【48】襲撃者
意識が深い底を彷徨う最中、ぴりっと微弱な気配が突き抜ける。刹那、微睡から覚醒する前に身体が動いていた。
ベッドから飛び降りる。床に足が付く前に、暗闇の中を鈍く輝くナイフが首元へと迫る。この状況ではどうあっても躱せそうにない。もう、既にその鋭利な先端が首の皮を断ち切ろうとしていた。『固定』も今から発動させていたのでは間に合わない。
そう、今からなら。
すさまじい速度で振り抜かれた刃が俺の首を両断しようと触れた瞬間、固い何かに打ち付けたように弾かれる。
「――っ!?」
暗闇から声が漏れる。月明りの少ない今日は、一段と夜が深い。襲撃者の姿はぼんやりとシルエットだけ浮かび上がっていた。
背丈と体格、それと先ほどの声から判断するのなら男性。それもかなりの実力者だ。
鈍っているとはいえ、俺だって散々危険地帯で夜を過ごしてきた。夜襲なんてものはいくらでも経験がある。
だというのに、部屋に侵入されるまで気づけなかった。相当な気配の殺しようだ。
それに、油断していたわけじゃない。あのギルド長が何かしてくるのであれば今夜だと踏んでいたからだ。
だから、事前に自分に『固定』をかけていた。そのおかげで、ひとまず寝首をかかれずに済んだ。
考えながらも、身体は動く。
弾かれたナイフの根本に手を伸ばす。瞬間、ナイフが重力に逆らわずに落ちていく。向こうが俺に掴まれないよう手を離したのだ。
前倒れになりながらもそのナイフを宙で掴み、シルエットの方角へ投げつける。闇を貫くナイフが、シルエットの手前でぴたりと止まった。
……何だ? まるで、何かに阻まれたような……。
当たった感覚は無い。空中で静止するナイフがゆっくりと床に落ちる。
それに、何か細いものも一緒に落下したような……。
ナイフの銀刃に細い一本の糸がぱらりと注ぐ。
思わず一瞬だけ目を奪われた。その隙にシルエットが窓の外へと飛び出す。
「ま、待てっ!」
そう言っても、待つ奴なんているわけもない。
ベッド脇にかけた外套を剥ぎ、間髪入れずに俺も外へ飛び出した。
襲撃者は人気のない場所へと向かっているようだった。先ほどの動きに似合わず、俺でも追いかけることのできる速度だ。
多分、誘われてるんだろう。
だからといって、ここで引くわけにもいかない。せめて、顔くらいは把握しておかないと今後厄介だ。
それに時間をかけてくれるのは俺としても好都合。外套のポケットに入れておいた触媒をもとに『魔法鳥』を呼ぶ。
緑黄色の透き通った魔力の鳥が、空高く舞い上がる。
これでよし。さて、一体どこまでいくつもりなのかね。
道幅は徐々に狭くなっていく。静まり返った街を二つの影が駆ける。
やがて、裏路地の角を襲撃者が曲がった。瞬間、微量な魔力の気配。
おそらく、ここを曲がった時が勝負だ。
あえて一呼吸置き、勢いよく飛び出す。向こうとて、いつ来るか分からない相手にタイミングを合わせるのは難しいはずだ。
直線に通る薄暗い一本道。そこに、襲撃者の姿は見えなかった。
こういう時の定石は大抵、上か下だ。
考える間も無く、せり上がる殺意に『固定』を発動する。次の瞬間、首元に突き立つ刃。
これだけ接近されて、ようやく襲撃者を視認できた。射抜くような鋭い目つきに、特徴的な銀色の髪。そして、首元に嵌められた重厚な首輪。
「奴隷……?」
今にも噛みついてきそうな雰囲気を漂わせる口元が、詠唱を刻んでいた。
この詠唱は――まずいっ!
とっさに首元のナイフを掴み、引きはがす。刹那、自分を纏う微弱な魔力がふっと消えた。『固定』が解かれたのを見るに、やはり『解除魔法』だったのだろう。
おそらく、逃げ続けていたのは詠唱にかかる時間を確保するためだ。しかし、その奇襲も不発に終わった。
襲撃者の靴と地面を『固定』。瞬いた瞬間『固定』。いつも通り、全てを『固定』していく。
一歩たりとも身動きを許さない。口を開くことも、目を開けることも、だ。
一歩距離を取り、息を衝く。もちろん、自分に『固定』をかけ直す。どんな時でも、油断は大敵だ。
そう、油断はしていなかった。
不意に、視界をきらりと月明りを反射する何かがぱらついた。
次の瞬間、首元に何重にも重なる銀色の糸が巻き付いていた。とっさに右手を立てる。しかし、その右手すら、糸が巻き付いて振り下ろせなくなっていた。
思わぬ状況に困惑した。
目の前の男は指一本たりとも動かせないはず。襲撃者が二人いた可能性は考えにくい。どれだけ殺気を隠そうとも、索敵に完璧にかからないことは不可能だ。
ぱっと目の前に何者かが降り立つ。それは、俺が今まで相対していた襲撃者と同じ見目の男だった。
「ど、どういうことだ……?」
男は返事を返すでもなく、首でくいっと指図する。どうやら、襲撃者の方を見ろとの事らしい。
そちらに目を向けると、俺は全てを理解した。まさか、これほどの手練れだったとは。無意識に侮っていたのかもしれない。
『固定』をがんじがらめにした襲撃者の肌が、服が、横に割れていく。ぱらりと一本落ちると、全てが瓦解するように糸束となって地面に崩れ落ちた。
つまり、俺は今まで分身と戦わされていたわけだ。
男が目の前で詠唱を始める。
「『解除魔法』か……」
「……そうだ。お前の魔法を解いた瞬間、首が飛ぶようになっている」
右腕に力を込める。指先一本たりともびくともしない。
もしかしなくとも、絶体絶命というやつだ。
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