第13話:自慢の兄

「瑠璃猫さんが、はなの能力を持った人間……!?」


 辰風の言葉に、思わず語尾が上がる。確かに再生能力は、通常の人間ならば有することはない。それは生傷を携えた辰風と、現在の壱吉を鑑みても、常識的な考えである。


 確かに人外と言わざるを得ない脅威の再生能力だが、はなの能力を持った人間という説明では辰風の説明に矛盾が生じる。


 暁と対峙する前に、はなになる条件として「死んでいること」と「人間を捨てること」の2点が挙げられた。つまり人間でありながら、はなとしての能力を有することは不可能なはずである。


「その通りだ。よく覚えているな。だが、そのことわりから外れた人間が、この世に5人だけ存在するんだよ。それが氷川暁が言っていた5人の使者って奴だ」


 5人の使者——それは氷川暁が口にした不可解な言葉でもあった。確かそれに付随して「蛇腹岬じゃばらみさき」という名前と「瑠璃猫が裏切り者」ということも口走っていた。


 辰風は、小さく舌打ちをすると「一々口が軽い野郎だな」と僅かな苛立ちを見せる。そして散ばったこれらの言葉を脳内で整理するように、少し会話に緩急を産みながら、


「そうだな…まず俺たち兄弟の旅の理由を話したな。はな共を狩りながら元凶を追い掛けているとな」


「え、えぇ。確かにそう聞きました」


「そう。その元凶は、死んで霊となった人の御霊みたまはなへと昇華させることで、自らの眷属けんぞくにさせている張本人だ。そしてその元凶に直属で仕えている5人が、理から外れた5人の使者ということだ」


 そして辰風は、右手を翳して五指を開くと、


「その5人全員が、人間でありながら、はなとしての能力を有している。そして、その内の1人が瑠璃猫だったんだ」


 そう語りながら、「だが、瑠璃猫は、俺と共闘することで使者を抜けて、形式的には奴らを裏切った」と続けながら小指を閉じた。


「そして使者の内の1人が、蛇腹岬じゃばらみさきという男だ。つまり俺たち兄弟にとっての怨敵は、元凶と残りの使者4人とその他のはなという訳だ。ただ瑠璃猫が使者を抜けた以上、その穴埋めが居るのかどうか定かではないがな」


 元凶。

 蛇腹岬という男を含む残り4人の使者。

 そしてそれらの眷属であるはな全般。


 改めて2人が、これから対峙すべき怨敵の数の多さに、壱吉は固唾を飲んだ。況してや、瑠璃猫の穴埋めの有無についても把握出来ていないことから、手探りの旅であることが理解出来た。


「深くまでは分かりませんが、すごく果てしない道のりのような気がします…。いや……そうか。だから眷属であるはなを討つことで、情報収集も兼ねているという訳ですか?だから縁も所縁もないこの藩で、はなが居ることを知って、お2人は来たという訳なんですね」


「そういうことだ。これまでも、そうやってはな共を狩る旅を続けてきたって訳だ。そして今回は、鉄鋼黒蟻である氷川暁が、蛇腹岬に関する情報を持っているらしいじゃねぇか。益々、血がたぎるぜ…」


 そう語る瞳の奥では、確かな炎が宿っていた。辰風の力強い言葉に同調するように、瑠璃猫もまた静かに頷く。


 事情を深く知らないが、かつて所属していた組織へのというならば、途方のない旅とも言えるだろう。また瑠璃猫同様に、それぞれが何かしらの超越した能力を有しているというならば、生死は保障されないだろう。


 今までの壮絶な血戦は、辰風のおびただしい古傷からも、容易に想像出来る。他人事とは言え、壱吉は、心配そうな声で、


「その元凶となる人も、蛇腹岬という人も含めて、全員が持っている能力は分かっているのですか?」


 敵を知ることは、対峙する以上、重要な情報である。しかし辰風は、瞼を閉じて、静かに首を横に振った。


「わ、分からないのですか?」


「…はっ。痛い所を突いてくるじゃねぇか。そう。何も分かってねぇのが、本音だ」


 益々、途方の無い手探りの旅である。そして辰風は眉間に縦皺を寄せて、険し表情をみせながら「唯一分かっていることは」と言葉を続ける。


「唯一分かっていることは——元凶が、はなの力を分け与えていること。そしてもう1つは、はなと残りの使者も含めて、すべての奴らがということだ」


 人外とも言える華を含めて、使者もすべて元人間あるというならばーーその考えが頭を過り、壱吉は静かに瑠璃猫を見つめた。


 彼の視線が、確信を着いた視線であることを伝えるように、辰風は頷く。そして拳を握りながら、


「…もちろん、瑠璃猫も元々は、ただの人間だった。それに最初から瑠璃猫なんて名前じゃねぇ。妹として、俺と同じ天ヶ斎の姓を名乗っていたさ……」


 辰風の口調に、後悔や怨恨などの複雑な感情が孕んでいることを、直感した。それこそ、この短時間に理解出来るほど浅いものではないだろう。彼らを取り巻く感情は、複雑に絡まった毛玉を解くように、時間を要するようである。


 況してや、最初から瑠璃猫という名前ではないという事実は、少なからず驚愕だった。実名を質問したい所だが、喉から出そうになった質問を飲み込んだ。


 そんな彼を横目に、当の瑠璃猫は「辰風」とただ一言投げ掛けて、震える握り拳に細い掌を添える。兄弟という垣根を越えて、最早夫婦と見紛うような確固たる絆が2人には、存在しているように感じた。


 そんな実妹の姿を一瞥した後に「ふっ」と短く息を吐くと、


「柄にもなく、感傷的になっちまったな。わりぃな。初対面同然なのに、こんな話をしちまってよ」


「いえいえ…。誰だって過去はあるものですから。それに今は、氷川暁という鉄鋼黒蟻というはなを討つという目的が同じです。なので、無駄な話とは思っていませんよ」


「ふっ。本当によく出来た子どもだ」


 そう呟くと、床に置いておいた割れた茶碗を置いたまま立ち上がった。そして上半身を左右に伸ばしながら、壁に掛けておいた黒の外套へ足を進める。そして背に羽織ると、いつもの射貫くような鋭い眼光で、壱吉へ視線を移した。


「壱吉も眼を覚ましたことだし、そろそろ行かせて貰おうかな。瑠璃猫は、壱吉の傍に居て、身の回りの世話をしてやってくれ。茶碗を御覧の通り、家事のたぐいは柄じゃなくてね。それに、氷川暁への不意打ちで、寿命を削っちまったんだ。次こそは、戦闘に加える訳にはいかねぇ」


 そう言って、黒の外套をはためかせながら、床に無造作に置かれた龍を模した大袖を左肩へ装備していく。かちゃり、と鳴る金属音に、緊張感が走った。


「そろそろ行かせて貰うってことは…」


 次々と普段通りの装備を固めく姿に、壱吉が言葉を投げ掛ける。


「最後の氷川暁の様子を見れば、相当深手を負った様子だ。だからこの2日間は、襲って来なかったのだろう。だから、こちらから出向いてやるんだよ」


 そして彼の代名詞とも言える仰々しい大剣を背負いながら、


「奴らの根城になぁ…!」


 据わった眼差しに、辰風の殺意の片鱗を感じずにはいられない。これから開始される血戦を想像して、ごくりと大きく唾を飲み込んだ。


「僕が、こんな風に怪我をしてなかったら同行するのに…」


「いいや。今度は、奴らの根城に行くんだ。氷川暁だけじゃなくて、望月堂山にも対峙する必要があって危険だ。それにまだ会ったこともなく憶測でしかないが…望月堂山は人間だが、はなの力を有しているはずだ」


「瑠璃猫さんと同じということですか?」


 辰風は「そういう訳じゃねぇ」と言葉を返して、自身の右腕を指差した。


「望月堂山は、3年前から右腕に包帯を巻いているんだよな」


「そうです」


「そして氷川暁には、右腕が無いよな」


 望月堂山が、右腕全体に巻いた包帯。

 そして氷川暁の無くなった右腕。


 3年前から、堂山が不自然に包帯を巻き出したという事実を鑑みても、関連性が皆無とは言い難い。壱吉は、辰風が語ろうとしている言葉を予測して、すでに戦慄を覚えていた。


 そして確かめるように、言葉を捻出する。


「辰風さん。それって、もしかして……」


 壱吉の中で、最悪の出来事が思い浮かぶ。

 彼の中で思いついた事柄は、人間ならば不可能だろう。しかし氷川暁が人外と周知しているともなれば——話は異なる。


 幼さの残る瞳が、不安で濁っていく。まるで、布地を這うように、ゆっくりと染み込んでいく感覚にも類似する。それほどまでに、背筋を這うような恐怖が侵襲していった。


 彼の中で、そこまで理解が進んでいるのならば、すでに配慮は不要だろう。その判断のもと、辰風は僅かに頷いた後、言葉を紡いでいく。


「まぁご想像通りだ。多分、氷川暁…もとい鉄鋼黒蟻の右腕は、望月堂山の右腕に移植されている」


「や、やはりそうですか」


「移植…いや、寄生と言った方がしっくり来るな。それが、鉄鋼黒蟻としての能力の一部だろう」


「寄生…ですか」


「あぁ。だが、ただの寄生じゃねぇ。11人の人間の身体を乗っ取って、そのまま異形に変えちまうほどの害悪さだ。堂山の右腕に寄生をするぐらい、動作もねぇはずだ。人外と化した右腕を隠すための包帯――それが3年前に突如巻き出した包帯の意味だろう」


「あの…黒蟻は、そもそも他の寄生することが出来る生き物ですか?僕、そんな話聞いたことなくて…」


 戸惑った様子で語る壱吉の疑問は、至極当然である。現実の蟻にそのような力が備わっているとは、到底考えられない。


 辰風は、そんな彼の様子に対して、薄い笑いを浮かべながら、


「だから異形なのさ。人外ってのは、人間の尺度に収まる存在じゃねぇ。奴らは、常に常識の範囲外を行く」


 そう、短く答えた。異形ゆえの不自然さと捉えると、妙に納得がいった。

 また現実の猫にも、瑠璃猫のような再生能力が無いように、それが異形という存在たる由縁なのかもしれない。


 堂山の右腕が、ただの包帯と思ったことは無かったが、辰風の話には説得力があった。

 また暗殺を企てた望月澄世もちづきすみよの凶刃を受け止めた右腕が、通常の人間の腕である訳がない。壱吉は、堂山の右腕で、惨殺されていく母の最期の姿を、思い出していた。

 

 しかしその事実を知った所で、自分には何も出来ない現実が歯痒い。当事者でありながら蚊帳の外に出ざるを得ない悔しさに、唇を僅かに噛み締めてしまった。


 そんな壱吉の声無き叫びを横目に、辰風は、落ち着いた口調で応える。


「…気持ちは分かるが、今は悔しがる時じゃねぇ。しっかりと傷を癒して生きてやるんだ。生きて、生きて……最後まで生き延びてやるんだ。それが鉄鋼黒蟻への最大の復讐であり、生命を賭けてまで抗った母親への供養でもあるぜ」


 諭すような口振りだが、言葉には温かみが感じられた。

 辰風という人物は、つくづく不思議な人間だ。怨敵であるはなに対しては、底無し沼のように暗く冷たい非情な殺意を剥き出す。しかし妹の瑠璃猫や、自分に対しては、やや粗暴な対応ではあるが、とても穏やかだ。そして彼の屈強な体格も相まって、力強い言葉の節々が、不安定な土壌に置かれた精神を支えてくれる。


 壱吉は、瞼を閉じて、ゆっくり息を吐くと、「お願いします」と一言呟いた。たった一言だが、その背景には、彼なりの葛藤が見え隠れしている。


 そんな彼の表情を背に、辰風は踵を返して、玄関へ向かった。

 黒い外套のはためく音と、龍を模した大袖の鳴動する音が、合わさっていく。そして無骨な大剣の刃は、鈍い銀色の光沢を反射させる。彼を彩る重厚な様相が、より一層、遠くに感じさせた。


「本当に、一人で大丈夫ですか?」


 彼の背中を見ていると、自然と言葉が溢れた。我ながらお門違いな質問だと思ったが、純粋な疑念でもあった。


 辰風は、窮屈そうに頭を下げながら玄関を出ると、顔を壱吉へと動かす。そして口角を僅かに上げると、


「この天ヶ斎辰風に、いや——この不死身の辰風に、そんな言葉は無粋だぜ」


 そう一言残すと、辰風は差し込む陽光の中へと消えていった。金属音に混ざって「帰ってきたら、また旨い煮物でも作ってくれ」と聞こえてきたが、直に遠ざかって消えていった。


「…辰風さん。行っちゃいましたね」


 隣へ視線を移すと、正座したままの瑠璃猫もまた、遠ざかる辰風を見つめていた。深紅の瞳には、僅かに憂いの陰が見え隠れしているように思えた。


 それが、戦闘に参加出来ない不満によるものか。または単騎で向かっていく兄への心配なのかは定かではない。しかし一抹の儚げさが、顕在していることは確かである。


 壱吉は、寄り添うように柔和な口調で、言葉を投げ掛ける。


「妹として、心配ですよね…いくら辰風さんが強いといっても、相手は得体の知れない人外の力を持っていますし」 


 しかし彼女は、白銀の長髪を微かに揺らしながら、首を横に振った。そして、緩急の乏しい口調で、


「……否」


 と呟いてみせた。

 壱吉は、予想をしていなかった返答に、少なからず驚嘆を覚えた。しかし、次に発した彼女の言葉に、2人の確固たる絆を感じた。


「心配。無用。辰風。最強」


 そして、続けざまに、


「辰風。自慢……兄…」


 そう語る彼女からは、ほがらかな様相が伺えた。口角すら上がっていないはずの無表情にも関わらず、壱吉には、満面の笑みにも思えた。


 粘土で模ったような生気の乏しい彼女だったが、春の陽気にも似た薫風が——確かに吹いていた。

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