夜の酒場で勝負師はアイリッシュコーヒーを布教し、ギャンブルを愉しむ。

 ネガティブノイズの下級種は中級種や上級種とは異なり、魔法少女のような特殊な力を与えられた者や地底の技術を元に生まれた科学戦隊ライズ=サンレンジャーのような戦力に頼らずとも討伐可能な存在として内務省異界特異能力特務課の内部では認知されている。


 鬼斬や陰陽師といった既存の特殊戦力の投入すら必要とせず、それこそ指向性音響共振銃を装備した戦闘経験のない文官の官僚を二、三人派遣すれば安定性は欠けるだろうが討伐は可能だ。


 ただし、それはあくまで二、三体程度のネガティブノイズを相手にする場合の話である。

 実際の侵攻では下級種はと呼ぶに相応しい数で出現し、その中には中級種、場合によっては上級種が混じることになるため、参事官の内藤龍吾が率いることが多い対異界戦力用特殊部隊の投入や鬼斬や陰陽師、魔法少女や科学戦隊ライズ=サンレンジャーの投入が行われることになる。


 つまり、二、三体で出現することの方がイレギュラーなケースである訳だが、実際に東京都に置かれた内務省庁舎へのネガティブノイズによる大規模侵攻――通称、内務省防衛戦では庁舎内で無数の遭遇戦が繰り広げられ、その中には戦闘経験も従軍経験もない官僚が指向性音響共振銃で複数のネガティブノイズを討伐したという前例がある。決して倒せない敵ではないのだ。


 とはいえ、これはあくまでネガティブノイズの行動パターンが内務省異界特異能力特務課の内部で共有されており、彼らが有事に際してその情報と武装を惜しみなく提供したからこそ成立した話である。

 特にネガティブノイズは現在、大日本皇国が敵対している戦力の中で最も初見殺しの性質が強い勢力であるため、春翔達異世界召喚組やガルフォール達の騎士団のエリートが劣勢に追いやられていたのも致し方ないことなのかもしれない。


 ……まあ、ネガティブノイズの情報を持っている者が波菜以外にも居た訳で、彼らが上手く情報を伝達していれば良かっただけの話なのだが。


「……まあ、その口振りからして、本当に悪意は無かったんだろうね。だが、それでも君とクラスの者達の間に修復できないほどの亀裂が走ったことに違いはない。元から真っ当な関係では無かったのだから、あんまり大差はないことなのかもしれないけどね。……無縫君、君は世界を滅ぼせるだけの力を持つ大日本皇国最後の砦――人類最強の守護者だ。君が望むかどうかは別としてね。しかし、その実力を隠している今、君はクラス最弱の存在であり、迷宮に挑むだけの力がない足手纏いと見做されている。……あの勇者達の実力で本当に迷宮を攻略できるのか、魔族と戦うことができるのかは一旦棚に置いておいてね。そして、君はその事実を認めた形になる。……その状況で、迷宮攻略に同行するのは難しいんじゃないか?」


「ああ、そうだね。だから、俺もガルフォール総隊長殿に迷宮探索を辞退する意思を伝えさせてもらうよ」


「……だが、死亡偽造の件はどうなる? 無縫君は迷宮で不慮の事故に遭って死亡した……という風を装って単独行動を始めるつもりじゃなかったのかい?」


「ああ、その通りだよ。そして、実際に迷宮に赴くことになる。……このクラスには俺に迷宮に行ってもらわないと困る奴がいるからね」


「……迷宮は危険と隣り合わせ、事故が起きても致し方ない場所。だからこそ、無縫君は怪しまれないと踏んだ。そして、それは無縫君を殺したいと考える者にとっても都合の良い場所となる。……無縫君に要らぬちょっかいを掛ける美雪さんに片想いを寄せる猟平達にとっては格好の場所ということか。……本当にやるせない気持ちになるよ。無縫君が好きでもない能天気な女のせいで迷惑を被っているだけでなく、命まで狙われることになるなんて。そもそも、あんな顔がいいだけで中身の伴っていない小娘、無縫君に釣り合う訳がないだろう? 確かに学校では高嶺の花として扱われるだけの優しさと人望を兼ね備えた人間かもしれないが、所詮はその程度。……本当に好きな人が自分のせいで苦しんでいることに気づけない時点で高が知れている」


「……辛辣だね。同性に対してだからかな? うーん、確かに猟平達ならやりかねないと思うかもしれないけど、あいつらは所詮小悪党だ。肝心なところで一歩足を踏み出せない。躊躇いなく人を殺せる俺みたいな破綻者や、心が壊れてしまった君とは違ってね」


「誰かが背中を押す必要があるということか。……となると、自分が手を汚したくないと考える黒幕がいるということかな? 美雪さんや花凛さんと無縫君が一緒にいることを面白く思わない男子生徒連中か……そう見せかけて別の目的を持つ女子生徒か」


「或いは時風先生とか?」


「あはは、いやまさか。流石に燈里ちゃんはないでしょう? あんな生徒思いの先生が、ね。……えっ、もしかして本気で言っているのかい?」


 波菜の問いに答える代わりなのか、無縫はにっこりと微笑んだ。



 無縫が想定していた通り、迷宮挑戦辞退の申し出は聞き入れられなかった。

 申し訳なさそうな顔で療養中の無縫の元を訪ねてきたガルフォール曰く、王国上層部と教会上層部から圧力があったらしい。


 てっきり文句の一つや二つは言われると思ってガルフォールはあっさりと無縫の了承が得られて鳩が豆鉄砲を食ったように驚いていた。

 その後、申し出が握り潰されることを無縫が分かった上でダメ元でガルフォールにお願いしていたと知り、ガルフォールは力無く笑う無縫の姿を見てやるせない気持ちになった。


 そして、いよいよ迷宮挑戦の日の前日となった。

 今回の目的地のルインズ大迷宮まで騎士団と共にやってきた無縫達は迷宮に挑戦する冒険者や騎士達のベースキャンプから発展した宿場町――アルフールで一泊して旅の疲れを癒し、明日から迷宮に挑戦することになる。


 いくつか宿屋があるようだが、無縫達はその中で新兵訓練によく利用する王国直営の宿屋に泊まることになった。ランクは中の上程度――この宿場町の中ではかなりの満足度の宿らしい。


 王城でもほとんど引き篭もり生活をしていた無縫はここでも引き篭もり生活を……することはなく、到着と同時に荷物を宿の部屋に置いて街の散策に出掛けていた。ちなみに、基本的に男女問わず二人部屋か三人部屋が割り当てられているにも拘らず無縫は一人部屋である。

 逆特別待遇――まるで腫れ物を扱うような対応だが、無縫にとっては都合が良いので何も意見は口にしていない。……まあ、無縫が言わずとも「そんな無能なために一部屋与えてやるなんて優しい総隊長様ですねぇ。ほら、無縫、みんなに礼を言いなよ!」と猟平達が代わりに嫌味を言っていたが。


「夜風は気持ちいいね。そして、目当てのお店がここかな?」


 屋台で買った熱々の串焼きに齧り付きながら、無縫は酒場へと足を踏み入れる。

 冒険者が集まる街となれば、風俗や賭博、酒場――そういった商売も必然的に発展する。勿論、無縫の狙いはその中の賭博だ。


 この酒場は賭け事も楽しめる酒場として知られているらしく、昼間の健全な食堂のイメージから一転、様々な欲望が渦巻くいかにも夜の街らしい怪しい雰囲気が渦巻く場所となる。


「やあ、昼間の……ようこそ、夜のムーランへ。君、お酒は飲めるかい? 葡萄ジュースやミルクの用意もあるけどね」


 昼間の溌剌な看板娘という雰囲気から一変、妖艶な雰囲気を纏い、扇状的なドレスを纏った女性が応対する。

 そんな女性の背後では常連達の嘲笑が聞こえてくる。この場にあまりにもそぐわない無縫の姿を見て笑ったのだろう。「子供にはまだこの店は早いぜ。ママのミルクでも飲んでな」という幻聴が聞こえるような気がする。


「生憎と俺は珈琲党でね」


「……ふむ、聞きなれない飲み物だね。つまり、持参ということかい?」


「いいや、今日はアイリッシュコーヒーの気分なんだ。ということで、この店にアイリッシュウイスキー……なければ、ウイスキーでもいいのだけど、どちらか置いていないかな?」


「えっ、えぇ。置いてあるわ」


「要はカクテルだ。温めたグラスに砂糖とウイスキー、コーヒーを順に入れてその上にホイップを乗せれば完成だよ。……まあ、お店の外で立ち話というのもどうかと思うからね。良ければお店に入れてくれないかい?」


「そうだね。それじゃあお客様、どうぞ中へ」


「ああ、常連客の皆様。新参者が邪魔をしてすみません。生憎と持ち合わせが少なく皆様にお酒を振る舞うのは難しいですが……その代わりと言ってはなんですが、こちらはどうでしょうか? 勿論、従業員の皆様の分もありますのでご安心を」


 そう言いつつ、無縫は持ち込んだバッグからいくつかワインボトルを取り出す。いずれも高級ワインばかりだ。中には二〇〇三年もののロマネコンティもある。


「よう、兄ちゃん! てっきりこういう店は初めてかって思っていたけど、よく分かっているじゃねぇか!」


「寧ろ懐かしいって感じですね。好きなんですよ、こういう雰囲気。ああ、本日は稼ぎに来ました。先ほども言ったように懐が寒いので」


 常連客達の心も無事に掴んだところで無縫はカウンターに招かれた。

 それから、無縫を店に招いた女性――ジーナにコーヒーの淹れ方からアイリッシュコーヒーの作り方まで説明し、その後、完成したアイリッシュコーヒーを二人で味わった。


「美味しいわね!」


「上手くいけば近々、王国内にも出回ると思いますよ。そうすれば、店でも出せるかもしれませんね」


「それは良いわね。そのまま飲んでも苦味が癖になるし」


「お口にあったようで何よりです。一人の珈琲好きとして珈琲が好きな人が増えるのは嬉しいですからね」


「それで、今夜は賭け事をしに来たんだっけ? 良かったらお姉さんがお相手しようかしら? これでも多少は腕に自信があるのよ」


「では、お言葉に甘えて」


 その後、自信満々といった様子のジーナにポーカー勝負を提案された無縫は快諾。一戦、二戦と連敗し、終いにはイカサマまで使ったが手も足も出ず、最終的には精も根も尽き果てたといった様子で金貨が大量に入った袋を無縫へと手渡した。


「おいおい、ジーナちゃんを下すなんてやるじゃねぇか。ビギナーズラックで勝つ奴はいるけどよ! こんなに負ける姿は見たことないぜ」


「……ああ、言い忘れていましたが俺って生まれてこの方、賭け事で負けたことがないんですよね。イカサマも数えられないくらいされましたが……」


「それを早く良いなよ! まあ、でも、楽しかったよ! お客さんも喜んでくれたし、結果的には君が来てくれて良かったよ。良かったらまた遊びに来てね。……まあ、でも、流石に毎夜は辛いかな? 赤字が続くとお店潰れちゃうし」


「こちらこそ、楽しかったです」


「ああ、そうだ。名前を聞いてもいなかったね? あたしはジーナ。自分で言うのもなんだけど、この店のナンバーワンの人気嬢だよ。ちなみに昼は看板娘ね」


「無縫です。職業は流れの勝負師ギャンブラーというところですね。それでは、まだ夜は始まったばかり。どうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいませ」


 無縫はにっこりと笑い、金貨の入った布袋を片手に夜の闇へと消えていく。

 その後、楽しい一夜を過ごした少年との再会を心待ちにするジーナが無縫の名を聞いたのは、迷宮で一人の少年が死んだという訃報を受け取った時だった。

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