第7話



 それから数年間。俺は、いや「私」はその老人の家で平穏に暮らしていた。


 爺は私を甘やかしつつも、淑女としての礼儀をきっちり叩き込んでくれた。ありがた迷惑である。


「ワシらはいずれ死ぬだろう。だが、それまでにお前に見合う婿を探し出してやるから安心しろよ」


 本当に、ありがた迷惑である。


 婿って。そっか、私女じゃん。子供産まなきゃいけない感じじゃん。元男的には絶対にNo! なのだが、あいにくとそんな事を言い出せる雰囲気ではなかった。


「可愛いみくや、可愛いみくや。12代続く土建屋の社長の息子と、見合いが出来そうじゃ。準備をしておくようにの」

「分かりました、お爺様」


 本当に、こんな見合い話含めて迷惑この上ないのだけれど。一方でこのお爺様、完全に私への善意100%で動いているのである。


 口調も女らしく矯正されたし、立ち振る舞いもピシャリとさせられた。「俺」という一人称は当然許してもらえず、女言葉どころか丁寧口調まで義務付けられた。


 でも、世話になりまくっているためか爺様に逆らう気も起きず。気付けば、浮浪者孤児の盗人がいっちょ前な名家の令嬢に変貌を遂げていた。


 この時代の男は、何というかリーダーシップが凄いな。日本男児というか、逆らう事を許さないというか。


「むむ、調査したところ素行がちょっと悪そうじゃの。すまんが、先の見合いは無しじゃ」

「そうですか、分かりました」


 おかあがあんな性格になったのも頷ける。そっか、こういう教育を受けてきたからあんな性格になっちゃったんだな。


 ホンワカした丁寧口調の美人令嬢。私の父親は、よくそんな上物を落したものだ。


「みーくー。お料理始めるわよ、ちょっといらっしゃい」

「はい、お婆様」


 ま、私は駆け落ちなんぞする気はないが。これだけ世話になった相手を裏切るなんぞ、絶対にありえん。


 この爺様と婆様が満足するような相手と、きっちり結婚して添い遂げてやろう。まだ男と結婚するのは抵抗が有るけど、そんな事よりこの二人に対する恩義の方がずっとデカイ。


 孤児だった私を引き取って、ここまでに育て上げてくれたんだ。感謝するなと言う方が難しい。


「うん、お上手。どこに嫁に出しても、恥ずかしくないわ」

「そんな、まだまだ婆様には敵いません」


 今年で私も、15歳。いよいよ、結婚と言うものが現実味を帯びてくる年齢。


 爺様の探した相手を疑ったりするつもりはないけれど。どうせなら、優しくて性格の良い旦那が欲しいものだ。

























「あ、あ、あの。伊勢、雪次郎と、も申します」

「初めまして、雪次郎様」

「はっ初めまして!!」


 大丈夫かコイツ。


「みくや、彼はまだ若くありながら新進気鋭な鉄鋼業会社の若社長でな。家柄も良く、頭も回り、資金力も素晴らしい」

「まぁ。雪次郎様は、とても素敵なお方なんですね」

「い、いえ、恐縮です」


 なんか噛み噛みですやん、雪次郎様。あー、緊張してるのか?


 いや、このドモリ方は素な気がする。普段から人と喋るのが苦手なタイプだ、この男。


「あ、あ、あの、その。えっと、みくさんは、何かご趣味とかは」

「生け花を。お婆様に教わりながら、手慰み程度に嗜んでおります」

「あ、ああー、素敵ですね、素敵です!」


 誉める語彙を、もうちょっと何とかしろや。素敵連呼て。


「雪次郎様は、何か嗜まれているのですか?」

「ぼ、ぼぼ僕は、その、野球観戦が好きでして」

「あら、活動的な良い趣味ですね。どこのチームがお好きなんですか?」

「きょ、巨人軍の─────」


 ちらり、と爺様の顔を見る。


 爺様は、とても満足そうに私と雪次郎様を眺めていた。爺様のこの態度、つまりは上手く行って欲しいのだろう。


「ぜ、全盛期の、沢村の直球は本当に凄くてですね!」

「あら、まぁ」


 よし、ならば話を合わせよう。爺様の期待に応えるためにも、雪次郎の気に入る様に話題を誘導していこう。


 ちょっとアレな空気は出ているけど、きっとこの男は爺様の認めた私の婿にふさわしい男なのだ。























 その、雪次郎との逢瀬は何度か続いた。初めて会った日に彼は面白みのない人間に感じたが、彼は存外に仕事ができるらしい。社長として働いている姿を覗き見した時は、ハキハキと元気よく部下に指示を飛ばしていた。


 あのドモリは、私に対してのみの様だ。


「彼はの、みくにベタ惚れしとったのだよ。見合い写真を見た瞬間に恋に落ちたらしくての」

「そうだったんですか、雪次郎様」

「浮気なぞしなさそうな真面目そのものといった性格。既に軌道に乗り、グングンと勢力を拡大させつつある会社の社長で、おまけにみくに惚れこんどると来た。そして、このワシの家に身一つで『娘さんとお見合いさせてください』と土下座しにくる度胸もある」

「そんな事をなさってたんですか」

「ああいう男が、一番女を幸せにするもんよ。信じてやりなさい、みく」

「分かりました、お爺様」


 やはり、お爺様は私の事を大事に考えてくれていた。


 あの男を爺様が信用しているなら、私は爺様の信じた彼を信じるのみである。


「私も雪次郎様を好ましく思っております。お爺様、私は嫁に行って参ります」

「ああ、そうか。そうか、そうか。一つ、大きな肩の荷が下りた」


 私の言葉を聞いた老人は、空を見上げて大粒の涙をこぼした。






 その数日後。


 爺様は、病で床に伏せった。


「安心したからかのう」


 爺様は、既に御年70以上。私のためにそこら中を駆け回り、見合い相手を探した無理がたたったのかもしれない。


「お爺様、お加減は如何ですか」

「ああ、今日はいい気分だ、みくや」


 この時代の平均寿命は、とても短い。


 この老人は、もう大往生と言える年齢の人間である。


「ゴホ、ゴホ」

「お爺様、無理をして喋る必要は─────」

「いや、もう少し喋らしてくれい。もう、みくと話をする時間はあんまり残ってなかろうて」


 高熱を出して咳込む爺様。婆様も、悲痛な面持ちでそんな彼を見つめている。


「お医者様のお薬が効いてないのかしら」

「いやいや、もう寿命なんじゃろ。ワシももう随分生きた」


 そう言って笑う祖父の顔には、はっきり死相が浮かんでいた。


 私の足が震えているのが分かる。少しずつ動悸が出て、徐々に息が荒くなる。


 ああ、嫌だ。


 この感覚は。この耐えがたい恐怖は。間違いなく、家族を失う恐怖─────


「みくや」

「何でしょうか、お爺様」

「幸せにおなり。お前と出会えて、お前を引き取って、ワシの人生は幸福じゃった。子供も孫もみんな死んじまった絶望の果てに、出会えたお前は天からの授かりものじゃった」

「─────そんな、別れ際の言葉の様な」

「遺言じゃと思って聞いとくれ。みくや、雪次郎というあの男はワシの親友の孫でもあってな。アイツの祖父は、それはそれは良い漢だった。彼の血筋なら、きっと任せられる」

「そうなのですか?」

「くっくっく。あの男は一見頼りないように見えるが、中身は獅子ぞ。お前も獅子の妻となりて、共に日本を駆け回ると良い」


 ……遺言。それは死にゆく者が、残されたものの心に贈る命の残滓。


 怖かった。家族を失うのが怖くて仕方がなかった。それは、トラウマと言っても過言ではない。


 おかあと兄が死んだその日から。私は、大切なものを失う事に耐えられなくなったのだ。


 また、居なくなるのか。私の大好きな家族が、また─────



「お取込み中失礼します、お義祖父様」

「……雪次郎様!?」


 爺様の遺言を聞き、その場で倒れ込みそうになった瞬間。


 無粋にも部屋の扉を開き、押し入って来た男が居た。


「─────お、おお? 雪次郎君?」

「少し、みくさんをお借りします」


 そう、それは今まさに話題に上っていたその男。私の婚約者、伊勢雪次郎その人であった。


「え、ちょ、ちょっと?」

「良いから、来てください」


 彼は部屋に押し入るや否や。私の手を引いて、颯爽と部屋から連れ出してしまった。


 何だこの男は。今、大事な大事な爺様との最期の時間にいきなり割って入って来て、何を─────


「みくさん、君に着物を届けに来た」
























「お、おお」


 彼はその場で、私を礼装に着付けあげた。白無垢の高価な着物を、手際よく一瞬の間に。


「ほ、本当は、式まで隠しておく贈り物だったんだけどね」


 その意図を察した私は、婆様の部屋で化粧を行い。数分後、雪次郎と共に再び爺様の部屋を訪れた。


 その出で立ちはまさしく、


「まぁ、まぁ……」

「花嫁、衣装─────」


 新郎新婦の御入場、ってね。くそ、意外と粋なことを考えるなこの男。


 爺様が危篤だと知らせを受けた雪次郎は、その足で着物屋に走って自分と私の衣装を受け取っていたらしい。全ては、この姿を爺様に見せるために。


「おお、おお。みくが嫁に行く─────」


 爺様だって私の男親だ、娘の花嫁衣裳を見る前に死んでは死にきれまい。それを、この男は機敏に察したのだ。


「可愛いぞ、美しいぞみく……、おお、おぉー」


 ポロポロと数珠の如く連なる涙をこぼし。老人は鼻水まみれになり、笑顔で大泣きしていた。こんな爺様を見るのは初めてだ。


 そんな大好きな爺様に。私は満面の笑みを作り、涙を隠すようゆっくり頭を下げた。




「─────お爺様。今まで、ありがとうございました」




 その数日後。祖父は、肺炎で亡くなった。


 だけどその死に顔は、何の悔いも無さそうな晴れやかなモノだった。


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