第2話 “貿易”

 帰ってすぐ母親と調理だ。妹達からバケツを受け取り、リレー形式で水甕みずがめに移す。水浴びは今日は出来ないけれど、節制して使えば何とか回りそうだ。

「ありがとう」

 礼を言って妹達と別れ外に出ると、空のバケツを両手に持った男の子が、目の前を走り過ぎてゆく。水を貰えなかったのだろうか。

 キャラバンの少年が立っていたのは私達が居た時だから、屹度きっと今はもう居なかったのだろう。私達は幸運だったのだ。

 ・・・少し不憫に思う。私が家から離れようとした時、母より声が掛った。

「ディアラ・・・まだ?」

「あ、今行きまーす」

 今日は極力水気の少ない料理にしなきゃだな・・・頭の中で献立を立てている内に、その男の子の事もキャラバンの少年の事もすっかり忘れてしまっていた。彼等の事を思い出したのは、夕方になって家族全員で食卓に着き、父の話に耳を傾けている時だった。


「ディアラ・・・今日の水、一体どうしたんだ?」

 テフテフという、穀物同士を炒め合わせた主食に、薄味の肉野菜炒め・ジルジルディブス。其等それらをベルベレというスパイスで各自味を調整して手で食す。簡単だが、水が無い際油だけでも調理できるので、水不足の際一時凌ぎに使える。

 幸い、ホホバ(サボテン)はこの地域に豊富に採れて、油には苦労しない。

「―――え?」

 私はテフテフを指で摘んで父の方を見た。指の間からテフが零れ落ちる。

 母が不思議そうな顔で此方を覗き込む。

「・・・あーっ!ディア姉、何か悪いコト・・・「黙りなさい」

 うるさい弟の頭を殴る。

「・・・どういう事?」

 隠しておいても仕方が無いのでむしろ積極的に訊く。妹が私の服の袖を引っ張り、不安そうな顔をして尋ねてきた。

「お姉ちゃん、若しかしてあれ、いけなかったんじゃあ―――?」

「ジェンネ」

 少年から水を貰った事を心配しているのだろう。私達はベルベリーとは何の関係も無い。盗んだと思われるかも知れない。

 ―――でも、水をくれたのは少年で、少年は自由に水を使える立場だった。其に、オアシスでは有料で、この地では無料で、泊る。

「キャラバンの子が分けてくれたのよ。ベルベリーが貿易をする為にオアシスに移住して来て、今はキャラバンにしかくれないからって」

 私は妹を引っ剥し、妹にも父にも通ずる様に詳しく言った。要するに、あちらに断る権利は有って、こちらに水を得る権利は無くなってしまった事を言い聞かせる。

 こちらだって困っているのだ。

「・・・・・・ベルベリー。貿易・・・・・・?」

「どうしてわかったの?」

 父に訊いてみる。私が調理をしている間、妹達が父に言ったのかしら?妹達に話されても理解できた内容は少ないだろう。

 父は顎に手を当てて、何やら考え込んだ仕種をしている。

「二件先の家の息子さんが、泣いて帰って来た様でね。空のバケツを持って。うちの娘はそういう事は無かったからどうしたもんかなって」

 父の食べ終った皿を母が下げる。先日作り溜めていたミント緑茶を家族で飲んだ。結構日持ちが良くて、歯磨きの代りにもなる。

 母が奥へ戻ろうとすると、先程から何杯もミント緑茶を飲み続けていた祖父が引き留めた。

「・・・ほっ、ちょぅ、ぎゃん来ちすわんなっせ、スーザンヌ」

 ゴン。祖母が祖父の頭を殴る。母の名前は“スンジャータ”だ。祖父は発音のよく分らない方言を話すと同時に母の名をよく間違う。

「おほほ。御免あそばし、スンジャータ。此方の人は只の空気と思って貰って構わなくてよ」

 祖母がおかしな丁寧語を話しながら祖父のこめかみをぐりぐりする。母は

「いいえ、お義母さま」

 と、笑顔で振り返り

「気にはしませんわ」

 莫迦ばかにしないでよ。あんたの、所為よー♪・・・異国調の唄をおどろおどろしく唄いながら皿洗いを始める。弟が我慢ならずに

「ぶはっ」

 と吹き出した。私はすかさず弟の頭を殴る。

「ってっ」

 人の名前を間違えるなんて、この地域では非常な失礼に当る。其をこの子は・・・拳を開いて見て、私の肝っ魂気質は祖母似だと思った。

 祖父と祖母は、元々この土地の人々とは違う。二人の間でも叉違う。其は感覚のずれや言語の噛み合わなさに滲み出ている。

 でも、特に祖父は独特の言い回しと調子のよさで“長老”と言われ慕われている。現に祖父ほど長い年数生きている人を私は知らない。「とっとっと?」と全く判じ難いが滑稽な言葉と長寿の風貌から、知る人ぞ知る沙漠のシンボルとなっている様だ。

 ・・・そんな彼等の授かった子供が、私の父。

「おぅおぅ、分けてくれたんだったら物品を何か買ってあげなさい。其と今話した様な内容は、他人には決して言ってはいけないよ」

 黙っていたかと思ったら、今度は急に立ち上がり、さっさと寝床へ引っ込もうとする。寝床には既に、3人の弟妹が眠っている。

「もう寝るよ・・・其と、オアシスには明日は父さんが行こう」

 父がニヤニヤした顔を此方に向ける。何かを企んでいる時の表情。父もやはり祖父の類に漏れず、可也かなりのマイ‐ペースで楽天家だ。

「いいでしょう?父さん」

 祖父に一応の許可を仰ぐ。父は何を思い付いたのだろう。祖父はぐりぐりされながらも、眉を寄せて呻る。計算が狂うといつもこんな表情になるのだ。

「だけん嫁御に居ち欲しかったつか・・・「何の積り?」

 祖父の言っている事が全く解らなかった為半分言葉が被る形で言う。すると父は、先程の母と同じ位裏のある笑みを満面に浮べて

「お前も来るか?ディアラ」

 と、言った。



 本当にこの父親は、口八丁手八丁である。何というか・・・頭が良いというよりは“悪知恵がよく働く”のだ。

 更に得体の知れない出自から妙な気品が出てくるのか、雰囲気づくりもとても巧くて、交渉事や賭け事に負けた事が無い。

 人間同士の駆け引きを伴わない職業に就いているからこそ、皆と同じ立場から付き合えるのだと思える位に。

 ベルベリーという異民族に二の足を踏む事も無く、父は壁をよじ登ってオアシスの中へ入る。・・・ってあれ、正面突破じゃないの!?

「お前もおいで。ディアラ」

 ・・・愛娘にこんな危険な橋を渉らせる父親がいるものだろうか。笑顔で手を伸ばしてくる。私は溜息を吐いて、大人しく手を伸ばした。


 ひゅっ


 腕を引かれ、其の侭壁の向う側に着地した。

「!」

 中はがらんどう。キャラバンが中に居るのであれば、もっとオアシスの密度は濃くなっていて、黒衣が辺りをうろついている筈。

 二度助けてくれただけなのに、金の眼と髪しか素性の知れない少年が私の近くに居る筈だろうと、私は周囲を見廻した。

(キャラバンはもう、旅立ったのかしら・・・?)

 だとしたら、私達の住む場所に到着している頃だろう。―――その時、私はピンと来た。

(・・・・・・ははん)

 キャラバンは屹度、水を運んで来る事だろう。

 昨夜寝る前の説明だけで、父はその事を予想していたに違い無い。私は真偽を得る為に、隣に居る筈の父を見上げた。

 ・・・・・・・・・居ない!!

「ちょっ・・・父さん!?」

 待って!周囲をさっき見廻したけれど父さんさえ見えなかったのだけれど!オアシス内を駆け廻ると、カラフルなパラソルの骨を沙に直接差した掘っ建て小屋みたいな日除けがぽつぽつと在った。ベルベリーの住居だろうか。

「休憩中かねぇ」

 父親がその内の一つから出て来たので、心臓が飛び出る程に愕いた。

「男衆が居らなんだ」

「父さん!!」

 というか、其、住居侵入・・・・・・!只でさえオアシス内にも裏突破で入って来ているのに。しかも女性だけ在宅の折に出入を繰り返すなど不審人物極まりない。

「・・・あぁディアラ、ベルベリーの長が誰かは聞いていないか。ちょっと話をしたいんだが、どうにも見つからん。若しかしたら長(おさ)女かも・・・?」

 ・・・・・・娘(わたし)の存在を忘れておいて!!

「見つかる訳無いでしょーーがっ!!」

 ごぃん!!怒りに任せて父をどつき、得意のぐりぐりを展開している時だった。

「!居たぞ!変態!!」

「変態!?」

 侵入者以前に!?一応妻帯者で子もいるんですけど!?自分がその子供の一人だなんて思いたくない。当り前だけれど十数人に取り押えられ、父娘揃って縄を掛けられる事となった。


「何遣らかしてるのよっっ!!おばかっっ!!」

 其で私の怒りが収まる訳が無い。一頻父を怒鳴りつけたのち周囲を見回すと、ベルベリーの男達は怯えた様な顔をして後ずさっていた。

 ・・・にもかかわらず父はけろっとしている。いつもなら首をすくめる真似事くらいしてみせるのに。

「・・・之、うちの娘です。恐いでしょう。あはは」

 ・・・・・・反省して欲しいのはこちらの方なのだけれど。

「之から何かとかかわる事になる娘でしょうから、よろしく」

 ざわっ・・・周囲がざわつく。其もそうだろう。明らかに意図した口調だったし、私も初めて聞く。水をせがみに来ている事は判っているけれど、利用される事は全く考えてもみなかったものだ。

「・・・・・・あた達ゃ、一体何者なにもんば?」

 祖父と同じ位の年齢に見えるベルベリーの長老が、私と父につつく様に訊く。警戒はしているが、興味深い。その様な感じで。

 ・・・・・・父が、底知れぬ雰囲気を醸し始める。

「私は西方マグリブのマリに住まう民の一・ムーサ=サリフ=ケイタ。之はディアラ。ベルベリー《あなたがた》)と“貿易”を遣りたくて来た」

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