第5話 マンサ=ムーサ

 キャラバンが訪れる季節になったからといって、リディアが私の前に現れるとは限らなかった。むしそれこれとは別な様だ。今思えば、彼はキャラバンであってキャラバンでなかったのかも知れない。


 大体が、リディアに導かれてかも知れない。私は彼に救われて、水を得、命拾いした。父が其から発展させベルベリーと貿易関係を結び水をキャラバンから買わずに済む様になった。更にベルベリーからソフィストを招いて、私達は高等な教育を受ける事が出来る様になった。

 私の周囲で最近は、特に困った事は無くなっていた。とても良い方向にサイクルは動いている。皆が一所懸命働く中ふらふらとと睨まれていた父は、リディアにってちりばめられたヒントを元に開拓し、今や皆に崇められる程にまで大きくなれた。

 逆に、味を占めた父の容赦無い“政策”に縁って損害を受けたのは、紛れも無いキャラバンだった。わざわざオアシスから運んで来た水も売れず、ベルベリーに倣って住居代まで請求される。キャラバン達は切羽詰った様子で民芸品を売り、金を得ようとしたが、私の眼にさえ、其はもう、神秘的には映らなくなっていた。・・・だって、その程度の物なら、私にだって作れるもの。あなた達は屹度きっと、何らかの対価と引き換えに自民族の技術を売ったのね。


 私の地域は益々ますます成長し、長寿の祖父を持つ父はやがて王や皇帝と称えられる様になった。でもまだ形容の段階である事も確かで、元々シンボル的存在であった祖父は受け容れられても、父や私は偉そうにと言われる傾向にあった。勿論、私は偉そうにしていた訳ではないけれど、父がああだと振り回される此方も共犯者も同じだ。キャラバンに対する厳しい態度も物議を醸し、今迄通りの友好関係に戻すべきだと政治らしい話もこの頃になると出てきた。


 しかし父の玉座は更に近くなっていった。父とベルベリーとの高尚な内容の交渉を知らなかったマリの人は、一度オアシスに赴き自ら交渉しようとしたらしい。だが言葉が通じないばかりか、義理さえ無いと門前払いされてしまった。あの猛々しいベルベリーと義理がある。理解する事の出来ない言葉バルバルバルを話す者と会話の出来る父は一国の王になる器があると解釈した様で、まるで劇場型政治ポピュリズムの様に民衆は沸いた。立派な建物等は何も無かったが、其でも人口何百人かの世界で父は王と認められたのだ。

 マンサ=ムーサ《王の中の王》―――其が民衆から父に贈られた、称号だった。



 ずは祖父の着る衣服が立派になっていく。そんな中で、私は何処か違和を覚えていた。いえ、実際違っているのだから其でいいのだけれど、何と無く、私の求めていたものとは違う様な―――・・・私が自分から欲しいと願ったのは、あの時、水を一杯だけ。少し調子に乗って、無茶な分量まで貰ってしまったけれど。

「・・・ばッ。むしゃんよか服ばいねー。儂ゃそぎゃん、着たかとも思わんかったばってんのぉ」

 ・・・相変らず、言っている事がよく解らない。父とベルベリーとの交渉というのが、大体この様な感じだった。

 只、祖父はこの時、私と似た複雑な感情をいだいていたで在ろう事は、表情で判った。眼が合うと、祖父は呆れた顔をして微笑む。

「・・・だけん、嫁御について来ち欲しかったつか。スンジャータも、やおいかんけんなぁ」

 ・・・母は、父の事業や仕事には全く興味が無く、自由奔放な面では多分、父を超える。民衆が我家へ押し掛けて、知らされる様になってから父の業績を知った。

 祖父が初めて、母の名前を間違わずに呼ぶ。

「ディアラも大変ばいなー」

 余りにのうのうとした喋り方に、私は思わず頬を緩めた。



 学校が立派になり、近くに集会所も建設された。学校と集会所が別に造られるなんて、すごく贅沢で、目を瞠った。

 何やら政治家らしい事をしていた。

 私は叉も父の御伴おとも。恐らく、父がトップともう決ったから早速二代目を据えているのだと私は察した。父はそういう所に抜かりが無い。そして議題も大まかな所は判っている。大半の父の所業がワン‐マンで許されているが、当初から一つだけ意見が割れている話題があった。キャラバンの扱いに関してだった。

 別に困っている訳ではなかった。寧ろ生活は以前と比べ遙かに楽になったと思うし、本意ではないけれど神の祖父・王の父の直接の娘という事で優遇される機会も増えた。父が偉業を果せば果す程、祖父が民衆と交われば交わる程、私自身の地位も上がるが、私は何をした訳でもない。


 最初の内は議会っぽいのにも厭々ながらに参加していた父だが、少しずつ頻度を落してゆき、やがて私一人を遣わせる様になった。その度に私は何か違う、併し何が一体違うのか判らないという意識の間で摸索したものだ。心細くはないけれど、父の存在が遠くなってゆく。私と顔を合わせる頻度が決して低くなった訳ではないが、民衆とはまさにそうであった。民衆は父のカリスマを求め始め、何遍かに一度は父も応えて遣り、ことに不満の残り易いキャラバンが議題だときちんと出席した。併し其も、今回で最後になる様だった。


 面倒になってきたなぁ、と父はぼやいた。


「ディアラ」

 ・・・・・・王に相応しいローブを引き摺り、様になっていない感じでローブが重い為か杖を突く。ベルベリーとマリに住まう民達からの献上品プレゼントらしく、ちちはずり落ちる冠を押えながら私にとってはとても素っ気無い笑みで

「・・・民衆かれらは何が欲しいんだろうか」

 と、漏らした。

 父の遣り方は一見ワン‐マンである様に思えたが、其は常に先手を打ってきたからだとこの時に気づいた。民に言われる前に此方で、有無を言わさぬよう仕切ってしまう。父の王としての評価は其で更に上昇したし、寧ろワン‐マンがカリスマを象徴させた。

 こちらが求めてもいないのに、民衆あちらが求める声を発してもいないのに贈られる献上品。感謝の意を表すにしては、懐の荷が重い筈。・・・確かに少し、気持ち悪かった。

 併し父は然して気にしていない様に見えた。父はもっと・・・屹度刹那的な事を考えている。

『何が欲しいの?』『用件は』―――私はリディアを想い出した。私の中でその台詞は最早、彼の口ぐせとなっていた。

「ディアラ・・・・・・」

 他人の様な冷め切った声で、父はわたしの名前を呼んだ。

「次の議会からお前はもう、出席しなくていいよ」

 リディアの言った通り、名前が重要だなんて私の只の主観に過ぎなかったのかも知れない。薄い唇から紡ぎ出された私の名前は、薄ら寒い位に坦々とした響きを帯びて、情が通っていなかった。

「―――何故?」

「・・・もう、この議題を終りにするんだ」

 淋しい響きと裏腹に、何かを企んでいる様な、いつもの悪ガキっぽい笑みが其処には浮んでいた。けれど瞳は、やはり冷たい。

 ・・・リディア。大人っぽいあなたには、父があなたと同じ台詞を言った意味が理解できるかしら。若しかして共感をも出来てしまう?―――あなたは自分の民族がこうなる事に、若しかして実は気づいていたの?

「その為には“神”に降りてきて貰わないとね」

「??お祖父さんの事??」

 訳の解らない言葉に私はだまされた。父は全く最初はじめから、人を信用する様には出来ていなかった。



 ざわざわと、父が着席するより前に議題は熱心に語られていた。父が席に着くのには結構な時間が掛る。私が引き摺る様に長いローブを持ち上げて、手伝ってあげないと大変そうだった。父の身につける物は凡て民衆から贈られた献上品もの。父らしい、民衆の一人に過ぎなかった凡人らしい生活くささは今や欠片も残っていなかった。民衆に着せられている、支えられた王という名の偶像。祖父みたいにゆったりとした仙人の動きを、民衆という名の政治家は黙って注目し、満足そうに崇めていた。

「・・・・・・」

 父はわらっている。あぁ其さえも演出だ。父は何処まで未来を予測しているのだろう。そうして父は、之から何処へ向かうというのか

「!?」

 突如として、父が私の肩を掴んだ。

『離れるな』

 という事らしい。一応側近扱いなので之迄これまでも父の側を離れた事は余り無かったのだが、隣に『すわれ』と促されたのは初めての事だ。時が来るまで、自分の手の届く範囲に居ろ。父は議会中も頻りに私に目配せをしていた。

「何故王は、キャラバンに対しああも冷たく接するのですか」

「冷たくしている気は無いけれど・・・キャラバンと何故友好的でないといけないのかが僕には解らないな」

 父は気だるい感じで頬杖をつき、ゆりかごの様にゆっくり前後に揺らしながら私を見ていた。

まつろわぬ民じゃないか」

「順わぬ―――?」

 民ではなく私が訊き返してしまった。議会中に父が発言した事を口に出して反復しない様にって言われているけれど、こんなに父にじろじろと視られていると私に言っている様に錯覚してしまう。其に、仕方無いじゃない。だってリディアに関係する事だもの。思わせ振りな態度から、父はキャラバンの何かを知っているんじゃないかしら。

 ・・・父はどうも、その監視をしていた様だ。私が其以上の言葉を発する前に父は立ち上がり、反動してぐらつく王冠を片手で押える。其だけで民衆は沸いた。

「ディアラ」

 声と同時に私は肩を擁かれて、父の肩幅の中に立たされた。民衆が、いつもは立って控えているだけの私に注目する。

 今日の、いえ、今日からの、私に対する扱いは別格だ

「ディアラ?」

「ディアラがどうかしたのですか」

「マンサ=ムーサ―――ディアラ(娘)がかわいいのは解るが、キャラバンにもぜひその憐みを!」

「あぁかわいい。かわいいぞディアラは。我が娘ながら、よくここまで成長してくれた。そして教えてくれたんだよ」

 ―――今、その時が来た。この時の為に私は此処に居たのだと覚る。其は私にとってはとても無理難題な父からの宿題であって、其でいて決して失敗する事の無い、私にあるありとあらゆるものを考慮した、未来へ架ける実によく張り巡らせてある伏線だった。

「キャラバンが順わぬ民だという事を」

 私が伏線の一部に過ぎない程に

「近い内にキャラバンが行動を起す様だ、とディアラが教えてくれたよ。今まで皆が混乱しないよう黙っていたけれど、ディアラもね―――やっぱり僕の父(神)の血が流れているから、不思議な予言とか、そういう事するんだ」

 私は開いた口が塞がらなかった。何堂々と公衆の面前で嘘ついているの!!勿論私に、そういう神懸った能力は無い。特別に強運がある訳でも無い。併し、あれだけシンボル化している祖父を前面に出されると、皆無条件に信じ込んでしまうのだった。


 ・・・事実、キャラバンは本当に行動した。父の発言が私を困らせたからだ。だから、私自身は何もしてはいないのに予言は的中し、民衆は私をも崇めるという逆転現象が発生した。『流石さすがは王の娘』『次なる女帝に相応しい』『彼女は守護神を持っている』―――誰も私を偉そうと言う者はいなくなり、神子・巫女と言って呪術的なものを期待される代り、父ほど王として拘束される事は無く自由な時間は多かった。但し、明日明後日明明後日の事を常に考えないといけない為、精神的な自由は父ほど得られない。

 其も之も、全て父が仕組んだ事だ。でも父は、神どころか運命をも信じない。要するに、予言は決して外れない。

 困れば確実に中るという事が、更に私を困らせた。



「―――ディアラには、王をも溶かす“AQUA REGIA”がついているんだよ」



 父がこの国を発展させた真の目的は、王の位に君臨する事ではなかった。

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