【10】忌み子
「ロア殿は里の英雄でございまする!」
月狐族の里長が、小さな杖を高らかに振り回しながら、興奮した様子で前のめりになる。
「大げさですよ」
「そんなことはありませぬ。怪翼鳥はA級指定の魔物。今の里の者では総力を挙げても太刀打ちできませぬる。しからば、ロア殿が訪れなければ、某らは皆、逃げ惑うことしかできませぬ」
確かに怪翼鳥はA級冒険者がパーティーになって、ようやく討伐出来る魔物だ。そのくせ、空を飛んでの強襲や個体数が他のA級魔物よりも多いため、被害に遭う人々も多い。
「こういうことはよくあるんですか?」
よくあっては、里が無くなっているとも思えるが、魔物に対しての対策があまりにも月狐族の里には見えなかった。普通は常駐で冒険者などを雇って里の護衛をさせるのが、都市部から離れた山村での魔物対策だ。
「少し前まではS級冒険者がこの里にもおったでありまする」
それはコノハのことだろうか。彼女の名前を口に出そうとして、不意に思いだした。
『某の名は、出さない方がよろしいかと思いまする』
出発前にコノハが言っていた。
里に来たのは、それを確かめるためでもある。
「その冒険者は今、どこへ?」
「あやつは里を出ました。某はもちろん止めませんでしたが」
里を出た? 止めなかった?
コノハは里を追放されたと言っていた。なんだろうか、この違和感は。
「その理由は?」
里長は長い
「あやつは忌み子でしてな。月狐族の間では、満月の夜に生まれた子供は災いを呼ぶとされまする。生まれながら、里の端に追いやられ、僅かな食事と幼い頃から外敵との戦いを強いられまする。それゆえ、忌み子の大半は年端も行かぬうちに命を落としてしまいまする」
胸の内が小さく痛んだ。とはいえ、独自の文化を形成する亜人族ではよくある話。そこに部外者が口を挟めるものではない。
「それは里長、あなたの主導ですか?」
「いえ、某は数年前に里長を引き継いだ若輩者でありまする。それ以来、忌み子の制度は撤廃したのでありまするが、里に根付いたしきたりの呪いは強いものです」
想像は容易だ。里中に嫌われ、恐れられ、体よく使われていた者が、急に里に馴染めるとは思えない。長い時間縛って来た呪いは、同じく長い時間かけて解くしかないのだ。
「里の者による忌み子への接し方は、あまり変わりませんでした。里を歩けば泥を被り、若い者は暴力を振るい、時には罪を擦り付ける始末でありまする。経験の浅い某が何を言おうとも、里の者は聞く耳を持ちませぬ」
「嫌な話ですね」
「本当に、お恥ずかしい話でありまする。しかし、隠すことは不要。そうでなければ、これまでと何も変われませぬ」
里長はどこか遠くを見るように窓の外を眺める。
「その冒険者が里を出たのも、色々と理由がありそうですね」
「ふむ、耐えられなかったのでしょうなぁ。目を覚ませば、消したはずの鍋の火が里を包み込み、里中で指を差されて口々、原因はお前だと言われる。あやつにも分かっておったはずでする。誰かに嵌められたことは……」
追放されたなんて、嘘じゃないか。
感情が湧いた。どす黒く、不愉快なほど膨らむ感情が。
久々だな。
その感情をなるべく小さく、小さく、折りたたんで頭の奥底に押しやる。そして、手を添えてそっと唱える。
――『固定』
瞬間、気持ち悪いほどに胸が晴れる。ついさっきまで脳裏を染めていたもやがさっぱり消え、残ったほんの小さな粒だけが、頭の片隅にまた一つ、塵山の一部となる。
「里長、もう十分です」
「……そうでありまするな。しかし、最後に一つだけ。その冒険者に出会った時は、伝えてほしいことがありまする」
「……」
「里の者は恨んでよい。しかし、これから出会う者は敵ではない。お主には、お主の人生がある。好きに生きなすれ」
里長の言葉には、強い思いがこもっていた。
里を救ったことで、ささやかな宴が開かれたが、俺は酒を一杯煽ってすぐに退席した。夜闇に包まれた里で、賑やかな声が響いている。
俺には、雑音にしか聞こえなかった。
里の中央に大きく火をくべて、それを囲うようにたくさんの狐が躍る。喜、喜、喜。
里の隅で暗がりに身を寄せ合う数匹の狐。哀、哀、怒。
空を見上げると、ちょうど満月だった。
次の日、朝一で里を立つことを里長に告げた。
「本当に農具だけで良いのでありまするか? 怪翼鳥の素材は高値で取引されまする」
「ええ、必要ないので。農具、ありがとうございます」
「そうでございまするか。それでは、またいつでもお越しくださいますれ」
里長も分かっている。形だけの言葉だ。
俺がこの里に来ることは二度と無いだろう。
でも、里長は彼なりに、変えようとしているのだ。こうして、来客に里の現状を伝え、外の世界へ広める。そうすれば、何かが変わるかもしれない。このふざけた環境を誰かが壊してくれるのかもしれない。
「あの、」
「どうなされまするか?」
足を止めてまで、聞くことでもなかったかもしれない。でも、ちょっとだけ気になった。
「その喋り方って、月狐族なら誰でもそうなんですか?」
里長は少し笑った。
「これは某と、亡き妻、そして娘だけでありまするな。変でございましょう?」
やっぱり。
「いえ、そんなことないですよ。伝言、忘れませんね」
俺は月狐族の里を後にした。
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