第10話



「母さん。俺、好きな子が出来たんだ」

「どんな子ですか?」

「意地っ張りな、捻くれた娘。でも、照れ屋なだけで分かりやすい奴だよ」


 久次郎が、高校に進学した頃。


 ついに、奴は出会ってしまった。


「同じ高校ですか?」

「そう。一文字って女子なんだけど─────」


 一文字。それは、前世の俺の苗字である。


 前世の両親の出会いは高校だと聞いていた。だから、近々そうなるんだろうなと予想はしていた。


 ついに、その時が来てしまっただけだ。


「俺、彼女を父さん母さんに紹介したい」

「……ふむ。分かりました、雪次郎様と日程を調整してみます」

「ありがとう、母さん」


 いや、もう付き合っとんのかい。てっきり恋愛相談でもされるのかと思っていたけど……案外に手が早いな久次郎。


 というか高校生で両親に挨拶って、気が早すぎないか? いや、まぁお前らそのうち結婚するし別にいいんだけど。


「あと、俺も向こうの親に挨拶に行った方が良いよね?」

「それは、貴方が自分で決めることですよ久次郎」

「─────分かった、じゃあ行ってくる」

「そうですか」


 そうだね、どっちかって言うとお前の方が大事だよね。男が「娘さんを僕にください」ってするもんだからね。


 あれ? でも、久次郎が婿に行くわけだから……。前世のママンが私たち夫婦に「久次郎を私にください!」になるのか?


 まぁ、その辺はどっちでも良いけど。雪次郎さん自体分家の次男坊だし、伊勢の家は別段大事にしないといけない家じゃないし。


「俺、父さんに聞いたんだ。母さんを落す時、独りで結婚相手の家に乗り込んで土下座かましたって。俺もやってみる!」

「……いや、その行動はどうでしょうか」


 それは正直、やめとけと思わんでもない。豪快な爺様だから通じた作戦だと思うぞ、それ。


 後、今だから正直に言うけど。婚約初期は雪次郎さんが好きと言うより、爺様への恩義で結婚すると決めたからな私。今は普通にラブラブしてるけど。


「くれぐれも。嫁入り前の人様の娘に、妙なことをしてはいけませんよ」

「わ、わかってらい!」


 一応、息子に釘を指しておく。最近の若者はどんどん貞操へのモラルが薄まっていると聞いた。


 まあ将来的には、結婚するまで処女とかあり得ない時代が来るのだけれど。それでも、まだ今のご時世でデキ婚は許されない。


 久次郎には紳士に、美雪には淑女に育って貰いたいものだ。
















 そして。雪次郎様が近場の料亭の一部屋を借りきって、私達夫婦は久次郎とその恋人である一文字と面談した。


 彼女の名は一文字桜。間違いない、滅茶苦茶に若いけど『俺』の母親だ。


 雪次郎様は、かつてなく険しい顔で一文字桜を睨んでいる。その理由は想像がつく。


 ……茶髪に染め上げた頭の悪そうなギャル。それが、一文字桜の第一印象だった。


 え、オカンは若い頃こんな風だったの!? 爺様や雪次郎様が死ぬほど嫌いそうなタイプじゃないか。


 しかも、その一文字桜が言い出した内容がまた凄まじい。


「────はぁ!? 久次郎、お前が婿にいくだと!?」


 知ってた。前世で一文字姓を名乗っていた訳だし、久次郎はそう言う話になるよな。


「久次郎、お前は家を捨てるつもりか!」

「違うんだ父さん、聞いてくれ」


 慌てて久次郎が弁明を始めたが。要は彼女の主張は、一文字と言う名字がカッコ良くて気に入っているから変えたくないとの事。伊勢の家はそんな大事なモノじゃないなら、婿養子に来てくれと。


 ふざけた理由だと思った。よくそんな話を持ってこれたなこの女。


「出ていけ。今後、その女が家の敷居を跨ぐことは許さん」

「はぁ!? 私は結婚してくれって土下座までされたから来てあげたんですけど!?」

「お前のような女、うちには必要ない。久次郎と別れろ」

「何でそこまで言われなきゃいけない訳!?」


 とまぁ、ブチ切れた雪次郎様は一文字桜を出禁にした。当たり前である、私もちょっと腹に据えかねる話だった。


「て言うか! もう子供も居るのに、今さら別れるとか無理なんですけど!」

「……は?」


 その一文字桜の発言に、思わず呆けた声が出る。


 まさか、まさか久次郎。やりやがったのか。


「どういうことだ。久次郎ぉ!!」

「その、ごめんなさい、父さん、実は」


 や、やりやがったな。やりやがったなこのバカ息子。


 性欲に負けて、よそ様の娘を傷物にしやがったな。


「────久次郎、出ていけぇ!! お前も、2度とうちの敷居を跨ぐなぁ!!」

「と、父さん!」

「とっとと失せろ、痴れ者め!!」


 ふらり、と私は頭を押さえて倒れ込み。雪次郎様は激怒して久次郎を怒鳴る。


 信じたくなかった。自分は、精一杯手をかけて久次郎を教育してきたつもりである。息子がこんなモラルの無い事をする、馬鹿だと思いたくなかった。


「出ていけぇ!!」


 久次郎を勘当したあと。私は、久次郎への教育を間違えたことを夫に慚愧した。雪次郎様は、そんな私を抱き締め共に泣いていた。


 もう結構な歳になり、それなりに成長したつもりだったが。家族を失うと言う辛さは、いつになっても衰えないものだ。


 久次郎は、これからどんな人生を歩むのだろう。実家から見放され、あんな馬鹿女と生きていかねばならぬのだ。


 手塩をかけて育てた息子が、どんな不憫な人生を送るのか。考えただけでも、吐いてしまいそうである。


















「ねー父さん、母さん」


 数年間、久次郎から直接は何も音沙汰が無かった。ただ、こっそり美雪と手紙のやり取りを続けているらしい。


 一文字桜のお腹の子は、流れた様だ。話によると、一文字桜は煙草を吸うらしい。きっと、そのせいだろう。


 その話を聞いて、美雪は久次郎を慰めにいったとか。姉弟の絆はしっかり保っているようだ。


「そろそろ久次郎、許してあげたら?」

「いかん。そんなことより美雪は、早くお見合い相手を決めろ」

「うげぇ、またその話? 私はお見合いとかしたくないの。もう古いって、そんな結婚」


 私としては美雪と久次郎がやり取りしている事を、咎める気はない。久次郎の近況が聞けるのがありがたい。


 雪次郎様も、同様に考えている節がある。本音を言えば、一文字桜と別れて実家に戻ってきてほしいのだろう。あいつら、少なくとも『俺』を産んで18に育てるまで結婚したままだけど。


「美雪さん。お見合い結婚は決して悪いものではありませんよ」

「時代が違うの、時代が。どうせなら好きな相手と結婚した方が幸せだって」

「その考えを否定する気はありません。ですが、お見合いから結婚したとしても幸せになれると言うのも覚えておいてください」

「んー、分かった」


 そして、美雪は大分行き遅れていた。四捨五入して30歳という、当時の結婚適齢期的にギリギリの数字になってきている。


 言い訳はいいから、お前はとっとと見合いしろ美雪。




















 と、まぁ。美人の癖に中々結婚できなかった美雪にも、とうとうその日が訪れた。


 曰く、紹介したい男が居ると。よし来た、どんな男か知らないけれど私が見定めてやろう。


 雪次郎様と共に意気込んで、美雪の言う「理想の相手」と会ってみたら。


「頼んますぅ!! どうか、どうか私に娘さんをください!! 絶対、絶対に世界一幸せな女にしてみますんで!」


 ……うちの娘はまた、濃い奴を連れてきたな。


 見た目は完全に関西弁の怪しいオッサン。少々油ギッシュな、髪の薄い小肥りの男性だ。お世辞にもハンサムとは言い難い。


 だが、こんななりして美雪と同い年らしい。老けすぎだろ。


「……君、仕事は何をしているんだ?」

「はい、銀行員をしとります」


 む。成る程、ならば収入は有るんだな。


 だが、美雪を預ける相手だ。収入だけで決めるつもりなど毛頭ない。


「貴方と美雪は、どのように出会ったのですか?」

「趣味のボランティア活動しとるときに、一緒になりまして。話をしとるうちに、僕の方から美雪さんに惚れ込んでしもたんですわ……。彼女は天使、僕の前に舞い降りた本物の天使! 運命を感じまして、何とかデートの約束させてもろたんです」


 おお。ボランティアが趣味とは、なかなか。


 美雪も、天使扱いされて照れ照れだ。案外、仲睦まじい様子。


「僕は誰よりも、美雪さんを幸せにする自信があります。お義父さん、信じてください!」

「む、む、む」




 そして、雪次郎様は二人の結婚を認めた。


 一文字桜の1件で、結婚相手のハードルが大分下がっていたのも効いたのだろう。


「こんな不細工な旦那なら、浮気とか出来ないだろうし!」

「あっはっは、美雪さんは手厳しいなぁ」


 そして、何より二人はすごく相性が良さそうだ。それが、一番の決め手だったかもしれない。


 雪次郎様が認めたなら、私としても反対する理由はない。破顔し合う新たな夫婦を、雪次郎様は寂しげな目で見つめていた。


「あのね、彼は転勤で地元の大阪に移り住む予定なの」

「そうか。寂しくなるな美雪」

「たまには大阪に、遊びに来てね」


 そして、二人が婚約した翌年。美雪は家を出て、夫婦共々大阪に旅立ってしまった。


 雪次郎様の、寂しくも嬉しそうな顔が忘れられなかった。




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