第4話 別れと宝石のカケラ
その時です。
アサミの体から深海を全て照らすほどの眩いオレンジ色の光が溢れ出したのです。
「な、なにこれ!」
アサミは慌てます。ですが、アサミの動揺も無視して、アサミの体は強い光を放ち、体を覆い隠してしまいます。そして、アサミの足元から光は弱まり、少しずつ、少しずつ、アサミの体をオレンジ色に染めていきます。
アサミはオレンジ色の宝石になるのです。
宝石の女の子は直感でわかりました。アサミはこのまま石化して、そして、女の子のように人間の形をした『宝石』となることを、知っていました。
「アサちゃん。このままじっとしていて! そうしたら、この海にずっといられるの! 私たち、ずっと一緒にいられるのよ!」
アサミは一瞬、とても驚いた顔をしましたが、すぐににこりと笑いました。
女の子は嬉しくなります。だって、本物の友達ができるのです。アサミがいれば、さみしくありません。夜、さみしくて一人で歌うこともなくなるのです。
ドキドキしました。ワクワクしました。ソワソワしました。
興奮している女の子をよそに、アサミの体は硬直していきます。手足から始まり、太もも、腕、お腹、胸、背中……。どんどんどんどん、美しいオレンジ色の宝石へと変化していきます。
女の子はじっとそれを見つめます。あと少し、あと少しで、アサミは……。
しかし、顔まできたところで、宝石の浸食が止まりました。女の子は不思議に思い、首を傾げます。
どうして……? あと少しで宝石になれるのに、どうして止まってしまったの?
女の子はアサミの周りを、ぐるりと泳いで、変化を見守ります。ですが、一向に宝石になる気配がありません。それどころか、少しずつ少しずつ、硬化した部分がトロトロと溶けてきてるではありませんか!
「アサミちゃん、どうしたの? 何かあったの? 大丈夫?」
女の子は心配そうにアサミに話しかけます。ですが、アサミは何も答えません。答える代わりに、宝石がドロドロと溶けていきます。ネバネバとしたオレンジ色の液体が、女の子の足にまとわりつきました。
「あっ……、あっ……。溶けてしまう。宝石じゃなくなってしまう……」
顔をくしゃりと歪めた女の子は、今にも泣き出してしまいそうです。胸が張り裂けそうでした。だって、やっと、ひとりぼっちでなくなりそうだったのに。
アサミの体に貼り付いていた宝石は完全に取れ、アサミは人間のアサミの姿へと戻ったのです。
「アサ……ちゃん……? どうして……?」
女の子は呆然として、アサミに問いかけました。アサミは女の子の両手を自分の両手で包み込み、女の子の真っ赤な瞳を見つめます。
「ごめんね。ルビーちゃん。私、宝石にはなれない」
「どうして……?」
もう一度、問います。
「宝石になっているときにね、いろいろな光景が見えたの。それは私が地上で暮らしているときの光景だったわ。お父さんとお母さん、クラスの友達や親友のマイちゃんが出てきたの」
アサミは女の子から目線を外し、恋しげに海の上を見上げます。
「最初はね、苦しい思い出ばかり出てきたわ。先生やお母さんに怒られたり、マイちゃんが私を除け者にして、楽しんで笑っていたり。……だけど、苦しいのを乗り越えた先に、楽しい思い出がたくさん出てきたのよ。お父さんとお母さんと一緒に出かけたテーマパークや、作った工作を先生が褒めてくれたこと。そして、マイちゃんと楽しく遊んでいた毎日……」
口元をゆるませ、幸せそうに話すアサミを見て、なぜだか女の子は叫び出したくなりました。
もうやめて、聞きたくない。
大声で叫びたいです。耳を塞ぎたいです。でも、女の子の中にいるもう一人の自分がそれを食い止めます。
今はアサミの話を聞かないといけないのです。アサミの選択を受け入れなくてはいけないのです。
「ステキな思い出は全部全部、海じゃなくて地上にあったの。地上には辛いこともたくさんあったけど、楽しいこともたくさんあったの。……このまま宝石になったら、地上には戻れないんでしょう……? 私、それは嫌だ。みんなに一生会えなくなってしまうのは、嫌なの」
少しばかりの沈黙。それが、アサミの答えでした。
「そっ……か」
女の子はそれしか言えませんでした。引き止めることはできませんでした。
話し切ったアサミの顔は清々しくて、憂いなど一つもなくて、海に未練がないことがわかったからです。引き止めても無駄だと言うことがわかったからです。
「せっかく友達になれたのに、ごめんね。ルビーちゃんも地上に来れたならよかったのだけれど……」
うつむく女の子の手を取り、アサミが微笑みかけます。
「でも、私、ルビーちゃんのこと忘れないから。ずっとずっと友達だから。またここに来るから、絶対に来るから。それまで待っていて!」
女の子はこんな言葉を聞きたかったのではありません。
「ずっとここにいるよ」「一生一緒だよ」「二人でいっぱい遊ぼう」……。
そういう言葉を聞きたかったのです。
慣れ親しんだ冷たい水が肌に染み込んできます。水の中にいるのに、喉の奥が渇いて潤したくてたまりません。
「……うん。わかった。まってるわ。だから、気をつけて、地上に帰って」
言葉が詰まります。本当はこんなことを言いたくないのです。でも、女の子は知っていました。無理やり引き止めることは、アサミのためにならないことを知っていました。アサミが幸せになれないことを知っていました。アサミは女の子の大切な友達です。友達が苦しむのは嫌なのです。
だから、笑顔でさよならを送るのです。
アサミはひらひらと足を丁寧に動かし、地上へと帰っていきます。女の子よりも早いスピードで前へ前へと泳ぎ、地上へと目指します。泳げない、と言っていたのが、まるで嘘のようです。アサミはもう、女の子が手を引かなくても、一人で泳げます。
海から顔を出したとき、夜空には満面の星空が浮かんでいました。月が二人の女の子を照らし出します。とても、とてもキレイな夜です。
「送ってくれて、どうもありがとう」
「……どういたしまして。……だけど、私は外には出られないから、ここでお別れ……」
「なんだか、少し、さみしいね」
アサミが長い前髪を耳にかけ、控えめに笑います。女の子は少し目線を下げました。アサミの顔を見ていられなかったのです。
「ねぇ、これ」
アサミが手を差し出します。女の子はアサミの手のひらの上を見て、驚きました。そこにはオレンジ色の宝石のかけらが乗っていのです。月の光にあたり、透き通った宝石はキラキラと光り輝いています。
「これ、は……?」
「ポケットの中に入っていたの。多分、私のかけら。私の体の中に戻らなかった宝石のかけら。よかったら、持ってて」
アサミは女の子の手をとると、宝石を女の子の手のひらの上に乗せました。
「キレイ、だね。これが私の一部だなんて、信じられないくらいキレイ。ねぇ、私、またこれを取りに来るから。絶対取りにくるから。それまでこれを持っててよ」
優しいさざなみの音が耳に届きます。それは叶わない約束なのだと、女の子はわかっていました。きっと、アサミは地上の出来事で忙しくなって、女の子を忘れてしまうのでしょう。少女と言うのはそういうものなのです。なぜだか、それがわかりました。
女の子はぐっと涙を堪えました。約束が破られてしまうことをわかっていましたが、女の子は宝石を握りしめて、小指を出します。
「うん。持ってるわ。絶対、また、来てね。待ってるから」
アサミはとびっきりの笑顔で頷くと、女の子の小指にアサミの小指を巻き付けました。
「ええ、約束よ! ルビーちゃん大好き!」
女の子は泣きそうになりそうな顔をくしゃっと歪めて笑います。笑わなければ。いい友達でいなければ。たとえ、もう二度と会えないとしても、アサミは大切な友達なのです。
「……ルビーちゃん、ありがとう。またね」
そうして、アサミはルビーと海に背を向け、地上へと帰っていきます。波がアサミの背中を押します。
そうして、アサミは地上へと帰って行きました。夜空に星と月が海に落ちてきそうなほど美しく煌めく、よく晴れた宵の出来事でした。
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