その不真面目な少年はクラスメイト達に睨まれても気にしない図太さを持っているようだ。

「……………ふむふむ?」


「おはよう! 無縫君!!」


「……………ほうほう?」


「おはよう! 無縫君!!!!」


「…………なるほど?」


「おはよう! 無縫君!!!!!!」


 一瞥こそ与えたものの、荷物を片付け終えた無縫は学校に持ち込んだ本に没頭していた。

 無縫にとって読書の方が重要だったのか、或いは美雪との会話を避けたかったのか、その真意は不明だ。


 しかし、流石に四度も声を掛ける美雪を無視するのは気が引けたのか、或いは根負けしたのか、無縫は不承不承といった様子で顔を上げた。


「……ん? ああ、白石さん、おはよう」


 途端、注がれる鋭い眼光――まるで射殺さんとばかりの殺気をまるで柳の如く受け流して心底面倒そうな顔で生欠伸を噛み殺した。

 一方、美雪は無縫から挨拶を返され、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。美雪のその反応が更に無縫に向けられる殺気を強化する……まあ、当の無縫本人は鈍感なのか殺気自体には全く何も感じていないようではあるが。ただ、少しだけ面倒そうな顔をしているので、あまり良くは思っていないのだろう。


「……で、挨拶も終えたことだし読書に戻ってもいいかな?」


 無縫は最低限の挨拶だけを済ませて読書に戻ろうとしたが、そんな無縫を妨害するように二人の生徒が無縫の方へと近づいてきた。


「無縫君、おはよう。……毎日大変ね」


「美雪、また彼の世話を焼いているのかい? 本当に美雪は優しいね。……無縫、君は少しは生活態度を改めたらどうだ?」


 無縫にほんの少しだけ同情の視線を向けたのは天月あまつき花凛かりんだ。

 美雪とは幼少の頃から交流のあるいわゆる幼馴染で、美雪と共にクラスのマドンナ的存在として高い人気を誇っている。

 美雪が可愛い系であるならば、花凛は綺麗系と評するべきだろうか? ポニーテールに結え艶やかな黒髪。紫紺の瞳は切れ長に鋭いが、その瞳は彼女の人柄が滲み出ているのか優しくもある。

 ただし、花凛に関しては若干、波菜とキャラが被っていることもあって人気を二分している部分もある。


 一方、挨拶代わりに無縫の生活態度を咎めたのは獅子王ししおう春翔はるとである。

 容姿端麗、成績優秀、身体能力抜群という天が三物を与えたまさに絵に描いたような完璧超人である。


 父親は司法に纏わる業務全てを取り仕切る法の頂点たる司法庁で『法の王者』の異名で恐れられる獅子王ししおう萬才まんさい、母親は『検事局の女王』と呼ばれた元凄腕の検事で現在は敏腕弁護士として高い人気を誇る獅子王ししおう冷華れいかという法曹一家に生を受けたからか正義感が極めて強く(それは、最早妄執といっても過言ではないレベルである)、誰にでも等しく優しい。

 そんな彼が人気にならない筈も無く、校内外を問わず春翔に惚れている女子生徒達がいるようだが、いつも一緒にいる彼の幼馴染の美雪や花凛に気遅れしているからか、そもそも告白に至ったケースの方が稀らしい。


 ちなみに、無縫が初めて獅子王の苗字を聞いた瞬間に一瞬だけ何かを思い出して嫌そうな顔をしたのを波菜は見逃さなかった。

 司法庁といえば、内閣府の下部組織である内務省と犬猿の仲であることでも有名である。更に萬才や冷華にも様々な黒い噂があった。


 美雪と花凛から構われる無縫を二人に片思いを寄せている春翔が嫌い、そんな三人のことを無縫が心底面倒に思っているという以外にも二人には何か浅からぬ因縁があるのかもしれない。


「それで、美雪の挨拶まで無視して一体何を読んでいるのかしら?」


「……ああ、この本? 『ブルーベル・ファンタジアスリー』ってゲームの攻略本だよ。ブルーベルシリーズといえば、ゲーム愛好家以外でも知っているくらいのゲームシリーズで、その中でもスリーは名作中の名作って言われているらしい」


「……らしいって。無縫君、流石にゲームに疎い私でも知っているくらいの作品よ。それを他人事みたいに……って、まさか、ね」


「俺はオタクっていうものは、その道を極めたエキスパートに贈られるべき称号だと思っているよ。俺の家庭はちょっぴり特殊で、ゲームを遊ぶようになったのも本当に最近なんだ。アニメにも全く触れてこなかったし、実はあんまりそういった類の娯楽には興味も無かった。まあ、そういったものが好きな同居人の影響でちょこちょこっと知識は増えてきたけど、所詮はその程度」


「ど、同居人? それって……まさか、女の子だったりするのかな? かな?」


 親兄弟姉妹であれば、普通は同居人とは呼ばない。

 恐らく血の繋がりのないシェアハウスの住人のようなものなのではないかと推理した美雪だったが、ふと女の直感が何か嫌なものを感じ取ったようで、張り付いた笑みを浮かべて殺気のよつなものを振り撒いた。


「一言で言えば、二人とも人間の屑かな? あちこち歩き回っては洒落にならない面倒ごとを増やすトラブルメーカー。まあ、そのおかげでスリルある非日常を謳歌できているし……本人達には言いたくないけど、一緒に居て心から楽しいと思える二人ではあるよ」


 無縫は美雪の問いに直接答えなかったが、何も話さないというつもりでもないようで、同居人の人物像を語った。

 その時の無縫の表情はそれはそれは嬉しそうで……普段絶対に美雪には見せない笑顔を引き出したその二人に美雪は内心嫉妬を募らせた。


「この攻略本も、その二人から頼まれたものというか。……明日、『ブルーベル・ファンタジアスリー』のAny%エニーパーセントRTAに挑戦することになっていて、そのためのチャートを組んでいるんだ。……個人的にはもう少し運の要素があるゲームが好きなんだけどさぁ。ちなみに、寝不足の原因は昨日、深夜に八時間ぶっ続けで『女神ヴィーナス戦記Ⅱ』の100%RTAに挑戦していたから。五時まで掛かったし、実際、かなり眠いよ」


 ちなみに、『女神ヴィーナス戦記』シリーズはR18指定の描写を含む所謂エロゲに分類されるものである。

 無縫の同居人二人は食わず嫌いなく様々なゲームを遊び、その中から無縫にプレイさせて面白そうなものを選出しているため、こういったジャンルも無縫にはプレイ経験がある。絡んできた猟平の言葉は期せずして当たっていた訳だが、当の本人は最速クリアを目指してほぼ無心で走っていたため、実際にそういった描写を楽しんではいなかったりする。


「もしかして、無縫君はそのヴィーナス戦記? を遊んでいて、それで遅刻をしたのかな?」


「白石さん、そもそも俺は昨日から一睡もしていないからね。遅刻をしたのは完全に別件だよ。……ちょっと面倒な案件が朝からあってね。急いでも一時間目に間に合わなかった」


「授業よりも優先すべきものがどこにある? 君はもう少し真面目に……いや、もう義務教育ではないからな。そんなにやる気がないなら高校を辞めたらどうだ?」


「そうしたいのも山々なんだけどね……ただ、あの人との約束がある。俺も恩人の言葉には流石に逆らえないからね。だから、できる範囲で学校に通えるように努力はしているつもりだ。……君達にとっては目障りだろうけど、だったら関わらなければいいだけのこと。学校とは社会性を学ぶ場所――小さな社会の縮図ではある。だけど、実際の社会でも誰とでも良好な関係を築かなければならない訳でもないように、必要以上に相手のパーソナルな部分に土足で踏み込まないということも大切なんじゃないかな? お互いの幸せのためにも、ね」


 これ以上、美雪達とはお関わりになりたくないと言わんばかりに無縫はそこで強制的に会話を断ち切った。

 しかし、美雪はまだ諦めていないようで、その程度の抵抗など意味をなさないとばかり美雪は追撃を仕掛けようとする……が。


「ふぁぁぁ……クソ面倒くせぇ。だけど、一応俺も教師だしなぁ。仕事をしねぇと、クソ教頭にドヤされる。っつうことで、美雪、花凛、春翔、いつもの阿呆三人衆、無縫の邪魔してないでとっとと席戻れや」


 その前に心底面倒臭そうな気怠げな態度で教室に入ってきた現代文担当教諭の芦屋あしや一博かずひろに妨害され、美雪は渋々自分の机へと撤退することとなった。



 芦屋一博という教師を一言で表すならば、人間の屑である。……あれ、この言い回し、どこかで聞いたことがあるような。


 祖父は『大明湖国語辞典』に編纂者として携わり、出版業界ではその名を知らぬ者はいないという言語学者の芦屋あしや耕三郎こうざぶろう、父親は方言研究者として言語学学会ではその名を知らない者はいないという方言学者の芦屋あしや秋彦あきひこという名門国語学者一族の三代目ではあるものの、当の本人には学者や教員になる意思はなく、大学卒業後は自宅警備員ひきにーとをしていた。


 競馬、競輪、ボートレース、カジノ……とにかく大の賭け事好き。座右の銘は『不労取得』であり、とにかく働くことが嫌いである。

 こうした仕事嫌いの極端な性格になってしまった理由は、祖父と父――二人の背中を見てきたことにある。


 研究には膨大な費用と時間が必要となる。必要な本の購入や論文の収集、それらの情報を精査して論文を執筆する。

 査読を経て仮に論文が書けたとして、研究に掛かった費用が回収できるという訳でもない。大学や国から補助金は出るものの、重きを置かれるのはやはりすぐに役に立つような種類の研究である。優先度の低い国語学を研究する学者への補助金は当然のことながら雀の涙だ。


 そうした惨状を一博は身を持って知っていた。どれだけ頑張ったところで報われない仕事もあれば、その一方で、濡れ手に粟――楽して稼げる方法もある。

 名誉ばかりで、貧乏な芦屋家で育った一博がより楽に生きられる道を選び取ったのも致し方ないことかもしれない。


 しかし、それを父親である秋彦は許さなかった。秋彦の執拗な声掛けを受け、遂には家を追い出されそうになった一博は致し方なく大学で取ってしまった現代文の高校教員の免許を片手に教職員採用試験を受験し、それに合格――そして、現在に至るという訳である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る