第3話:真の不死身とは
「ふぅぅぅぅ…」
辰風は、息を大きく吐きながら、刺青の男を睨む。そしてより深く重心を落としながら、上半身の半身を切った。男にとって、剣先に映る鈍い銀の光沢は、まるで首を刈る死神の鎌にも思えた。
少年の髪を鷲掴みにしたままの男の額からは、脂の混じった冷や汗が垂れていた。
「き、貴様。ど、どこの誰か知らねぇが、余所者がしゃしゃり出てくるんじゃねぇ!それで正義の味方のつもりか!?」
「どうした?言葉が震えているぞ」
辰風の挑発に対して、男は一歩後退りをする。
その光景を見て、雑踏たちには、先日の望月堂山襲撃の高揚にも似た昂りを感じていた。それに今回は、第三者でも理解出来るほどの明確な力の差もある。少年も含めた雑踏たちの期待の眼差しが、その場に渦巻いていた。
「正義だ何だ、そんなことはどうでもいいじゃねぇか。雑念を捨てて、他の者にするように、かかって来いよ。ここまでお膳立てしてやってんだ。てめぇら望月堂山の一派は、余所者とは戦わねぇ主義なのか?それとも——」
辰風は、さらに言葉を紡ぐ。
「——虚性を張るだけの実力不足と露呈することが怖いか?」
「き、貴様。望月様を舐めんじゃねぇ!あの方は、人間すら超えた存在だ!何も知らねぇ余所者が、舐めた口を聞いてんじゃねぇぞ!」
男は、怒声を上げながら、掴んでいた少年の頭を勢い良く振り払った。少年は地面に顔を打ちつけたのか「うっ」と短い悲鳴が聞こえた。
辰風は、視線こそは一度少年に移したが、すぐに眼前の男に戻す。そして「知っているよ」と冷静に言葉を投げた。
男は、予想してなかった辰風の返答に戸惑った様子で、
「知っている…?何を知っているってんだ!」
「…全部知っているさ。人間を超越した存在…いや人間を捨てて転生をした化け物ということも。望月堂山もとい——鉄鋼黒蟻という名もな」
鉄鋼黒蟻の名を出すと、男は眼を丸くして、ごくり、と大きく唾を飲んだ。
そして確かめるように、
「お前…鉄鋼黒蟻様のことを知った上で、俺に楯突いてんのか。」
その口調には、畏怖とも、驚愕とも捉えられる感情を孕ませていた。男の額から流れる冷や汗は、頬を伝って顎まで到達していた。
「そうだと言ってんだろ。何回同じことを言わせるんだよ」
辰風の返答に対して、男は再度、ごくりと唾を飲み込んだ。そして吐き捨てるような言い草で、
「今日のところは、これで退散してやる。けど俺に盾突くってことは、望月様にも盾突いたってことだ。もうお前の命は無ぇぞ」
「…虎の威を借りる狐ほど、よく喋るな」
男は「うるせぇ」と怒号を上げるが、もはや威圧は形骸化していた。誰も怯える素振りもない。すでに雑踏の視線も、男を見下したかのような視線を孕んでいた。
男は、そんな雰囲気を悟った様子であり、足早に去ろうと、背を向けて駆け出す。
「精々、次会うまでに、人生でやり残したことをしておくんだな。どうせお前は、望月様に殺され——ぶはぁっ!」
走り出した途端、男は情けない声を出しながら転げた。顔面から派手に転げて、口腔内に入った砂利を吐き出していた。
「こ、小娘てめぇ。何しやがるんだぁ!」
砂埃を叩きながら、勢い良く振り返ると、白く細い脚を伸ばした瑠璃猫が、足首まで伸びた長髪の間隙からこちらを見ていた。どうやら、足を引っ掛けたようである。
瑠璃猫は、吸い込まれそうなほど、美しくも怪しい深紅の瞳で、男をじっと見つめながら、
「………辰風。成敗」
たった2言。
されど2言。
しかし今の男にとって「成敗」という具体的な言葉は、恐怖以外の何者でもなかった。そして、それが開戦の狼煙でもあるかのように、辰風は「そうこなくっちゃ」と笑いながら、男の方へと駆け出す。
「う、うわあああああああぁあぁあ!!!」
先程、他人を見下していた男とは思えないほど、情けない叫び声が辺りに響き渡る。そして、咄嗟に腰に携えていた日本刀を抜くが、
「そんなもので、太刀打ち出来るかよ!」
大剣を横一閃。
身体が吹き飛びそうになるほどの風圧が、眼前を通り過ぎた。
そして重々しい剣圧が指先に伝わったかと思うと、男が持っていた日本刀は、まるで枝葉のように、呆気なく折れて弾け飛んだ。からんからん、と折れた刃が、
「あ…あぁ…」
男は尻餅を突いた状態で、刃折れの日本刀を見る。そして恐怖に濁った視線で、眼前に立つ巨躯を見上げた。
太陽を背に佇む辰風の体格は、まるで山のように圧迫感があり、息が詰まるようだった。辰風は大剣の切っ先を男に向けると、
「…別に正義のつもりでも、てめぇを殺したい訳でもない。俺の目的は、たった1つの安易なもんだ」
地獄から届くような重低音のような声に、男は、またもごくりと唾を飲み込んだ。
「鉄鋼黒蟻に伝えろ。不死身の辰風が来た。ただそれだけで良い」
「…が……身だ」
「…聞こえねぇよ。言伝は出来るのか、出来ねぇのかどっちだ?」
「何が!!不死身だ!!!この糞野郎!」
男は、吹っ切れたように怒号を上げる。辰風は、冷徹な視線で見下ろした。
「望月様に敵う奴なんざ、この世に存在しねぇ!それに、不死身なんてふざけた通り名をつけやがって。粋がっても、腹に刀が刺さってしまえば、てめぇだって虫のように死ぬんだぜ!」
大剣の剣先を突きつけられた状態での、威勢の良さは褒めてやるべきかもしれない。男は、望月堂山を心酔した様子で、最後の悪態をつく。そして「望月様に殺されてしまえ」と叫んで、下品な笑い声を上げて空を仰いだ。
そんな最後の抵抗に対して、辰風はひどく冷静な口調で応えてみせた。
「だったら、俺の腹に刀を刺してみるか?」
「……は?」
予想だにしなかった返答なのか、男は豆鉄砲を喰らったような表情をした。
「何を言って…」
「だからよ。やりたければ、俺の腹に刺してみろよ」
そう言うと、辰風は眼前に構えていた大剣を引っ込めて、肩に担いだ。そしてやってみろと言わんばかりに、男の前に無防備な腹を突き出す。
「勇気があるのなら、やってみな。でもどの道、俺は腹を刺されたぐらいで、くたばるような奴じゃねぇ。だが、てめぇはどうかな…?」
「ど、どういう意味だ…」
「つまり…こういうことだよ!」
「うぐっ!」
辰風は、空いた左腕で、男の首根を勢い良く掴んでみせた。
こうなると男は、もはや成す術は無い。手指1本1本が、強固に編まれた縄のように急速に締め付けていく。
「…ぁ……ぁぐっ…」
苦しむ蛙のような、潰れた吐息が溢れる。そして男の顔は、鬱血していき、顔面は次第に朱色に染まっていった。
「刺されたと同時に、てめぇの首の骨を、へし折るぐらい動作もねぇんだぜ」
そして掴んだ左腕を掲げていった。宙に浮かぶ男は、足を何度も動かして
辰風の腕を振り払おうと腕を掴むが、筋肉質な剛腕は、鋼のようであり、微動だにしなかった。
「不死身ってのは、本当の意味での不死じゃないさ。いいかよく聞け。どんな手を使っても、殺される前に相手を殺せば、戦いの中で死ぬことはねぇ。つまり——」
辰風は、にやりと口角を上げて、言葉を続ける。
「これが、真の不死身って訳だ」
「そんなの…不死身でも……なんでも…な……っ」
男は途切れそうな意識の中で、言葉を振り絞って発する。
辰風は、的確にも思える発言に対して、短く笑って返すと、左腕を振り下ろして男を投げ飛ばした。男は短い叫び声を上げた後に「ひゅぅぅぅぅ」と音を立てて、息を即座に吸い込んで呼吸を整える。
「げほ、げほ」
「もう一度言うぞ。不死身の辰風が来た。そう鉄鋼黒蟻に伝えろ」
呼吸を整えながら、男は形骸化した威厳を取り戻すように、睨み付けた。そして吐き捨てるように再度「望月様に殺されてしまえ」と再度捨て台詞を残すと、よろめきながら雑踏を掻き分けて逃げていった。
雑踏たちも、もはや恐れた様子はない。千鳥足のように進む男を憐れむような視線を送りながら、男の行手を避ける。
「虎の威を借りる狐も、あそこまで言えりゃ上等だ」
一呼吸を置いた後、辺りは瞬く間に、歓喜の喝采が起こった。辰風と瑠璃猫を中心にして円陣が出来ていた。民草からすれば、突如現れた救世主にも思えたのかもしれない。
「痛快だったぞ!」
「
「この方なら、本当に望月堂山を…!」
「英雄だ!この村にも英雄が現れたぞ!」
円陣の雑踏ではそれぞれが、それぞれの積年の想いを語っていた。長年虐げられた想いが、溢れる様子だった。
曲がりなりにも、英雄扱いされた辰風は「良してくれ」と軽く一蹴をする。そして「英雄は、すでに居るだろう」と投げて、先程の少年へと視線を移した。
少年は、涙と涎で汚れた顔面を拭いて、精悍な眼差しで、辰風を見上げる。辰風は、その視線に応えるように、少年に近付いて、
「お前の母親は、立派だよ」
そう言って、辰風は自身の黒い外套を脱いで、丸太に凭れていた無惨な死体に、そっと掛けた。
外套を脱いで露わとなった黒装束には、手裏剣などの武器が仕込まれており、まるで戦場にでも赴くかのように物騒だった。しかしそんな様相とは裏腹に、彼の放つ雰囲気は、清流のように落ち着いている。
そんな予想外の穏やかさに、少年は再度涙を流した。
「う…うぅっ。僕は、僕は……誰か1人でも、母ちゃんに対して、そう言って欲しかった…」
それは少年の本心だった。保身のためとはいえ、石を投げざるを得なかった雑踏は、心臓を直に握られるような思いだった。
「まぁそう言ってやるな。この状況ならば、誰もがそうせざる得ない」
辰風は、そう呟くと、腰を上げて瑠璃猫へ視線を移した。表情こそは変わらなかったが、彼女もまた、その視線に呼応するように小さく頷く。
「俺は英雄でも、救世主でもない。況してやこの三ツ上村に何の所縁もない余所者だ。しかし望月堂山…いや鉄鋼黒蟻という
辰風は、大剣の柄を握り締めて、言葉の続きを紡ぐ。
「てめぇらの村長、討たせてもらうぜ」
説得力のある力強い言葉に、少年を含む雑踏は無言で大きく頷いた。
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