げた堂山が佇んでいた。


 大剣を防いだ堂山。

 大剣を振り下ろした辰風。

 

 まるでつば迫り合いのように、双方の力が拮抗する。包帯に巻かれた右腕からは、ぎりぎり、と鉄が擦れるような音がしていた。まるで耳を突き刺すような甲高い音である。

 

 開口したのは、辰風からだった。


「…こいつは驚いた。俺の剣を受けて両断が出来ないとはな。御見逸れしたぜ」


 堂山の頸部目掛けた横一閃は、右腕に塞がれたままである。包帯がわずかに解れた程度であり、流血もみられない。そして鉄を打ったような甲高い音が、右腕から鳴るのは、不可解にもほどがある。


 辰風と堂山は、互いに、にやりと口角を上げて、視線を合わせた。

 だが、堂山の額からは、僅かに汗が垂れていた。また重心を低く落としており、高下駄が小刻みに震えている。


 辰風は、高下駄を一瞥すると、


「どうやらその腕は、斬撃は防げても、は防げないようだな」


「……くっ。はっ!ぬかせ小童。こいつぁ……武者震いって奴だ。ばーか!」


「その威勢の良さは、認めてやるよ!」


 すると辰風は、鍔迫り合いのように対峙していた大剣の柄を勢い良く引いた。突如消失した重みに、身体が傾いたのは堂山の方であった。どうやら右腕を通して全身に響いた衝撃の圧が、想像以上だったのか、僅かによろめきをみせる。


 辰風は、一歩踏み込んで、堂山の腹部に横蹴りを叩き込んだ。堂山の「うっ」という短い呻き声が上がると、転がるように後方へ飛んだ。端に佇んでいた民草の眼前まで吹き飛ぶと、わぁっと悲鳴にも似た喚声が沸き起こる。


「巻き添えになりたくねぇ奴は、今すぐ頭を上げて逃げろ!はなに屈してんじゃねぇ!」


 沸き立つ喚声の中、辰風の発破が背を押すように、民草は身体を起こした。それが

堂山が眼前に転がってきた恐怖心による反射か、辰風の指示に従ったものなのかは分からない。


ただ言えることは、堂山の有する絶対的な権力の瓦解が——音を上げて崩れ始めたということだった。


「不死身の辰風の語る真の不死身。その真髄を味わいな!」


 すると辰風は、前傾姿勢となって、倒れこむ堂山へ驀進をした。その勢いを語るように、地面を掠る重厚な大剣の切っ先からは、火花が散っていた。


「おおおおぁあああっっ!!!」


 そして今。

 驀進の勢いをそのままに、堂山の頭上へと、再び大剣を振り下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る