【9】〝釘付け〟

「食料の危機です」


 朝食後、魔素の森聖域産のハーブティーに舌鼓をするユズリアとコノハが、不思議そうに俺を見る。


「確かに備蓄はそんな無いけれど、魔素の森には茸がたくさん自生しているし、お肉だって七獣鳥フレッチャー蛇骨牛ヴェインを狩ればいいじゃない」


 ユズリアがコノハの頭を撫でながら言う。この二人、数日ですっかり仲良くなったようだ。


「何なら、某が今から狩りに行ってくるでありますよ? こう見えて、月狐族は狩猟で生活をしていますから、得意分野でありまする」


「そうか、言い方が悪かった。圧倒的に調味料が足りないんだ」


 持ってきた塩は残り僅かで、さらにそれ以外の調味料は既に底を尽きた。ハーブなどの香辛料は泉周辺でいくつか生えているから賄えるとしても、やはりそれでは食のレパートリーが少なくなるというものだ。

 スローライフに必要な衣食住。住処と衣類は問題ない。しかし、食事の楽しみが無くては理想のスローライフとは言えない。俺はサバイバルをするためにここに住んでいるわけではないのだ。


「そういうわけで、ユズリアには街へ買い出しに行ってもらおうと思う」


「私? いいけれど、ロアたちはその間何をするの?」


「俺は畑をつくっておこうと思う。自給自足はスローライフの基本だからな。ユズリアには調味料の他に、作物の種を買ってきてもらいたい」


 冒険者をするまでは田舎で農作業もしていたのだ。土地が変わろうと、おそらくは大丈夫だろう。


「分かったわ。ちょうど、実家に手紙も出そうと思っていたし。二、三日で帰って来れると思う」


「俺とコノハが付いて行ったら、往復で半月かかっちゃうからな。頼んだ」


「まっかせなさい!」


 念のため、魔素の森の出口付近までユズリアを送り、俺とコノハは畑づくりに取り掛かることにした。

 まずは、畑の場所を決めるところからだ。聖域に畑をつくってもいいのだが、できればそれなりに広さのある場所が好ましい。聖域の大半を用いて畑をつくってしまうのは、出来れば避けたいところだ。

 そうなると、必然と魔素の森に畑をつくるしかない。まずはコノハの『異札術』で風札を利用し、木々を伐採、地面を野ざらしにする。これだけで一日かかってしまった。


 確実に俺一人じゃ詰んでいた。一人を切望していたが、多分一人じゃスローライフは成り立たなかった気がする。ユズリアとコノハのおかげだ。


 その後、地面に等間隔で聖の魔石を埋め込み『固定』する。灰色がかった地面がみるみるうちに色味を取り戻していく。おそらく、これで作物が育つようになったはずだ。土壌が農作に適しているかは、やってみないことには分からない。


「さて、じゃあ地面を耕したいんだけど、よく考えたら道具が何もない……」


 鍬や鎌なんかを自力でつくるとなると、相当な手間だ。ユズリアに道具の調達も頼んでおくべきだった。


「それならば、某の里に行けば調達出来るでありますよ。月狐族は農具を人間族に卸して、代わりに布地などをもらいまする。里に行けば、譲ってもらえるはずでする」


「でも、コノハは里を追放されているんだろ?」


「某ではなく、ロア殿が行けばよろしいかと。閉鎖的な里というわけではありませぬ。ちょっと行って、帰って来るだけであれば問題ないかと」


 コノハ曰く、月狐族の里はここから北西へ数日行ったところにあるらしい。ユズリアと入れ違いになるが、善は急げだ。

 コノハには聖域の留守を任せた。誰も来ないとはいえ、やっぱり自宅を空けるのは勇気のいることだ。それに、帰って来たユズリアに説明もしてもらわないといけない。


 魔素の森を抜け、久しぶりに聖域以外で色というものを見た。

 白って本当に何百色もあるんだなあ。魔素の森では降らなかった雪を眺めて思う。

 相変わらず人里は遠いが、野生の動物もちらほら見るようになってきた。どうやら、しっかり人類圏へと戻って来たらしい。

 魔素の森は人類圏の外側。未だ開拓に至らない未開の土地だ。地続きの大陸のさらに奥には魔族が蔓延っているという噂もある。

 魔族が最後に人類圏へ姿を現したのは五十年前。たった一匹でいくつかの大きな街を半壊にした後、五人のS級冒険者のパーティーによって討伐されたらしい。

 S級が五人いないと倒せない強さって、もはや上位種の龍と同等レベルなのではないだろうか。

 人族や亜人のように人型であったらしいが、戦士以上の力に、人狼族を置き去りにする速度、そして最上位魔法を連発する際限のない魔力なんて噂が残っている。

 今の俺なんて、遭遇すれば一目散に逃げるぞ。命大事に、だ。


 魔族を倒した五人のS級冒険者は英雄として称えられている。

中でも四人が駆け付けるまで魔族を一人で食い止め、さらに最後にとどめを刺した時空剣使いの冒険者――通称〝無頼漢ぶらいかんの王〟はその異名を知らぬ人はいないと言われている。

 裏路地のごろつきのボスからS級冒険者まで上り詰めた様に付けられた名前らしいが、魔族殺しには到底相応しくない異名だ。その何とも言えないダサさに思わず〝釘づけ〟の俺は同情せざるおえない。ぜひ一度、会って酒でも交わしたいものだ。


 三日ほどかけて山の尾根を二つ越え、月狐族の里にたどり着いた。山の中腹、崖下の茂みに隠れるように小さな木門が見えた。

 門というよりは、扉に近いかもしれない。少しかがまないと通れなそうだ。月狐族は成人してもコノハと同じくらいまでしか成長しないらしい。それなら、確かに大仰な門はいらないのだろう。


『七回叩くと、守衛が里への門を開けてくれまする。後は、工具師の元へ行けばよいです』


 コノハの言いつけ通り、七回門を叩く。しかし、いくら待っても反応が無い。

 何か間違えたのか……?

 不思議に思っていると、微かに門の先で音が聞こえた。小さく聞こえる悲鳴。それもいくつも交わって聞こえる。さらに、足元を揺らす衝撃音。


「なんか、まずいことが起きてそうだな……」


 門を乱暴に蹴る。もちろん、びくともしない。我ながら非力加減に悲しくなる。

 火の魔石を取り出し、ナイフの柄で力いっぱい叩く。魔石にひびが入り、眩い閃光と一瞬にして立ち昇る火柱が爆発のように飛び出す。

 ――『固定』

 火柱と魔石を指定。こうすることによって火の魔石を砕いたときに生じる一瞬の猛火を固定し続けることが出来る。もちろん、触れればやけどじゃすまない。

 魔石を木門に投げ入れる。

 瞬く間に門が焼け焦げ、後ろで固定してあったであろう金具が地面に落ちる。


「よしっ、怒られたら後で謝ろう」


 門の先は両側を崖に囲まれた細い通路だ。一直線に駆ける。進むにつれて、悲鳴も振動音も大きくなっていく。

 やがて、視界が開けた。崖の内部につくられただだっ広い円形の広場。藁の家々が立ち並び、畑もそこら中に見える。しかし、藁の家屋はいくつか崩壊して、畑は鋭いかぎ爪の痕や農作物が燃えたりしていた。


「原因はあいつか……」


 俺の視界の先には逃げ惑う月狐族。そして、全長四メートルほどの大きな図体、まるで龍の鱗のような深緑の体表、口元に黒煙を漂わせる大きな頭の魔物。怪翼鳥ワイバーンだ。大方、上空から迷い込んで来たのだろう。A級指定の魔物に出くわすとは、運が良いのか、悪いのか。

 怪翼鳥は肉食獣のような鋭い牙を覗かす顎をカチッカチッと二回鳴らす。その目線の先には地面に転んだ月狐族の少年。

 俺は迷わず駆け出した。

 間に合うか……? 

 怪翼鳥は口を大きく開け、頭を少し上げた。火打石のように顎を二回鳴らし、そして、上体を反らして息を吸い込む動作。息炎ブレスの前兆だ。

 まだ、少年との距離は遠い。

 怪翼鳥の瞳がぬるりと輝く。そして、反らした身を勢いよく振り下ろされる。涎の滴る口からまばゆい閃光と燃え盛る炎が、地を焦がしながら勢いよく放出された。

 くそっ……!

 滑り込むように少年の前に躍り出て、すぐさま自分の左腕と服に『固定』をかける。ほぼ同時に、空気を焦がす熱波が襲い、視界が真っ赤な業火に染まった。

 胸を震わす轟音と熱気に反して、俺の頭は冷たく冴えわたっていく。

 視界を埋め尽くす炎が消える。未だ熱気でゆらめく空気と黒煙越しに、怪翼鳥の姿が再び露わになった。

 すかさず、怪翼鳥の両足と地面を『固定』。まずは空に逃げられないようにする。

 全く、少し服が焦げたじゃないか。

 眼前でやかましく唸る怪翼鳥に文句を垂れ、もう一度息炎のためにカチッと顎を鳴らす口元に『固定』。その瞳が焦りに瞬いた瞬間、両眼に向けて『固定』。暴れ狂って上下に羽ばたく翼が草木に触れた刹那、『固定』。

 ほんの数秒の出来事だ。

 一応、念のためぺちぺちと揺れ動く細い尻尾と地面も『固定』。

 怪翼鳥はまるで剥製のように全身の動きを固めた。荒い鼻息と、体内の炎熱器官が鳴らす小さな振動だけが、今の怪翼鳥から聞こえてくるだ。

 瞑った瞼越しに強い殺気を感じるが、こうなってしまえば怪翼鳥は何もできない。

 

 俺は軽く息をつく。

 そして、ようやく周囲に目を向けた。散り散りに逃げ惑っていた月狐族達は皆、動きを止めて固唾を飲んでいた。

 見慣れた光景だ。

 彼らからすれば、怪翼鳥が息炎を吐き終わった後、音もなく、ものの数秒で全身の動きをぴたっと止めた。そうとしか見えていない。そして、なぜか息炎をもろに受け、傷一つない俺。

 理解が追い付かず、なんとなく怪翼鳥と同じように動きを固めてしまう。

 地味すぎる魔法ゆえに、今まで何度も同じ反応をされた。彼らからすれば、魔法だとすら思わないのだろう。


 もっと派手に剣撃やら、魔法が使えたなら、こんな反応にはならない。

 最も地味で、ただくっつけるだけ。

 それが〝釘づけ〟という異名まで付けられるに至った、俺だけの固有魔法。

 『固定』だ。

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