【49】決着

 手が、足が、微塵も動かない。

 まるで、『固定』をかけられている気分だ。


 目の前の男は『解除魔法』の詠唱を唱える。猶予は約三十秒だ。その間にどうにかしてこのがんじがらめの状態から抜け出さなければいけない。

 そうは言っても、俺はそんなに焦ってはいなかった。ちょうど、胸糞悪い出来事があったばかりだ。今なら、感情のストックがなくとも『消滅』を発動できる。

 約束を破ることになるのだから、もちろん最終手段だ。出来ることなら、使いたくない。それに襲撃者と言っても、彼は奴隷だ。甘いかもしれないが、極力殺したくはない。


 さて、どうしたものか。

 色々と試行錯誤してみるも、指の一本すら動かせないのだ。ぎりぎりまで待つしかない。


 男の前に魔方陣が浮かび、その色を濃く光り輝かせていく。


 ……まだか? もうそろそろ、限界だ。


 俺はゆっくりと覚悟を固める。


 その時、上空をちらっと何かが覗いた。

 瞬間、目の前の男は糸を勢いよく射出する。すさまじい速度でが銀色の糸によって貫かれた。


「……何者だ。気配は無かったはず」


 俺と男は同時に空を見上げる。糸が青い魔力の鳥を貫いていた。


「魔力鳥……」


 男が呟く。俺はそれを見て発動しかけていた『消滅』をゆっくりと取り下げた。

 何とか間に合ったか。


 刹那、暗闇で染まる夜の空が瞬いた。一筋の稲妻が細い裏路地を駆け抜ける。

 次の瞬間、目の前の男が勢いよく吹き飛んだ。

 後に残るのは雷を纏った細い剣。その先端を染める鮮血が暗闇で艶めかしく光る。


「ふぅー、間一髪ってところかしら?」


 少女が宵闇で輝く翡翠の瞳を俺に向けていた。長い銀髪がふわりと靡く。


「まさにベストタイミングだよ、ユズリア」


 眼前の少女はにこっと上機嫌に微笑み、剣先の血を払う。


「それよりも相手は……」


 ユズリアの動きがぎこちなく止まる。まるで軋んだおもちゃのように不格好な状態だ。


「気を付けろよ、妙な糸の魔法を使う」


 ユズリアは中途半端に止まった自分の手足を見ながら、「なるほどね」と頷く。

 暗闇の奥から、男が再び姿を見せる。左肩を抑え、血をぽたぽたと地面に垂らしていた。しかし、その表情は苦悶に歪むことなく、至って真顔だ。

 ユズリアも急所を狙わなかったとはいえ、咄嗟に威力を減衰させられたのだろう。でなければ、彼女の突きは人体など簡単に貫通してしまうのだから。


「索敵にはかからなかったはずだ。お前、どうやって現れた」


「そりゃ、悟られちゃいけないですからね。ずっと遠くから一気に突っ込んだだけよ」


 ご丁寧に説明してあげるユズリア。

 魔法鳥を使って位置を知らせる作戦はそこまで珍しくない。だから、男も魔法鳥を見た瞬間に、援軍が来ることは分かったはず。しかし、どうあっても意識を張り巡らした索敵は免れ得ないし、何よりも魔法鳥が見えてから彼女が登場するのが早すぎたことに驚いているのだろう。


 これはユズリアだから為せる業だ。


「しかし、お前の動きも既に封じた。おしまいだ」


 ユズリアは小首をかしげる。その様子に男は微かに眉を寄せた。


「あぁ、これってもう発動済みの魔法なのね」


 そう言いながら、ユズリアは力を入れる素振りもなく、手足を縛る糸を引きちぎった。


「な、なに……っ!? どんな巨大な魔物が引っ張っても千切れない魔力糸だぞ!?」


 飄々としていた男の表情が歪む。

 まあ、なんせユズリアですから。彼女の『身体強化魔法』をそこら辺の魔物と比べてはいけない。


「大人しく降参するのなら、これ以上痛くはしないけど」


 ユズリアが剣を構えなおす。その足元が薄く電撃を纏っている。いつでも動けるぞという意思表示だ。


「ぬかせっ!」


 男が両手を広げる。すると、魔力がそこら中に散らばったのが何となく分かった。

 宙に目を凝らす。月明りが不自然に空中で乱反射している。

 なるほど、一帯に糸を張り巡らせたのか。これならば、ユズリアの最大の武器である速度を生かせない。


 ユズリアが目の前に張られた糸に軽く手を触れた。すると、ツーっと指先から血が滴る。どうやら相当に鋭利なようだ。


「先ほどとは違う魔力糸だ。あの速さで移動してみろ、身体がバラバラになるぞ?」


 男が指を軽く動かす。その瞬間、ユズリアの頬から鮮血が滲む。


「これ、動かせもするのね」


「厄介だな……」


 せめて、俺を縛る糸さえどうにかなれば、一瞬で片が付くというのに。生憎と、俺とユズリアの間にも無数に糸が張り巡らされている。


「でも、問題ないわ。だってこの糸、光の反射で意外と見えやすいもの」


 ユズリアから増大な魔力が溢れ出す。魔力が雷へとカタチを変える。

 視界が塗りつぶされるほどの電流が迸り、糸を視覚化させた。


 ユズリアって、こんな芸当も出来たのか。まだまだ、彼女のことも知らないことだらけだ。


「さあ、これで避けるのは簡単になったわよ。存分に戦いましょ」


「ふんっ、見えたからと言って、この包囲網を躱し切れるものか」


 男の手が素早く動く。それに合わせて光に浮かび上がる糸の群れも高速で動き、ユズリアを襲う。

 不意にユズリアの姿が消え去る。次の瞬間には男の目の前で糸に剣を突き立てる彼女の姿。そして、すぐさま再び消える。

 男の手がぐわっと動く。刹那、男の背後で鳴り響く、糸とユズリアの剣がせめぎ合う金属音。

 ユズリアの速度はどんどん加速していき、至る所で火花が飛び散る。

 しかし、男の身体に傷一つ付かないということは、男もユズリアの動きについていっているということだ。

 その最中、俺はあることに気が付いた。しかし、これは男に悟られてはいけない。


 目にもとまらぬ攻防を繰り広げる両者。しかし、糸の領域が徐々に狭まっている。それに伴って、ユズリアの可動域もどんどん小さくなっていた。

 そして、長い魔法合戦の末、彼女の足が止まる。ぶれ揺らめく輪郭が鮮明になった。


「詰みだ……」


 彼女の四方八方を糸が取り囲んでいた。少しでも動けば、その柔肌がずたずたに引き裂かれてしまうほどだ。


「ええ、詰みね」


 ユズリアがしたり顔で返す。


「強がりはよせ。お前は今から死ぬ」


 確かに傍から見れば、追い詰められたのはユズリアの方だ。

 しかし、戦況は既に俺たちに傾いていた。


「あなたこそ、何を言ってるの? しっかり防御しないと死ぬわよ。――ロア!」


 彼女が言い終わる前に、俺は右手を振り下ろした。ユズリアの全身と服を『固定』。

 瞬間、ユズリアの姿が消える。彼女の目の前に塞がる鋭利な糸がぶつりと千切れて落下した。

 どんなに鋭利だろうと、俺の『固定』は切れない。そして、切れなければユズリアの『身体強化魔法』で引き千切ることが出来る。


「なっ!? どうしてお前が動ける!?」


 男の反応を見るに、どうやら本当の意味で彼女の動きについていけていなかったわけだ。

 目にもとまらない攻防の間、俺の右手を縛り付ける糸が少しずつ、本当に少しずつユズリアによって切られていた。

 おそらく、それを気づかせないために、ユズリアはわざと相手の速度に合わせたように見せかけるため、緩急をつけて移動を繰り返していたのだ。男が目で追えない速度から、自分を追いつめられるくらいの速度へと。


 あのせめぎあいの中で、よくも思いついたなと感心せざるを得ない。


 男が慌てて飛びのこうとする。しかし、それを俺が許すはずがない。男の靴と地面を『固定』。


 刹那、稲妻が男の前を駆ける。俺の相棒が握り拳を男に向けて振りかざしていた。


「ほら、詰んでいるって言ったじゃない」


 ニコッと彼女がほほ笑む。

 そして、『身体強化魔法』を乗せた渾身の一撃を男に叩き込んだ。

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