第13話:自慢の兄
「瑠璃猫さんが、
辰風の言葉に、思わず語尾が上がる。確かに再生能力は、通常の人間ならば有することはない。それは生傷を携えた辰風と、現在の壱吉を鑑みても、常識的な考えである。
確かに人外と言わざるを得ない脅威の再生能力だが、
暁と対峙する前に、
「その通りだ。よく覚えているな。だが、その
5人の使者——それは氷川暁が口にした不可解な言葉でもあった。確かそれに付随して「
辰風は、小さく舌打ちをすると「一々口が軽い野郎だな」と僅かな苛立ちを見せる。そして散ばったこれらの言葉を脳内で整理するように、少し会話に緩急を産みながら、
「そうだな…まず俺たち兄弟の旅の理由を話したな。
「え、えぇ。確かにそう聞きました」
「そう。その元凶は、死んで霊となった人の
そして辰風は、右手を翳して五指を開くと、
「その5人全員が、人間でありながら、
そう語りながら、「だが、瑠璃猫は、俺と共闘することで使者を抜けて、形式的には奴らを裏切った」と続けながら小指を閉じた。
「そして使者の内の1人が、
元凶。
蛇腹岬という男を含む残り4人の使者。
そしてそれらの眷属である
改めて2人が、これから対峙すべき怨敵の数の多さに、壱吉は固唾を飲んだ。況してや、瑠璃猫の穴埋めの有無についても把握出来ていないことから、手探りの旅であることが理解出来た。
「深くまでは分かりませんが、すごく果てしない道のりのような気がします…。いや……そうか。だから眷属である
「そういうことだ。これまでも、そうやって
そう語る瞳の奥では、確かな炎が宿っていた。辰風の力強い言葉に同調するように、瑠璃猫もまた静かに頷く。
事情を深く知らないが、かつて所属していた組織への反逆というならば、途方のない旅とも言えるだろう。また瑠璃猫同様に、それぞれが何かしらの超越した能力を有しているというならば、生死は保障されないだろう。
今までの壮絶な血戦は、辰風の
「その元凶となる人も、蛇腹岬という人も含めて、全員が持っている能力は分かっているのですか?」
敵を知ることは、対峙する以上、重要な情報である。しかし辰風は、瞼を閉じて、静かに首を横に振った。
「わ、分からないのですか?」
「…はっ。痛い所を突いてくるじゃねぇか。そう。何も分かってねぇのが、本音だ」
益々、途方の無い手探りの旅である。そして辰風は眉間に縦皺を寄せて、険し表情をみせながら「唯一分かっていることは」と言葉を続ける。
「唯一分かっていることは——元凶が、
人外とも言える華を含めて、使者もすべて元人間あるというならばーーその考えが頭を過り、壱吉は静かに瑠璃猫を見つめた。
彼の視線が、確信を着いた視線であることを伝えるように、辰風は頷く。そして拳を握りながら、
「…もちろん、瑠璃猫も元々は、ただの人間だった。それに最初から瑠璃猫なんて名前じゃねぇ。妹として、俺と同じ天ヶ斎の姓を名乗っていたさ……」
辰風の口調に、後悔や怨恨などの複雑な感情が孕んでいることを、直感した。それこそ、この短時間に理解出来るほど浅いものではないだろう。彼らを取り巻く感情は、複雑に絡まった毛玉を解くように、時間を要するようである。
況してや、最初から瑠璃猫という名前ではないという事実は、少なからず驚愕だった。実名を質問したい所だが、喉から出そうになった質問を飲み込んだ。
そんな彼を横目に、当の瑠璃猫は「辰風」とただ一言投げ掛けて、震える握り拳に細い掌を添える。兄弟という垣根を越えて、最早夫婦と見紛うような確固たる絆が2人には、存在しているように感じた。
そんな実妹の姿を一瞥した後に「ふっ」と短く息を吐くと、
「柄にもなく、感傷的になっちまったな。
「いえいえ…。誰だって過去はあるものですから。それに今は、氷川暁という鉄鋼黒蟻という
「ふっ。本当によく出来た子どもだ」
そう呟くと、床に置いておいた割れた茶碗を置いたまま立ち上がった。そして上半身を左右に伸ばしながら、壁に掛けておいた黒の外套へ足を進める。そして背に羽織ると、いつもの射貫くような鋭い眼光で、壱吉へ視線を移した。
「壱吉も眼を覚ましたことだし、そろそろ行かせて貰おうかな。瑠璃猫は、壱吉の傍に居て、身の回りの世話をしてやってくれ。茶碗を御覧の通り、家事の
そう言って、黒の外套をはためかせながら、床に無造作に置かれた龍を模した大袖を左肩へ装備していく。かちゃり、と鳴る金属音に、緊張感が走った。
「そろそろ行かせて貰うってことは…」
次々と普段通りの装備を固めく姿に、壱吉が言葉を投げ掛ける。
「最後の氷川暁の様子を見れば、相当深手を負った様子だ。だからこの2日間は、襲って来なかったのだろう。だから、こちらから出向いてやるんだよ」
そして彼の代名詞とも言える仰々しい大剣を背負いながら、
「奴らの根城になぁ…!」
据わった眼差しに、辰風の殺意の片鱗を感じずにはいられない。これから開始される血戦を想像して、ごくりと大きく唾を飲み込んだ。
「僕が、こんな風に怪我をしてなかったら同行するのに…」
「いいや。今度は、奴らの根城に行くんだ。氷川暁だけじゃなくて、望月堂山にも対峙する必要があって危険だ。それにまだ会ったこともなく憶測でしかないが…望月堂山は人間だが、
「瑠璃猫さんと同じということですか?」
辰風は「そういう訳じゃねぇ」と言葉を返して、自身の右腕を指差した。
「望月堂山は、3年前から右腕に包帯を巻いているんだよな」
「そうです」
「そして氷川暁には、右腕が無いよな」
望月堂山が、右腕全体に巻いた包帯。
そして氷川暁の無くなった右腕。
3年前から、堂山が不自然に包帯を巻き出したという事実を鑑みても、関連性が皆無とは言い難い。壱吉は、辰風が語ろうとしている言葉を予測して、すでに戦慄を覚えていた。
そして確かめるように、言葉を捻出する。
「辰風さん。それって、もしかして……」
壱吉の中で、最悪の出来事が思い浮かぶ。
彼の中で思いついた事柄は、人間ならば不可能だろう。しかし氷川暁が人外と周知しているともなれば——話は異なる。
幼さの残る瞳が、不安で濁っていく。まるで、布地を這うように、ゆっくりと染み込んでいく感覚にも類似する。それほどまでに、背筋を這うような恐怖が侵襲していった。
彼の中で、そこまで理解が進んでいるのならば、すでに配慮は不要だろう。その判断のもと、辰風は僅かに頷いた後、言葉を紡いでいく。
「まぁご想像通りだ。多分、氷川暁…もとい鉄鋼黒蟻の右腕は、望月堂山の右腕に移植されている」
「や、やはりそうですか」
「移植…いや、寄生と言った方がしっくり来るな。それが、鉄鋼黒蟻としての能力の一部だろう」
「寄生…ですか」
「あぁ。だが、ただの寄生じゃねぇ。11人の人間の身体を乗っ取って、そのまま異形に変えちまうほどの害悪さだ。堂山の右腕に寄生をするぐらい、動作もねぇはずだ。人外と化した右腕を隠すための包帯――それが3年前に突如巻き出した包帯の意味だろう」
「あの…黒蟻は、そもそも他の寄生することが出来る生き物ですか?僕、そんな話聞いたことなくて…」
戸惑った様子で語る壱吉の疑問は、至極当然である。現実の蟻にそのような力が備わっているとは、到底考えられない。
辰風は、そんな彼の様子に対して、薄い笑いを浮かべながら、
「だから異形なのさ。人外ってのは、人間の尺度に収まる存在じゃねぇ。奴らは、常に常識の範囲外を行く」
そう、短く答えた。異形ゆえの不自然さと捉えると、妙に納得がいった。
また現実の猫にも、瑠璃猫のような再生能力が無いように、それが異形という存在たる由縁なのかもしれない。
堂山の右腕が、ただの包帯と思ったことは無かったが、辰風の話には説得力があった。
また暗殺を企てた
しかしその事実を知った所で、自分には何も出来ない現実が歯痒い。当事者でありながら蚊帳の外に出ざるを得ない悔しさに、唇を僅かに噛み締めてしまった。
そんな壱吉の声無き叫びを横目に、辰風は、落ち着いた口調で応える。
「…気持ちは分かるが、今は悔しがる時じゃねぇ。しっかりと傷を癒して生きてやるんだ。生きて、生きて……最後まで生き延びてやるんだ。それが鉄鋼黒蟻への最大の復讐であり、生命を賭けてまで抗った母親への供養でもあるぜ」
諭すような口振りだが、言葉には温かみが感じられた。
辰風という人物は、つくづく不思議な人間だ。怨敵である
壱吉は、瞼を閉じて、ゆっくり息を吐くと、「お願いします」と一言呟いた。たった一言だが、その背景には、彼なりの葛藤が見え隠れしている。
そんな彼の表情を背に、辰風は踵を返して、玄関へ向かった。
黒い外套のはためく音と、龍を模した大袖の鳴動する音が、合わさっていく。そして無骨な大剣の刃は、鈍い銀色の光沢を反射させる。彼を彩る重厚な様相が、より一層、遠くに感じさせた。
「本当に、一人で大丈夫ですか?」
彼の背中を見ていると、自然と言葉が溢れた。我ながらお門違いな質問だと思ったが、純粋な疑念でもあった。
辰風は、窮屈そうに頭を下げながら玄関を出ると、顔を壱吉へと動かす。そして口角を僅かに上げると、
「この天ヶ斎辰風に、いや——この不死身の辰風に、そんな言葉は無粋だぜ」
そう一言残すと、辰風は差し込む陽光の中へと消えていった。金属音に混ざって「帰ってきたら、また旨い煮物でも作ってくれ」と聞こえてきたが、直に遠ざかって消えていった。
「…辰風さん。行っちゃいましたね」
隣へ視線を移すと、正座したままの瑠璃猫もまた、遠ざかる辰風を見つめていた。深紅の瞳には、僅かに憂いの陰が見え隠れしているように思えた。
それが、戦闘に参加出来ない不満によるものか。または単騎で向かっていく兄への心配なのかは定かではない。しかし一抹の儚げさが、顕在していることは確かである。
壱吉は、寄り添うように柔和な口調で、言葉を投げ掛ける。
「妹として、心配ですよね…いくら辰風さんが強いといっても、相手は得体の知れない人外の力を持っていますし」
しかし彼女は、白銀の長髪を微かに揺らしながら、首を横に振った。そして、緩急の乏しい口調で、
「……否」
と呟いてみせた。
壱吉は、予想をしていなかった返答に、少なからず驚嘆を覚えた。しかし、次に発した彼女の言葉に、2人の確固たる絆を感じた。
「心配。無用。辰風。最強」
そして、続けざまに、
「辰風。自慢……兄…」
そう語る彼女からは、
粘土で模ったような生気の乏しい彼女だったが、春の陽気にも似た薫風が——確かに吹いていた。
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