【47】汚い世の中

 ギルド長は動きをぴたっと止め、白々しく咳ばらいをしながら椅子に腰を掛ける。額に汗が滲んでいるが、これは元から脂光りしているから分かりにくい。


「な、何のことかね?」


「しらを切らなくても大丈夫ですよ。で、返しますよね?」


 俺はゆっくりと二本指を縦に降ろす。

 ギルド長は俺の魔法を知っている。だから、その動作に目を見開いた。


 机について肘を必死に上げようとするギルド長。もちろん、びくともしない。


「へ、変な冗談はよせ。ワシにこんなことして、除籍だってあり得るんだぞ。今なら、まだ許してやる。ほら、早く解け」


 虚勢を張っているが、その声は少し震えているし、目が慄いているのがよく分かる。コネでのし上がって来た人間だから、きっとポーカーフェイスのやり方すら知らないのだ。

 こんな人にきっと俺や父親だけじゃなく、多くの人が苦渋をなめさせられたのだろう。

 中には純朴が故に気づかないまま搾取された人だっている。――ユーニャのように。


 ユーニャは言っていた。薬はギルド長から譲っていただいていると。


 俺は冒険者カードを取り出し、彼の目の前に放る。


「いいですよ。別に未練は無いです」


 ギルド長は驚いたのか、俺と冒険者カードを交互に見る。それもそのはず。わざわざ、S級の地位を手放す人間なんて、滅多にいないのだから。

 でも、俺にはもう必要のない肩書きだ。


「さあ、これでいいでしょう。俺の依頼達成金から抜き取ったものを返してください」


 ギルド長は深く唸る。きっと、必死に頭の中で勘定でもしているのだろう。それか、苦しいまでにも言い訳を考えているのか。

 ややあって、彼は観念したように口を割った。


「わ、分かった。金はきっちり返す。それで満足か?」


 どうしてこの期に及んでそんな口がきけるのか甚だ疑問だ。傲慢な大人は、どこまでいっても他者を見下ろしたがるのだろう。


「それだけじゃないですよ。ユーニャに買わせた薬代、それと俺の父親……ベイクからローリックに横流ししていた金、全部返してもらいますよ」


 ギルド長の目が見開かれる。まさかそんな話まで出されるとは思っていなかったのだろう。せわしなく瞳が左右に揺れ動く。


「な、何を言っているんだ。覚えがないぞ?」


 俺は重く息をついた。


「はぁ……駄目だなこりゃ」


 そして、ギルド長が瞬いた瞬間、『固定』を発動する。


「――っ!? お、おい、冗談はよせ!」


「……ギルド長、ユーニャがどんな魔法使いか知っていますよね?」


 丸々とした頬を一筋の汗が伝う。


「ま、待て! 一体、ワシに何をするつもりだ!?」


「ユーニャの魔法なんだから、そりゃ……言わなくても分かるでしょう。むしろ、どれがご希望ですか? 選んでもいいですよ。おすすめは『洗脳』ですかね。なんせ、痛くも苦しくも無いですから」


 もちろん、ユーニャはここにはいない。全くのはったり。彼の視界を潰したのはそのためだ。

 ギルド長の顔が真っ青に染まる。こんなにも人は急激に顔色を悪くすることが出来るのかと、素直に感心した。


「か、返す! 返せばいいんだろ!」


 思ったよりも早くに折れたな。

 やっぱり、ユーニャの魔法は恐ろしいらしい。人間なんて、ほんの数秒で骨まで溶けるからな。

 ギルド長は震える身体を隠そうともしない。本当にただの小心者だ。むしろ、今まで俺以外に詰められたことがなかったのだろうか。


 おそらく、被害者は俺やユーニャだけじゃない。実際、そういう相談を受けたことも何度かある。

 一人当たりの金額がそこまで大きくなかったから、話が膨れなかったが、どう考えてもユーニャの件はやりすぎだ。


「……ユーニャの父親に呪いを付与したのも、あなたの差し金ですか?」


 意識していない低い声が喉を衝く。

 どうやら、俺は自分が思っているよりも腹が立っているらしい。もはや、俺がピンハネされたことなんてどうでもよかった。とにかく、父親とユーニャの被害に目を背けられないでいた。


 ギルド長は沈黙を貫いた。肯定と受け取っていいらしい。

 一体、この男はどこまで堕ちているのか。底が知れない。


 ……いや、実際こんな話は良く転がっているのだろう。それだけ、醜く汚れた世界なのだ。

 弱者が簡単に搾取される。正直者が馬鹿を見るとはよく言ったものだ。


 世の中、腐りきっている。それは俺が良く知っていることだ。

 どうせこの男を警備団に突き出したところで、多額の賄賂によって無罪放免に決まっている。それどころか、こちらが冤罪をかけた罪に問われる可能性だってある。


「とにかく、俺はあなたを絶対に許しません。冒険者カードは処分しておいてください。そして、二度と俺やユーニャの周りに姿を見せないでいただきたい」


 そう言い残し、俺はギルド長室を出た。

 言い表せぬ不快な感情に、奥歯がギリッと鳴った。これでは、ギルド長のことを言えたものじゃない。

 今まで、『固定』に頼って悪感情をコントロールしていたツケだ。


 外に出ると、大通りは斜陽に染まっていた。依頼終わりの冒険者や、店を早めにたたんだ職人がこの通りに集まって来る。そして、夜にはそこらじゅうの酒場が賑やかな盛り上がりに包まれるのだ。

 いつも独りだった俺には縁の無い時間帯。独りはとてもじゃないが、まさかユーニャを連れて酒場に行くわけにもいかなかったし。

 思い返す程に俺の交流関係の少なさに涙が出そうだ。


「あー、早く聖域いえに帰りたい……」


 そんな呟きも、雑踏にかき消される。

 しかし、ユーニャにどう説明したものか。真実をありのままに伝えるのは……やめておいた方が良いだろう。それは誰のためにもならない。


 これは本格的に父親にユーニャを貰いに行く日が来るかもしれない。なんせ、このギルド長だ。こんなギルドに彼女を在籍させるのはよろしくない。しかし、そうなれば彼女はどこへ行く。

 多分、付いてくるって言うんだろうなぁ……。


「いや、親父さんもいるんだし、他の街に拠点を移動するって手もあるのか……」


 まあ、そこら辺まで俺が関与する話ではない。とにかく、俺が出来るのはこの街にこれ以上いない方が良いと助言するまでだ。

 彼女もあの見目でもう成人。立派な大人なのだ。自分の道は自分で決めた方が本人のためにも良いだろう。


 そんなことを思いながら、宿へ向かう。

 その晩、俺は静かな殺気で目が覚めた。

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