第2話:蛮勇の末路
自分の心は、すでに凍てついているのかもしれない。
そのことを裏付けるかのように、心に存在するのは、果てしなく闇に染まった黒い歓喜だった。
理由は、何でも良かった。
まるで鎖に繋がれた血に飢えた獣のように、ただ理由をこじ付けて、刺激を求めていただけのことである。
富。
権力。
全てを持つ自分を討とうとする蛮勇。
…上等じゃないか。
その蛮勇こそ、自分の求めていた刺激そのもの。何も考えず、恐怖に囚われて土下座をする虫共より、よっぽど人間らしい。
…ということは、誰かに反発されたかったということ?
そう、自問する暇もなく心の奥底では——ぼこぼこと煮え滾る湯のように音を立てて殺意が粟立っている。
…これは……?
この熱く燃えて湧いてくる、この——衝動は…?
退屈な日々を払拭する非日常。
でも、殺すことが必要か…?
いや違う。
…誰にも負けさせたくない——そう、誰にも。
でも、なぜ殺すんだ…?
それは…それ…は……?
そう、それは————!
……最初の頃に抱いた…感情がそうさせている——?
……心の中にある、感情——。
誰にも、逆らわせない。
誰にも、負けたくない。
そう……。
だから——。
だから——喜んでいるのか。
所詮こいつらの生命なんて、どうでもいい。
だから、こいつらに関しては何も感じないし、躊躇いも無いのか。
そうか。そうなのか。
この手で。
必ず屈服させてやる——。
この手で。
必ず虐げてさせてやる——。
どれだけ——こいつらのような邪魔が入ったとしても。
必ず——。
必ず——。
そう必ず……すべてを。
そう。
すべてを。
すべてを蹂躙する——。
曲がる音。
折れる音。
千切れる音。
叩きつける音。
破れる音。
砕ける音。
軋む音。
裂ける音。
潰れる音。
飛び散る音。
外れる音。
破裂する音。
割れる音。
音。
音。
音。
味わった痛みの数だけ多彩な音が、何度も何度も辺り一面に轟く。もはや日本刀は粉々に砕けていて、刺客の身体の原型すらない。
その殺戮の光景を土下座する民草たちは、ただただ見守ることしか出来なかった。誰一人として、堂山の暗殺に加担する物は居ない。暁を除くすべての人間が、恐怖の虜だった。
「く…………っ!はははははあっははははっはははははははははっははははははははははははっははははははははあっはああぁぁああああぁああああああああああああああぁぁああっああはあああああははははあははは誰も、ははははははは誰もあぁぁあぁぁぁははははははははははあああああああああぅぅうあああぁ望月いいぃぃぃぃいい堂おぉぉぉおおおぉぉ山にあぁぁああああああああ勝てなぁああああぁぁああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃいあああああぁああああああっは」
反響。反響。反響。
ざわめく堂山の笑い声は、永遠にも思えるほどに木霊した。
唯一、小鳥たちの飛び立つ音だけが、その狂気の場にそぐわない穏やかな存在だった。
◇◆◇◆
翌朝、河原には無残な姿の死体が、丸太に括られて掲げられていた。原型は留めておらず、遠目でみれば、ただの赤い肉の塊だ。もはやそれが元人間なのかどうかも
ざわめく雑踏を横目に、
「いいか虫共!よーく見ておけ。これが我々、望月様に楯突いた馬鹿の結末だ!女であろうが容赦はしねぇ!これが現実だ!」
直視出来ない無残な姿が、昨日の刺客であることは、明白の事実だ。橋の上での惨劇は、全員が見ていたことである。
刺青の男は、民草の瞳が、絶望の濁流に飲まれていることを確認すると、満足げな表情を浮かべて、
「今から、こいつに石を投げろ。投げないやつは……くくく」
男の言葉の続きは、誰もが容易に想像出来た。だからこそ、雑踏は、急いで足元の石を拾った。
この藩では、誰もが望月堂山の恐怖に怯えている。
それを裏付けるかのように、雑踏の中には「望月様に逆らうな」「馬鹿野郎」と、眼を見開いて罵倒を浴びせる者も居た。誰もが、次の標的が自分にならないように祈りながら、投石を続けていた
そんな光景を、男は見下すように、不敵に笑って眺めていた。
どのぐらいの時間が、過ぎたことだろう。雑踏が必死の形相で投石する中で、幼さの残った男児の声が響いた。
「止めろ——!これ以上、母ちゃんを傷付けないでくれぇ!」
目汁、鼻汁で顔を汚しながら、石の雨の中を一心不乱に駆け抜けていく。そして、変わり果てた無惨な姿で括り付けられた丸太に寄り添った。
「うっ……うぅっ。もう…もうこれ以上…」
穴の開いた薄汚れた麻の衣装の少年が、両手を広げて、変わり果てた姿の刺客に覆いかぶさる。もちろん少年の身長が足りるはずもなく、刺客の身体の一部しか守り切ることが出来ない。しかしそれでも少年は、必死に両手を広げていた。
突如現れた泣き叫ぶ少年。
顔面の形状すら判別出来ない刺客の姿から、2人が親子関係であることを読み取ることはもはや叶わない。しかし羞恥を晒してでも庇う少年の涙が、確かな親子愛を人知れず物語っていた。
民草もまた人の子である。必死の形相で庇う少年の姿をみて、投擲の手が次第に止み始めていた。
しかし情など持ち合わせない刺青の男衆の怒号が、それを許さない。
「おいこら虫共!何で手を止めてやがるんだ!」
民草は、狼狽えたように視線を下に向けた。誰もが投石が本意ではないことは周知している。事実、橋の上で刺客が望月堂山に襲い掛かった瞬間は、誰もが期待の眼差しで見ていたからである。
しかしこの三ツ上村は、望月堂山の手中である。城主として、村長として納める望月堂山に抵抗するということは、死罪を突きつけられるにも等しいのだ。そしてその抵抗は、望月の部下であっても、同様だ。
刺青の男は、肩で風を切るようにして、泣き崩れる少年に近付く。そして少年の髪を鷲掴みにした。
少年の「うっ」という短い唸り声と共に、雑踏に見えるように持ち上げて、
「よーし。虫共が俺たちに反抗しようっていうなら……それがどういうこと意味か身体で、教えるしかねぇよなぁ!」
少年の涙と涎で汚れた表情が、皆の前に露呈される。少年はもはや、抵抗することでも出来ず、ただ泣きじゃくるだけだった。
「見ろ!小僧」
男が叫ぶ。そして腰に携えた日本刀の柄を握りながら、
「これからお前は、殺されるというのに、誰も助けようとしねぇ!これが現実だ!虫のように生きて、虫のように死ぬ。それが、お前の糞みてぇな人生なんだよ!」
「う…うぅっ…ぁぁあああ母ちゃん」
「その母親も、望月様に逆らってこの様だ!元藩主の望月源斎といい、母親もお前も、文字通り虫のような人生だったな。
ぁぁぁぁぁ
かたん、かたんかたん。
雪駄の軽快な音が耳元を横切った。
そして視界の下方部で艶のある銀色の糸が、ふわりと靡いていく。これから凄惨な地獄が垣間見えようという最中に、それは自然に、かつ当然のように、通り過ぎていった。
視界に横切ったのが糸ではなく、少女の頭髪と気付いた時には、すでに背中で雪駄の音が聞こえていた。
刺青の男が、後方へ視線を移すと、紺色を基調とした布地に花柄の刺繍を
「お、おい。そこの小娘!」
自分たちの予想を超えた少女の行動に、戸惑った様子で怒声を上げる。しかし虚を突かれた様子は、刺青の男だけではなく雑踏、少年までも同様だった。
かたん…。
少女は、丸太の眼前にまで来ると歩を止めて、静かに死体を見上げる。そして再び、全身を包むほど伸びた銀髪を揺らしながら、雑踏へと振り向いた。
頭髪、眉毛、睫毛、あらゆる毛髪が銀髪。
そして伸びた前髪から覗かせる血潮のような真紅の瞳。
年頃の愛らしい顔付きをしているが、それを凌駕する不気味さな佇まいの少女だった。
その不気味な少女の正体は——
「
単語をぶつ切りにしたような独特の口調を発する。声色からは、感情の起伏は伺えず、抑揚のない平坦な口振りだった。
男、雑踏、少年。すべての人物が、突如として現れた奇異な少女について、状況の整理が追いつかない。ほんの一瞬ではあるが、時が止まったような錯覚に陥るようだった。
そんな中、誰もが固唾を飲んでいると、雑踏から「あいよ」と低音の男の声がした。
雑踏の頭1つ抜き出た
背には自身の背丈ほどの、無骨な大剣を背負っていた。左肩に装備した龍の頭部を模した大袖が、歩幅に合わせて重厚に鳴っていた。
獅子を想起させるような荒々しい黒髪。
端正ながらも、生傷が絶えない顔面。
黒装束と
乾いて変色した血痕が付着した両腕の包帯。
岩を彫ったかのような仰々しい大剣。
その男を彩るすべてが、眼前の虚勢を張るだけの刺青の男とは比べ物にならないほどの、圧を放っていた。
「どうした瑠璃猫。珍しく躍起になっているように見えるぜ。お前の心にも、そんな感情が残っていたと喜んでおいた方が良いか?」
「…笑止。性格。不変」
瑠璃猫は、やはり眉根1つ動かすことなく黙々と語っていた。大剣を背負った男——もとい、不死身の辰風は「そういうところだよ」と短く笑ってみせた。
そして血痕と手垢で汚れた包帯が巻かれた柄に手を添えたまま、案の定刺青の男を横切っていく。行動も読めず、自身よりも遥かに恰幅の良い辰風に対して、もはや虚勢すら張れないでいた。
辰風は、そんな刺青の男に眼も暮れず、
「兄貴にとっては、そんな妹の変化が嬉しいもんさ」
「……切断。至急」
「ふっ…あいよ」
辰風は短く笑うと、大剣と身体を簡易的に結んでいた革を解いて、柄を握りしめる。そして眼を見開くと、風を切るように大剣を、ぐんっと持ち上げた。
持ち上げられた大剣は、見上げるほど高く、そして
持ち上げる辰風の右腕には、その重厚さを物語るように、血管が幾重にも走行する。彼は慣れた様子で、大剣の切っ先で丸太に括り付けられた紐を切断した。
赤い肉の塊は、重力に従って、勢い良く落下したので、左腕で受け止めた。
眼前で見ると、全身の皮は剥がされており、断裂した筋繊維が剥き出しの状態になっていた。
もはや四肢と判断出来るものもない。血液は枯渇していて、流れ出ることはなかったが、肌に張り付くような湿った感触が着物を通して伝わった。瞼も人為的に剥がされていて、眼窩からは恨めしそうに眼球が顔を覗かせている。
辰風は、人間の姿から、かけ離れた無惨な姿を一瞥して、
「…随分とひどいもんだ。だが、命を賭して暴君に抗った勇気は賞賛する」
かたん、かたんと緩急のある雪駄の音を鳴らしながら、瑠璃猫が近付く。
「墓。建立。供養。必須…」
「はは。自分の考えを言えるようになってきたな。墓を作ってやりたいってことか」
瑠璃猫は、小さく頷く。
「良いと思うぜ。それにいつまでも、こんな飯が不味くなるような光景を眺めている趣味はねぇ。ということは——」
辰風は、鋭い眼光を刺青の男へ移すと、
「——そこの野郎から、少年を奪わなくちゃ、美味い飯が食えねぇってことだよなぁ」
言葉を吐き捨てると、左腕に抱き抱えていた刺客の死体を丸太に凭れ掛けるようにして置いた。
そしてもう一度、重厚な金属音を轟かせながら、分厚い切っ先を刺青の男へと向ける。そして腰を下げて、重心を取った。
刀と呼ぶには、あまりにも仰々しい。そんな大剣で振るわれたら、臓物すら吹き飛ぶことは、間違いないだろう。
男は、相変わらず少年の髪を掴んだまま、立ち尽くしていた。
もはや逃げた方が良いか、対峙した方が良いのか、判別も付かないほどに困惑しているようだった。引き攣った表情のまま、固唾を飲む音が、静寂に響いた。
そんな重圧を放つ張本人は、表情に陰を含みながら、
「さぁて、どうする…?」
包帯で巻いた柄を、ぎゅっと握り締めてみせる。荒く削られた刃は、陽光を鈍く反射させていた。
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