空き巣のK
いやぁ、今日はありがとよ。誘ってくれて。
お前に奢られるなんざ思ってもなかったから嬉しいもんよ。何せ昭和だって終わっちまうくらいなもんだ。こういうこともあるわな。
それにしても何だな、あんな風に「平成です」って掲げられてもしっくり来んわな。半年経ってもまだ違和感しかねぇよ。俺は。
そうだなぁ。定年まで1ヶ月きったな。
えぇと、刑事になったのが30代だから約30年か。我ながらよく勤めたもんよ。
家にもほとんど帰れんし、子供の行事なんて全部、女房任せ。本当によくやってくれたよ、ウチのやつは。
……うん、そうだな。
退職したらせいぜい女房孝行して過ごすさ。俺がこうして無事に定年を迎えられるのもあいつの支え合ってこそだからな。
ん? 何? 刑事人生の中で一番印象に残っている犯人? 何だそら。
んー、急に言われてもなぁ。んー、ちょっと待てよ。
そうだなぁ、色んな凶悪犯を捕まえたが今でも時々思い出す奴がおるな、ひとり。
お前、空き巣のKって覚えてるか?
俺が40代の頃だから……昭和40年代か。
え? 何? 20年前は生まれたばっかのヨチヨチ歩き?
そうか、そんなに若かったか、お前。その若さで刑事なんざぁ、優秀だな。しっかり気張れよ!
……話が逸れたな。
そうそう20年くらい前にな、空き巣常習犯でKって奴がいたんだよ。
こいつがまぁ、絵に描いたような小心者でな。とにかく家人と出くわさないように入念に下調べして、盗みに入った後は山に潜んで。
手持ちが尽きたらまた空き巣に入ってって。間違っても居直り強盗なんてやらない、やたらと慎重な奴だったんだよ。
だから俺達もちと油断していた。盗みはしても殺人はしないって変な信頼をあいつに寄せていた。
昭和42年だか43年だか。詳しくは覚えてねぇが、そこら辺の年の冬に、ついにあいつは一線を越えやがった。
何をとりのぼせたのか、出くわした家人を包丁で刺して山に逃げ込んだんだよ。
冬のさっむい日に山狩りさせられるこっちの身にもなって欲しいよ。しかもS岳だぞ、ったく。
寒い中、何日間もかけて山狩りしたけど、結局見つからなくてよ。
でもなぁ……まぁ被害者は一命を取り留めたんだが、Kの中で何かが弾けたのかな。その一件を境に凶暴性が増しやがってな。
空き巣に入るよりも、殺すために入っているんじゃないかって程に凄惨な犯行に様変わりしてよ。しかも中にはどう見ても食べたとしか思えないような……
え? どうやって捕まえたかって? 結局は山の洞窟に潜んでいた所を確保したさ。
大変だったよ、ねぐらを特定するのは。しかも逮捕してみたら、別人かってくらいに狂乱しててよ。
何を聞いても、ぶつぶつ、ぶつぶつ。
「俺は違う、俺は違う」って小声でずっとうわごとみたいに言ってるって聞いてよ。
ここに来て否認かよ、って腹立ったな。
まぁ、そんな調子じゃ調書もままならねぇし、苦肉の策で人を変えたらちっとは答えるかってなって、俺にお鉢が回って来たんだけども……。
そう、今じゃこんなだが、当時の俺はそらぁシュッとして人当たり柔らかな……ってやめやめ。言うだけ悲しくなるわ。
でもまぁ、結果から言えば俺がやっても無理だった。……無理だったんだがなぁ。
余りに「俺は違う」ばかり繰り返すから、ある時、つい俺もカッとなってな。
「いい加減にしろ! 確かにお前のやったことだろが!!」って怒鳴っちまったんだ。
そしたらな。Kの野郎、急に黙りやがった。
黙って俺の顔をじぃっと見つめるんだ。
そして一言。
「違う。俺は食ってない!」
目を限界まで見開いて叫んでな。正直、背筋に寒気が走ったよ。その一瞬の表情が妙に恐ろしくてな……。
Kはそれきりまた「俺は違う、俺は違う」のぶつぶつさんに逆戻りだ。
結局まともに喋ることもできなくて、心神耗弱がついたんだったかなぁ。そのへんはあんまり覚えてないな。
ただよ、俺はあの時の一瞬のKの言葉が何となく忘れられなくてな。
あいつの「俺は違う」ってのは、「犯人じゃない」って意味じゃなかったんじゃないかな、って。
今でもふと思う時があるんだよ。
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