第3話 王の名前

 案の定、キャラバンは入れ違いで西方のマリに到着していた。水をタンクに一杯に入れて。ラクダに載せて運んで来た水を、大きめのたらいに小分けにして、子供達が頭に載せて歩いてゆく。アルミで出来た盥には、1ギル50ディナールと書かれた紙が貼ってあり、それが水が売り物である事を示している。

 彼等は工芸品を此方が買う事にって得た金銭でベルベリーと貿易し、其に依って得た水を叉此方に売るという事を実行していた。父曰く“二重取り”とうそうだ。水が急に手に入らなくなり混乱しているマリの民達に売ってあげる。するとマリの民達は多くの場合感謝を伴い、彼等より水を買うだろう。一筋の光明と思えるが、その実しかし、お金を絞り取られているのだ。

 父はこうなる事をすぐに予期していたらしい。父が私の話を聞いて貿易を思い立ったのと同じ様に、彼等も少年が水を分け与えるところからそう着想を得るだろうと思っていたと言っていた。バケツ4杯分の水といえば結構な量だ。どうって、とは思っていたが、子供が自由に使う権限はやはり無い。

「キャラバンは戒律が厳しいと云うからな」

 父はオアシスからもマリからも遠い帰路の途中で呟いた。此処だともう私にしか聞えない。黄色い沙の広がる沙漠は見渡しがよく、隠れる処なんて何処にも無い。

 今日もかんかん照りで雲一つも無い。

 だが父は其以上何も口にしなかった。まるで余計な事は知らなくてよいと言いたげに。

 私達はこの苛酷な環境の下に生きている。情けなんて掛けていられない。・・・そう、私達は本当に困っているのだ。

 父は、私が年端も行かぬ子供に水をせがんだ事を責めはしなかった。その点で私はまだ子供だったのかも知れない。




 ばしゃっ。

 両手に重いバケツを抱えた子供が転んだ。子供にとっては1つでも重い水の入ったバケツを、この子供は2つ持っている。

 併し、足が縺れて結果は転び、全ての水は沙漠の沙に吸われ、蒸発してしまった。この水は無料タダではない。キャラバンから買った水だ。子供は呆然と水がバケツから流れるのを見、慌てて水の流れた沙を掘る。併し微かに湿り気が残るのみで、勿論覆水は盆に返る訳も無く

「う・・・っ」

 子供は途方に暮れ仕舞いには泣き出してしまった。

「どうしよう・・・っ。お父さんに、怒られる――――」

 さくっ。

 子供が泣いていると、背後にあの時の少年が佇んでいた。相変らずの黒い衣装に、素貌のよく見えないヒジャブ。

 金髪とヒジャブを潜り抜けて、真中部分がライト‐ブラウン、その周りがライト‐グリーンに映る瞳が辛うじて見えた。

 表情は冷めているが、年齢的には泣いている子と、そう変らない。

「・・・・・・何か、困ってるの?」

 少年は泣いている子に話し掛けた。子供が振り返っていた。少年は、頭に盥を載せて佇んでいた。其も、しっかりと水の張っている。

 子供が頭上の水の張った盥を、物欲しそうに見つめる。欲しい物を手中に収めている少年の貌をも羨ましげに見つめていた。

「・・・お水を買いたいけど、もうお金が無い。無いけど、買わないとお父さんに怒られるんだ―――!」

「―――そう」

 少年は相変らず叉冷めた相槌を打ち、子供を困らせた。頭の上の盥には、例に漏れず1ギル50ディナールと書いた紙が貼ってある。

 ――――。少年は子供を見下ろし、長い事瞳をダーク‐グリーンに染めて視線を外さずにいた。




「・・・買ってあげるわ」

 少年はその日、民芸品を売っていた。暑い陽射しにその全身|頬冠(ほっかむり)の黒い衣装はつらいでしょうに。避暑に丁度よい区画のすなの壁の影に入って、品物を広げて一休みをしていた。彼等キャラバンの子供達は、一日の大半をこう遣って物売りをする事で過している。私達は1日3時間位は少なくとも“学校”があるが、彼等は移動民族という事もあり即労働力となる様だ。

「・・・別にいいよ。要らないんだったら勿体無いから」

 ・・・ぴき。子供のくせにかわいくない。私は目についたキー‐ホルダーを掴んで籠にほうり込み

「買うと言ったら買うの」

 と、言って支払いを急がせた。少年は呆れた様に溜息を吐く。

「本当に必要なの?」

「本当に必要なのか如何かは、実際に使ってみて私が決めるわ。大体、キー‐ホルダーって装飾品でしょう?」

 お金を籠に入れて、キー‐ホルダーを指に引っ掛ける。偶々たまたま学校帰りだった為自分の鞄に早速つけると

「・・・ほら、かわいい。必要性を求めるものじゃないわ」

 恐らく手作りであろうキー‐ホルダーを少年に見せる。少年は興味無さそうに視線を逸らし

「まぁ、いいけど」

 と呟いた。

「この間はありがとう。二度も助けてくれて。御蔭おかげで生活切り抜けたわ」

 私は素直にお礼を言った。・・・今の反応から、お礼に品物を買ってあげるよりストレートにものを言った方が効果がある気がするわ。

「―――そう」

 併し、少年は何処か他所を向いた侭だ。

「・・・この前、あなたを見たわ。沙漠の入口に独りで居たでしょう」

 ・・・少年は、流動的な瞳を此方へ流す。何だか吸い込まれそうだ。併し当の本人は、此方を確り捉えてはいない気がした。

 こんな子がどうして私を、いえ私達を、助けてくれるのだろう

「あ、独り・・・じゃないわね。同い年位の子?水をあげてなかった?・・・・・・親切なのね」

 併し独りに視えたのだ。私が子供が其処に居る事に、気づかなかった訳じゃ無く。

 キャラバンは集団組織なのに、彼にはその集団組織の影がまるで無い

「でも、其だとあなたが困らない?あげた水だって、無料ただではないハズでしょう?お母さんに、怒られたんじゃない?」

「アンタには、関係が無いハズだよね」

 むっとして目に目を遣った時には、少年はもう顔を逸らしていた。残像で、長いまつげだけが少し見えた。後は頬冠が隠してしまう。金の伏し眼がちのまつげだけが、少し震えている様に見えた。

「―――そうね」

 私は溜息を吐いた。子供の扱いは手慣れている心算つもりだけれど、どうにも遣り難い。第一この子、全然子供らしくないのだもの。

 何を言ったって全てを見抜かれている様な感じがするし、会話が全く続かない。

「自己管理くらい、きちんと出来るはずよね」

 スカートについた沙をはらって、私は立ち上がった。子供だから、かわいいとかいう基準では無く、ありのままを対等に見たがいいかも知れない。少年が此方を向いた。

『・・・用件は?』

 無表情の中の瞳が、不思議そうにそう尋ねる。

「・・・用なんて、無いわ。強いて言うならキー‐ホルダー《これ》位かしらね」

 ・・・キー‐ホルダーを買う事をあなたが望んでいた訳ではないけれど。そう、この少年は、私の望んでいる時に来る。

「―――私が用がある時は、あなたが逢いに来た時だわ」

「・・・・・・なにそれ」

 少年は如何にも面倒そうに眉を寄せた。・・・まるでこの白金の沙だ。どういう掬い方をしても、指の間から零れ落ちてしまう。

 何を考えているのかわからない。断定しようとすると逃げ、核心に迫ろうとすると黙る。

 でもそんな事、大人には多い

「―――ねぇ。名前、教えてよ」

 私は去り際に少し甘える様にして言ってみる。身を乗り出して。即答でイヤだ。と返ってきた時には、完全に子供扱いする事をやめた。

「・・・・・・何でよ」

「・・・・・・面倒だから?」

 少年は何だか疲れた様に言った。しかも疑問符。私に訊かれても分らないけれど、私の相手に疲れている事は日の目を見るより明らかだ。

「何が面倒なものですか!たった一言じゃない!駄々を捏ねる方が面倒だわ」

「なら好きに呼べばいいじゃん」

 ああ言えばこう言う。素っ気無いを超えてえげつない。素っ気無いのは人見知りの子供にもあるけれど、之は流石さすがに子供には無いわ。

「・・・あのねぇ、そういう訳にもいかないの!名前っていうのはとても大切な両親からの贈り物なんだから。等閑なおざりにしない「・・・ソレって、ドコのダレが言ったの?」

 少年がうげぇ,という表情をして切り返す。

「価値観は人夫々それぞれだし、他人に押しつけるもんじゃなくない?」

 ・・・む。そう言われたら何も言えない。そういえば、私とこの子は違う民族だったわ。風習も口碑もまるで違う。・・・でも、呼び名位

「―――でもね「他に何か理屈ワケがあるなら、この版に100字でどーぞ。貼りつけてね」

 少年が沙を固めて作った版に、さらさらの沙を塗しながら言う。近くに水の入った壺が置いてあり、マリやキャラバンはこの水をさらさらの沙に溶かし込んで粘土にし、版の上で其を固めて文字を形作るのだ。100文字て、どれだけ体力を消費させる積り・・・!?

「・・・妙な名前で呼んで遣るわ」

「名前って、等閑にしちゃいけないんじゃなかったの?」

 揚げ足を取られる。対等に見てもむかつくわー。大体あなた、価値観夫々なら関係無いじゃない!

 ・・・でも、私は自分の信念に不正直になる事が出来ず、結局は結構考え込んで我ながら良い呼び名をつけてしまった。

「・・・・・・リディア」

「は?」

「『アクアリディア』この白金の沙でさえ融かしてしまうという幻の水よ。錬金術師達が必死で追い求めたという」

 私は学校で聞き齧った事を其の侭ひけらかした。その真の意味は“王の水”

「・・・毒舌を吐いてばかりのあなたに丁度良い渾名だわ」

 ・・・私はこの時、自分の父親がまさか王にまで上り詰めるなんて考えてもいなかった。私がその後を継ぐ事になる事も。

 ―――そして“王水aqua regia”が、王まで融かし込んでしまう様な劇物を指していた事も。

「・・・・・・ふーん」

 少年は如何どうでもよさそうに鼻で返事をする。口は黙ってその名を受け入れ、その劇物を咽喉で飲み干した。

 名前には、先達の云った通り魂が宿るのかも知れない

「其と、相手を呼ぶ時に“あんた”は無いわね。大体ね、あんたって言う方があんたなのよ?」

「・・・・・・ナニソレ。イミわかんないんだけど」

 少年がウンザリした様に顔を引きつらせたのが判った。

「私にもちゃんとした名前があるって事よ。いーい?私の名前は」

「―――ディアラ?」

 おくせながら名を言おうとしたら、少年の方から私の名前を言われ、驚いた。

「どうして私の名前を―――?」

 休憩が終りなのか商売が終りなのか、少年は商品を引き揚げて敷物を畳む。視線は下を向いた侭。呟く様な小さな声で

「―――・・・泣いてた子が言った」

 と、言った。

 私は意味が解らなかった。

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