不労所得を求める不真面目現代文教師は、どうやら無縫少年のことがお気に入りで、森鴎外と作者の意図が嫌いらしい。

「あーぁ、やる気でねぇな。いや、この授業から擬古文の『舞姫』だろ? 二葉亭四迷の『浮雲』に端を発する言文一致運動・・も始まって日が浅いから文語体で書かれているのも分かるっちゃ分かるがなぁ……もうカテゴリーも古典でいいだろ? それに、森鴎外……っていうか、森林太郎っていう人間も個人的に好きになれなくてなぁ。もうとっとと教科書から消えちまえってくらいには思っているんだが。いや、本当にいらねぇだろ? まあ、でも、真面目にやらねぇとキレられるし……ああ、やる気が出ねぇ。大体、文豪を素晴らしいっていう感覚も理解できねぇんだわ、俺。基本的に文豪って呼ばれる輩がまともな訳ねぇだろ? 森林太郎なんか麦飯で脚気を改善したっていう海軍側が出した研究結果を無視して白飯を強硬して大量に死者出しているしなぁ。……まあ、樋口一葉を正当に評価して埋もれさせなかったという一点は評価されてもいいかもしれねぇが」


「……芦屋先生、そろそろ授業を始めてください」


「花凛、俺さぁ……お前のことめーっちゃ嫌いだわ。あーぁ、これだから真面目ちゃんは。……あー、はいはーい。んじゃ、始めるぞー。面倒だから、授業前と授業後の号令は無しで。クソ面倒だから、音読とかも無しな。ってか、俺、学生の頃からあれ嫌いだったんだわ。じゃ、とりあえず今から二十分やるから、最初から最後まで……まあ、できるところまで読んで、こんな内容なんじゃないかって推察を立てろ。で、その後、現代語訳のプリントを配る。まあ、そこから問題を出していくって流れでいいだろ。ってことで、はい、開始!」


 時計に一瞥を与えてから、一博は気怠げに指示を出し……そのまま、鞄からスマートフォンを取り出してポチポチと手の中で弄び始めた。

 明らかに教師の取るべき態度ではないが、既に大半の生徒達が諦めているのか、流石の花凛や春翔も一博を注意しようとはしない。


「うーん、さてと……おじさんもちょっと金欠気味でなぁ。そろそろレースで一攫千金したい訳よ。……さて、どの馬に賭けるか。……無縫、どの馬がいいと思う?」


「……また、中京都競馬場ですか? それとも、西京都競馬場? ……あるいは地方の競馬場ですか?」


「東京都競馬場はクソ豪運な奴がいて色々と確率とかが歪んでいる気がするんだよなぁ。そいつの選んだ馬に賭けさせてもらうってのが、最も安牌ではあるんだが……なんかちょっと違うかなって。いつも通り中京都競馬場のつもりだ」


「……となると、時間的に中京都競馬場の第二レースですね。……グレイバレッド、なんてどうでしょう?」


「あの馬は最近不調だろ? まあ、でもこれはいつもの流れか! 人気も低くてオッズもなかなかだしなぁ。どうせなら、三連単狙いたいし、後は一番人気のブルーライアンと二番人気のセンターエンペラーを……」


「どうせなら、一着にホワイトアイリス、二着にグレイバレッド、三着でフジレインで三連単狙いに行くのはどうでしょう?」


「いずれもオッズが高い……まあ、今とにかく人気がない馬ばかりだな。よくもまあ、的確にかき集めたというか、なんというか。だが、乗った! 大体四百倍かぁ……さて、ここからどれだけ賭けるかが腕の見せどころだぜ!」


 ああ、本当にダメ人間だなぁ……と大半の者達が思う中、ふと花凛は何故、無縫がここまで馬に詳しいのかと不審に思った。

 それに、あまりにも無縫の提案がこなれ過ぎている。まるで実際に賭け事に興じたことがありそうな……。


 それに、無縫の提案を一博は適当にあしらうことなく、寧ろ全力で乗っかっていった。

 無縫と一博の間には確かな信頼関係がある。それが、花凛にもよく分かった。


 しかし、無縫と一博が親しげに話す様子を花凛は目にしたことがない。一体どこで仲良くなったんだろうか?



 ある意味鬼門といえる二時間目の授業は恙無く終わった。

 一博が「作者の意図なんていうが、結局は出題者の意図だ。実際に、その作品の作者が問題を解いて間違えたって事例も多いからな。例えば……」などと珍しく親の仇でも見るような形相で語っていたが、それ以外はごく普通の授業であった。


 ……素行を直して真面目に授業さえしてくれればいい先生なのに、と心の中で悪気なく一博を全否定する花凛。まあ、確かにダメ人間ではあるのだが……。


 四時間目までうつらうつらしながらも耐え切った無縫であったが、やはり辛かったのだろう。四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴るのと同時に机に突っ伏すように倒れた。


「頭痛ぇ。……これは、さっさと昼食食べて寝るに限るね。五限も移動教室無かった筈だし」


 普段は面倒ごとを避けるように人の寄りつかない旧校舎の二階の教室で一人優雅に食事を摂っているのだが、その日は旧校舎の二階の教室まで行ける体力もなく、教室の机で昼食を摂ることにした。


 持ってきた弁当のことはサクッと諦め、ゼリー飲料をじゅるっぽん、と飲み干した。

 ちなみに、このゼリー飲料、何気に非売品である。糖質を抑え、様々な栄養素を溶かし込んだ特別なものであり、市販のゼリー飲料よりも優れている。……まあ、ラベルが貼られていない銀色一色のため、怪しさ満載ではあるが。


「あれ? 無縫君、教室にいるなんて珍しいね。お弁当まだかな? よかったら一緒にどうかな?」


 再び不穏な空気が教室に渦巻く中、無縫は周囲の視線など気にした様子もなく「この飲み干したゼリー飲料が見えないのかな? それとも、遠回しにそんなの食事にならないでしょうと嫌味を言いたいのか? 俺の健康とか、美雪さんには全く関係ないでしょう? 好きに生きた結果の破滅なら、それは自己責任。とやかく言われる筋合いはないんだけどなぁ」という気持ちを込めて美雪に視線を送った。

 しかし、美雪は無縫の意図に全く気づいていないらしい。


 「こいつには空気を読むというスキルは実装されてないのかよ」と呆れつつ、無縫は空になった銀一色のパッケージをひらひらさせつつ、ズキリと痛む頭痛に耐えながら「誘ってくれたのは非常にありがたいんだけど、もう食べ終えているからね。獅子王君達と一緒に食べたらどうだい?」と言いつつ、お前と一緒に食事をする気は微塵もないというオーラを出したのだが、鈍感力に極振りしているからか美雪には伝わらなかったらしい。


「えっ! まさか、お昼それだけ……なの? 駄目だよ、ちゃんと食べないと! 私のお弁当分けてあげるね!」


「ありゃりゃ……また、健康度外視な昼食を摂っていやがるな! 無縫、これからおじさん昼食なんだが、一緒にどうだ?」


 ひょっこりと窓から顔を覗かせた一博のことが無縫には救いの神にでも見えたのだろうか?

 美雪に形ばかりのお礼を言って、無縫は椅子を片手に一博が陣取った教卓の方へと向かった。


「……お前も災難だな」


「それで、芦屋先生は嫌味を言いにきたんですか?」


「いや、まさか? お前にお礼が言いたくてな! 見事に当たったぜ、三連単! また、一歩俺は辞表提出に近づいたって訳だ! 目指せ不労所得だぜ!!」


「芦屋先生、教育に悪い話はやめてください!」


 教室に残っていた四限目の日本史の授業の担当教諭、時風ときかぜ燈里あかりが生徒達との談笑を切り上げ、素行不良の教師に「今日こそは真面目な先生になってもらいますよ!」と小さい体で声を張り上げるが、一博は可愛さこそ感じるもののまるで迫力のない燈里と燈里のファンの生徒達の冷たい視線を無視して持ってきた市販品の弁当を食べ始めた。


「……で、本当に食事はそれだけか?」


「いや、一応弁当は持ってきているんですけどね。ただ、寝不足で頭痛くって、とても食べる気になれないというか。帰ってから食べようかな? って思っていたんだけど、良かったらどうです?」


「おっ、そいつはいい! もらっていいか?」


「なんで生徒の弁当を当然の流れみたいにもらっているんですか!!」


「うっせぇな、このちんまい先生。……で、話を戻すが、本当に足りるのかよ」


「一応これは軍部とか、政府機関の手早く食事を摂ることを求められる職種向けに政府と取引のある半民間の研究機関が作った超高性能なゼリー飲料ですからね。味はまあ……某国の戦闘糧食レーションみたくクソ不味いですが、その点に目を瞑ればなかなか良いものですよ」


「……まあ、本人が良ければそれでいいのか? しかし、美味しいなぁ。コンビニ飯が虚しくなってくるくらいの美味しさだぜ」


「……うちには俺くらいしか家事をやる人がいないので、このくらいは」


「確か母子家庭だったよな?」


「書類上は……ですね。同居人二人も全く家事をしてくれませんし。まあ、それ以前に家にいないことの方が多いですけどね。普段は身体に悪そうな食事ばかりしていますが、たまに食べて美味しいと言ってくれるとやり甲斐を感じます」


「……すまん、プライベートに深入りし過ぎた。まあ、でも、自分の作ったものを素直に美味しいと言ってくれる人がいるってのは幸せだな、と俺は思うぜ」


「迷惑掛けられることの方が多いですが、なんだかんだ二人が居てくれて良かったと思いますよ。それに、信頼できる大人が周りにいるというのも幸せなことですね。……あの日、あの出会いがなければ今の自分はいないんじゃないか。そういう転換期が何度かあって……こうして今を生きているのも偶然の賜物なんじゃないかって時々思いますよ」


 「少し体調戻ってきたんで、やっぱりその椎茸の煮物食べますね」と一博が抱え込んでいた弁当に箸を伸ばして煮物を取る。

 「あっ、てめぇ! 俺が狙っていたのに……」と大人気ない発言をする一博と、無邪気な子供みたいに笑う無縫を遠くから眺めながら、波菜は心の底から嬉しそうな顔でだし巻き卵を頬張る。

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