第8話



 20歳になった日、私は無事に伊勢雪次郎と結婚を果たした。婆様の見守る前で、私は彼と生涯の愛を誓った。


 本当はもっと早く結婚する予定だったのだが……、実は私の方の覚悟がなかなか決まらなかったので待ってもらっていた。何がって? そんなもん初夜に決まっとろーが。


 まぁでも爺様の遺言でもあるし、今更婚約破棄とかありえないので腹をくくり。20歳の誕生日を節目に、私の方から結婚を申し込んだ。


 私はもう、女として生きた年数の方が長い。なので女として生きる事に抵抗がなくなってきた。


 そもそも、今では本当に「俺」は存在したかも怪しいと考えている。実は彼は、私の妄想の作り出した未来日本の物語の主人公なだけかもしれない。


 だから意を決し、雪次郎様に身を預けることにした。




 ちなみに、心配していた初夜は結構優しくしてもらえた。




 そして、夫婦になって改めて実感した事が有る。財閥が解体され荒れ狂う経済の中、起業し事業を波に乗せた雪次郎様はやはり傑物だったという事だ。


 妻として留守を守りつつ、時折仕事場を片付けに行ったりしていたのだが。職場での雪次郎様の評価は、部下から半ば神格化されているくらいに高かった。


 曰く『十年先を見据えて指示を出すから指示の意味を理解するのが難しい、だけど社長の指示が的外れだったことは一度も無い』らしい。化け物かな?


「雪次郎様は、やはり私の理想のお方でした」

「そ、そ、そうかい? は、ははは……」


 このドモリさえなくなれば、もっと格好いいんだけどなぁ。


 あの今は亡き私を溺愛していた爺様が、私との結婚を許しただけはある男だという事か。























 数年後。


「ふんばれ!! ふ、ふんばれ、みく!!」

「ん~!!」


 気合一発、ひりだして。十数時間の格闘の末、無事に私と雪次郎様の間に第一子が生まれた。


 それはおぎゃあと大きな声で鳴く、真っ赤な赤ん坊だった。


「女の子ですよ」

「頑張った、がんばってくれたなみく……!! ありがとう、ありがとう」

「大げさですよ、雪次郎様」


 相談の結果、娘の名前は『美雪』と名付けた。そう、私と雪次郎から一文字づつ分け合って付けた名前である。


 安直ではあるが、可愛い名前だから私的にも満足だ。次に男の子が生まれたら、久次郎とかになるんだろうか。そっちも割といい名前な気がするぞ、そういや前世の父もそんな名前だった。


「こうなると子供部屋も欲しいな。近々新しい家を用意するよ、みく」

「嬉しいです、雪次郎様」


 子供は何人作ろうか。それぞれが大きくなった時の為に、もっと大きな家に住もう。


 せっかくだから、今は一人で暮らしている婆様も呼べる家になるかもしれない。因みに婆様は、爺様より17歳も年下なのでまだまだ元気だったりする。


 ああ、夢が広がっていく。


「君がきっと、気に入る家を用意するよ」

「愛しています、雪次郎様」























「─────えっ」


 元気に泣く赤子を腕に抱いて。


 私が雪次郎様に連れられてやって来た新居を見て、私は呆けた声を出した。


「どうしたんだい、みく? まさか、気に入らなかったのかい?」

「あ、その……何でもありません、少し既視感を覚えましたの。夢で見た景色とあまりに似通っていて」

「そうなんだ。不思議なこともあるもんだね」


 知っている。


 ああ、私は─────いや、『俺』はこの家を知っている。


 だってここは、俺が幼い頃に何度も来た─────


「ここが、僕達の屋敷さ。子供部屋も複数用意している」

「素敵です、とても。そう、既になじみ深いような……そんな家」




 ─────父方の、祖母の住んでいた家だ。























 中に入って、内装を見て確信した。


 間違いない。この家は、『俺』のばあちゃんの家だ。


 待て、待て、待て。嘘だろ、そうか、そういえば。


 前世の俺の父は母の家に婿養子で入って名字が変わってしまったけど。元々の父の苗字は─────『伊勢』だったような。


 覚えている。覚えている。


 俺が遊びに行くと、しわくちゃの顔を笑顔にして可愛がってくれた祖母を。物心付いたときには祖父は他界していたが、祖母は一人ポツンとその家に住んでいた。


 その、祖母の名前。俺が幼い頃に死んでしまった、そのばあちゃんの名前は。


 ─────『伊勢みく』だ。


 じゃあ、何か。私は、自分が自殺した後に祖母に生まれ変わったのか!? な、な、なんじゃそりゃあ。


 じゃあ、次に生まれる子供は久次郎確定ですやん。前世の父親ですやん。


「気にいってくれたかい、みく」

「ええ、とっても」


 動揺するな。落ち着け、私。


 あれは夢だ。きっと、前世の人生の記憶なんてものは私の妄想の産物に過ぎない。


 俺、なんて居ない。「私」は伊勢みくだ。何もかもタチの悪い妄想だ。


「少しだけ甘えてよろしいですか、雪次郎様」

「……え?」


 必死で自分を誤魔化し取り繕おうとして、何とか平静を保とうとしたけれど。とうとう表情が崩れかかったので、私はそっと雪次郎様に肩を預けた。


「女は、気まぐれに気が弱くなる時が有るのです。少しだけ、抱きしめてくださいませんか」

「えっ、えっ? あ、ああ」


 落ち着け、落ち着け私。


 動揺するな。変な妄想を垂れ流して夫に心配をかけるな。


 ほら、ここには雪次郎が居る。私を守ってくれる人が居る。


 ふと、自分の夫を見上げてみると。彼は心配そうに私の顔を覗きこんで、優しくて髪を撫でてくれていた。


「─────ありがとうございます、もう大丈夫です」

「そ、そうかい。君がそんな、弱みを見せるのは珍しいね」

「お恥ずかしい事ですわ」


 愛の力はすごい。愛する旦那に抱きしめて貰ったら、何故か一瞬で心が落ち着いた。


 女って、結構ちょろい生き物かもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る