第7話 女王ディアラ

「父さんっっ!!」

 私は其の侭この足で、父に文句を言いに行った。只の子供のする事でも、父が居るなら事が大きくなって納得できる。

「あなた、キャラバンのリディアを誑かしたでしょう!!」

 私は父の身長分に刳り抜いた穴を通って中に入る。王となってから父は、私達家族とは共に住まず民衆が協同して造ってくれた家よりも大きな職場(モスクと云った)に一人で寝泊りしていた。とは言うが、必要があった時に私が立ち入るし、母がご飯の用意等もしていたから其程それほど独りという訳でも無い。しかし、無防備だと謂えば確かに無防備だった。

「・・・・・・父さん?」

 いつもなら「おぉーディアラーー」と覆い被さって甘えてくる父が返事さえしない。薄暗いのは1日中だが、今がまだ早朝である事を思い出した。眠っているのかしら・・・?

 私は父がよく横になっていた土を捏ねて盛り上げた寝床を見に行く。併し居なかった。祖父用にも造られた『ミナレット《神の塔》』にも、靴を脱いで上ってみるが、普段居ない高い塔だけあり、其処にも居なかった。ミンバル《壇》一つを除いては凡て平面然とした奥の部屋にはベルベリーから輸入したカミ《紙》をだらしなく広げた侭で、仕事も其の侭、父の姿だけが無かった。

 ・・・たった一つ、窪みが特徴的なミヒラーブ《壁》に掛けられていた父のターバン‐ストールが、父が其処に存在していた唯一で最後の証となった。



 父が、行方不明になった。



 民衆達と手分けして、必死になって父を捜した。けれども父は見つからない。併し郊外の砂以外には何も無い処に血痕らしき紅い砂の塊が発見され、風に吹かれて幾つかの粒は別の位置に移動していた。そう血の量は多くないが、キャラバンの男性の素顔を見た女性がこう言った事で、父に予想される最悪の結末はほぼ確定的なものとなってしまった。

「・・・・・・私が・・・あの海賊にったのは、此処なの」

 この言葉には流石さすがに私も、血の気が抜けていくのが止められなかった。父はこの場処でキャラバンに―――・・・暗殺された!?

 事件が起きてまだ日数が経っていない。而も、キャラバンの正体が知れた日時と、父が居なくなった時間に殆ど時間差が無い。あの変人の父の事だ、何らかの理由でこの郊外に来ていたとしたら―――・・・時間がぴったり、合ってしまう。

 民衆は既にキャラバンを犯人だと決め掛っていた。其もそうだろう。数十年前、現実に――・・・襲われている。

 キャラバンが犯人であるかどうかはリディアに訊けば判る。叉は父本人が現れる事だ。併し、私も身内の事とあってなかなか冷静になる事が出来ず、その時選択肢は心に一つしか無かった。けれども、リディアの姿も見当らない。


 政治家の意見も一変し、先頭に立ってキャラバン排斥を訴えた。何、これ・・・自分の身に降り懸るとなると態度が全然違うじゃない。今まで上の立場からの目線で彼等を“同情”していたのに。

 マリの人達は性格が穏かだ。武力で解決しようとははなから思わない。併し其は逆に陰湿だとも謂えた。

「子供達に罪は無いわ!」

 私はまだまだこの人達と等しい・・・いえ、其よりも貧しかった頃の自分を想い返していた。こうして斃れそうだった時に、水を与えてくれたのは・・・誰。

「ディアラ・・・・・・」

「水をくださいって・・・!この子達はちゃんとそう言っているのに―――!」

 ―――“蓋を開け呑むは我が口のみ”私はこの国のものでは無い諺を、想い返していた。

 むしろまるでキャラバンの首を、じわじわと絞めていく様な行為だ。暑くて砂漠を越えるには至難の業であるにも拘らず、水をあげない。売っても買ってもあげない。総てを輸入輸出で賄っていたキャラバンは急激に衰弱していった。

 ・・・あぁ、之だ、この辛さが解るから、リディアは売物であるにも拘らず、私達に水をくれたのだ。

 マリの民は他人がこんな目に遭って、放っておける国民じゃない。只その時の怒りに駆られて、接し方を忘れているだけだ。

「併しキャラバンはマンサ=ムーサを―――」

「父さんが本当に死んだなんて、あの血痕くらいじゃ判らないじゃない!」

 私は怒号を飛ばした。

「―――そーよ。王だって何だって遣ってやるわよ。屹度きっと父は、勝手だから・・・勝手に隠居を決め込んで、自由を求めて出て行ったんだわ。国を豊かにして、お金を得て・・・私を―――」

 私を・・・・・・王に仕立て上げて。

 家族からも貧乏からも、地位からも解放された自由が、父にとっての真の目的。・・・・・・強ち、間違っていないのではないかと思った。

「ディアラ―――」

「・・・やめて。私は女王よ」

 私は慰めようとする民衆の行為を拒絶した。どうして・・・どうしてその同情の無い慈悲を、誰にでも与えては遣れないの

「ディアラ・・・さま」

 民衆は言葉を訂正する。

「マンサ=ムーサ=ディアラ。今日から私がこの国の、王の中の王―――父が投げ出した地位を継ぐわ。其が責任だもの」

 民衆は誰も、何も否定しなかった

「―――王として予言する。この事件の往く末は、太陽の日にはハッキリするわ。其は遺体が発見されるか、犯人が明らかになるかで決まる。キャラバンを犯人と決めつけるのは、其からでもいいハズよね!?」

 民衆は誰も、何も言わなかった。私は之は王の初めての予言なのに、必死で早口で一気に捲し立てた。息が上がる。目頭が熱くなる。胸が苦しかった。

「―――そう・・・だな」

 やがて民衆は、納得した様に肯いた。頻りに首を縦に振る。

「ディアラが一番、つらい筈だ」

 ―――私は泣いていた。降る訳の無い雨粒が砂に落ちたと勘違いして、下を向く。すると急に目の前が翳んで、水分が膜が覆った。

 父が死んでしまったなんて、思いたい訳無いじゃないの。適当な男で・・・母さんまでいて行っちゃう様な人だけれど、たった一人の男親に変りは無いわ。信じたくない。

 でも、何ら真実が明かされない侭キャラバンが犯人にされるのは、もっと嫌なの。


 危険を伴うにもかかわらず、キャラバンはその日の内にマリを去った。予言の通りに。リディアの云った様に、水を恵まなかった怒りの矛先を此方に向ける事は無く。

 結局私に、何ら能力を有しない事を、民も予言をした私も痛感した。能力はやはりリディアに有った。彼の予言の能力を前に、私の予言は中ろうと中るまいと、如何どうでもよくなったのだ。真実が明らかにされたところで、責める相手はもういない。

 流石は“王水aqua regia”・・・・・・王を凌いで、王の行方も王の威厳も、何もかも溶かし込んでしまうのね・・・・・・私は紛れも無く自分が付けた愛称を、この様な形で反復する現実に、感心と若干の皮肉を覚えた。

(―――あぁ、屹度、この国はもう衰退するわ―――)

 3日天下とはこの事かしら。まだ3日も経っていないじゃない。・・・やっぱり私は、父の謀略とリディアの助け船との間で生きていたのね。両方いなくなった後は、私は只の凡人。此の侭国は、屹度何事も無かったかの様に元へと還る。

 ―――交流の相手が、キャラバンからベルベリーへ替る事を除いて。


「―――マンサ=ムーサの娘御は?」

 其でも私が、異民族との外交を担当する事は変らない。私ほど、キャラバンとよく話をした者はいなかっただろう。だから特に違和感も無かった。ベルベリーの棲むオアシスへ行くのも交渉する事も、もう技術となって身に付いている。


 ―――総ては疾風怒濤のゆめまぼろし。・・・そう、形容され、其でも私の名誉が傷つく事は無かった。




 ―――民も私も殆ど意識していなかった“太陽の日”が訪れる。

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